ジャコスモール編

初めての女装外出





俺は神谷タキ。


ネットでこっそり注文した女装コスプレフルセット(下着、ウィッグ込み)が姉に見つかり、その場で無理やり着せられた、16歳の男子高校生だ。


両親は未来人。姉は元・魔王。


そして俺自身は女性用衣類を身につけると男から女に変質してしまう――「性転換体質」だった。


今日は友人たちとジャコスモーに出かける予定だ。

なのに、身体は女のままだ。


え、まじでどーなんの?





◇◆◇◆◇◆◇





――ジャコスモール新金剛店


ここは総敷地面積約三百万平方メートルを誇る、国内最大のショッピングモールだ。


公園、住居、産婦人科、学校、職場、美術館、博物館、動物園、水族館、娯楽施設。さらに病院、薬局、介護施設、教会、斎場、墓地までを内包している。


『モール中央駅』を中心に、同心三角形状に広がる敷地には、約2500の店舗がひしめき合い、“この世のすべてが揃う”とさえ言われるほどだ。


敷地の三方を囲むタワービルは、まるでジャコスを守る結界のようにそびえ立ち、ビルのガラスが太陽の光をぎらぎらと反射していた。


俺とユウリはタワービルの地下駐車場から出て、モール中央駅へと向かっていた。


押し寄せてくる人波。


「いや~、混んでんなぁ〜! