01.師匠

 穏やかな春風の吹く昼下がり。

 私は庭の木陰でお昼寝をしていた。


 父に猛烈に頼み込んで剣術を教えてもらい始めてから既に三年が経過し、私は六歳になっていた。


 最初のうちは木剣すら持たせてもらえず、走り込みと筋トレの後、父の稽古の様子を眺めていただけだったが。

 最近になってようやく素振りと基本の型を教えてもらい、今はそれらを身体に叩き込んでいる最中だ。


 魔術の代わりという訳じゃ無いが、私には剣の才能があるらしく、父も本腰を入れて私を剣士にすると言ってくれている。


 しかし、ここ最近は父も騎士としての仕事が忙しくなってきたらしく、これ以上は別で師匠を見つけた方がいいと言う話になり、新しく剣の師匠をつけてくれることになった......。




「——エル様、剣術のお師匠さんが来ましたよ」


 頬を撫でる微風を感じながら、心地よく寝ていると、コゼットが色男を連れて歩いてきた。


 その声で目を覚ました私は、欠伸をしながら、呪いのせいで灰のように白くなってしまった髪の毛を紐で結って、傍らに置いていた木剣を手に取って急いで立つ。



「——はじめまして、エルアリア嬢。元ヴァーミリオン聖王国騎士団、副団長のルビス・ロヴェインと申します」


 コゼットの隣、私の目の前に立った男は、そう透き通った声で言うと、頭を下げた。


 煌めく金髪のポニーテールがなびいて、右耳についた蒼い宝石のついたピアスがきらりと光る。


 服装は動きやすそうな地味目のシャツにズボン。

 装飾品はピアス以外に見当たらない。


 歳はかなり若そうに見えるけど......。

 元王国騎士のしかも元副団長って、これまたお父様は凄い人を師匠に引っ張ってきてくれたな。


 なんて考えながら、とりあえず挨拶とお辞儀を返す。


「初めまして、エルアリア・アドニスです。これからよろしくお願いします、ロヴェイン師匠」


「ルビスでいいですよ」


 と、笑顔で返してくれる師匠。

 とりあえず優しそうな人で安心した。


 昨夜は、新しい師匠が怖い人とかだったらどうしようとか考えて、なかなか寝付けなかったけど......今日はぐっすり眠れそう。


「ならルビス師匠って呼びますね。 私の事は気軽にエルと呼んでください。 あと敬語もいりません」


「そう? ならエル。 早速、稽古を始めようと思うんだけど、大丈夫かな?」


「はい!」


 私は満面の笑みで師匠の問いに答えて、木陰から出て庭の真ん中に歩き出す。



 性格も良さそうだし元副団長って事は剣の腕も相当なはず。

 騎士団を辞めたそれなりの理由がありそうだけど......。


 まぁ、それは追々聞けばいいでしょ。

 今は稽古に集中しよう。


 なんて思いつつ、師匠の後ろを軽く身体を伸ばしながら歩く。


 因みに、コゼット稽古の様子を木陰から見守るらしい。




「——さて、まずはエルの今の実力が見たいから適当に打ち込んでみて」


「あ、はい」


 庭の真ん中に着くなり、師匠は私の真正面に立ち木剣を片手で構えて、そう言い放った。


 流石にいきなり師匠に剣を振るとは思ってなかったので、少し驚きつつも、言われた通り剣を構える。


 しかしまぁ、打ち込むとは言っても私がやってきたのは殆ど素振りと体力作りだけで、型もまだまだ未熟な構えだけの張りぼて。


 だけど私の胸の内では、自分がどの程度やれるのか試せると言う期待と不安が複雑に混じりあっている。


「——いつでもどうぞ」


 そんな不安と高揚入り混じる微妙な感情の私に、師匠は穏やかな笑顔を浮かべてそう言い放つ。


 そして、それを聞いた私は木剣を脇に構えて、深く息を吸う......。

 そして次の瞬間、腕に全力を込めて横薙ぎに振り抜いた——。



 ——しかし、カッと軽い木剣の音が響き、片手で構えられた師匠の剣に弾かれてしまう。


 同時に、私は跳ね返ってきた衝撃に驚いて後ろにたたらを踏んでしまう。



「なるほど......」


 師匠は一言そう呟くと、木剣をおろして目をつぶった。

 そして、一瞬考え込んだ様子を見せた後、ゆっくりと目を開けて私を見る。


「エルは、英雄になりたいんだっけ?」


「はい、レイド・ヴァーミリオンに憧れてます」


「どうして?」


 私が剣を振る理由。

 師匠には説明が必要だろう。


 師匠はそう尋ねると、鋭い視線を私に向けた。



 ——どうして?



 その問いに、私はコゼットに英雄譚を読み聞かせてもらった時の事を思い出す。


 薄暗い寝室。 柔らかなコゼットの声で語られたレイド・ヴァーミリオンの英雄譚。


 魔王を倒し、人々を救った英雄の御噺。

 それを私は——。


「——かっこいいと思ったんです。 沢山の人を助けて、沢山の人に愛されて......。 そんな人間に私もなりたい、そう思ったんです」


 そう言うと、師匠はどこか納得したように軽く笑い、口を開く。


「かっこいい、か。 でも、エルは魔術が使えないんだろう? それでも自分は英雄になれるって言い切れるかい?」


 私が魔術を使えないことは......多分お父様から聞いたのだろう。

 師匠を探してきたのもお父様だし、別に話していても不思議じゃない。


「言い切れます。 レイド・ヴァーミリオンも剣で魔王を倒しました。 それに、魔術が全てじゃないと思います。 初めてお父様の剣技を見た時、私は魔術と同じくらい凄いと感動しましたから」



 ——確かに、魔術が使えない。

 この事実はどんなに努力したところで変わりようがない。


 しかし、剣術は違う。

 手足が動く限り、努力し続けることが出来る。

 努力が続けられるなら、少しでも私は憧れに向かって進むことが出来る。

 私はそう強く確信をもって、師匠の目を真っ直ぐ捉えた。



「......そうだね、エルの言う通りだ。 なら、その思いや信念を曲げずに持ち続けられるのか、新しく師匠になった身として期待しておこうかな」


 そう言い終えると、師匠の鋭い視線が最初の優しい雰囲気へと戻った。


「その点は安心してください! お父様いわく私は母に似て、凄く頑固らしいので」


 三年前、二週間毎日お父様に剣術の稽古をさせて欲しいと頼みこんで、ようやく了承を得た時に言われた。

『エルはティアに似て頑固だな』と。


 そんな私の発言を聞いて師匠はアハハと笑った。



「——それじゃ、稽古に戻ろうか」


 そうして、師匠は笑いの余韻を飲み込むと、自然に剣術の稽古へと舵を切り直した。


「さて、まずはエルの実力の評価からはじめよう」


 どうやらさっきの一撃だけで私の実力を推し量ったらしい。

 さすがは元王国騎士団、副団長。


「まず、剣の振り方がダメダメだね。今のエルは剣で相手を叩いてるだけ。 もちろん、膂力が十分あればそれも有効な戦い方だけど、剣術としては中途半端になりやすい。 まずは相手を斬るってイメージを持ちながら剣を振ってみよう」


 確かに、と私は口には出さず心の中で納得した。


 取り敢えず攻撃を当てることばかり意識して、他のことはイメージはしてなかったや。


 叩くんじゃなくて斬る......。

 よし、覚えた。


「それと剣を振る際に、力みすぎだからそれも注意ね。 今のままだと剣に体幹や重心が持っていかれてちゃうから。 剣を振る時は全身を意識して、あとは腰ね。 今日はこの辺をなおそっか」


 と言うことで、そこからは師匠に注意されたところを改善するために実戦形式での稽古が始まった。


 師匠自身、誰かに剣を教えるのが初めてなので取り敢えず打ち合う中で、軌道修正を繰り返すやり方をするらしい。




 そうして、空が茜色に染まる頃。


「——ここまでにしようか」


 私は地面にうつ伏せに倒れて、全身打ち身だらけの泥だけになっていた。


 実戦形式とは言え、師匠の方から打ち込んでくる事はなく、殆ど私の攻撃を受け止めてからのカウンターや返し技ばかりだった。


 それらに反応は出来るものの、毎回防御や回避が間に合わずに地面転がされてしまう。

 これがきっと師匠の言う、剣に体幹や重心が持っていかれてるって事なんだろう。


 反応は出来てた。

 剣を振る時の無駄な力みさえなければ回避も防御も間に合ってたはず。

 今後はもっと気おつけて剣を降らないと。


 あぁ、今日だけで地面とは親友になれた気がするよ......。


 なんて、私は今日一日の学びを振り返りつつ、心の中で冗談を呟いて空を見上げた。


「大丈夫?初日から少々飛ばしすぎたかな」


 師匠はそう苦笑いを浮かべながら地面に倒れたままの私を心配して手を伸ばしてくれた。


「痛い......けど大丈夫です!」


 私はそう言いながら差し出された手を握って立つ。


「エル様、夕食の前に絶対お風呂入りましょう」


 コゼットも木陰から出て来てタオルを差し出してくれる。

 確かに、かなり汗だくだし泥もすごい。


「それじゃ、俺はこれで失礼させてもらうよ。 あぁそれと、師匠になって早々で申し訳ないけど、明日は用事があって来れない。 今日教えたことを忘れずにね。素振りの際に適度に脱力することを意識して。 乱雑な十振りよりも、真剣な一振りだよ」


 今日、幾度となく言われたアドバイスだ。

 師匠いわく、この三年間間違った方法で素振りをしていたせいで変な癖がついてしまっているらしい。

 でも、この数時間で剣で叩くから斬るイメージは身体に染み付いた。


 けど、振る時の力み癖は全然残ってる。


「はい、じゃあまた明後日。待ってます!」


 そうして、私は師匠に言われたことを忘れないようはっきりと頭に刻み込んで、その日の稽古を終えた......。

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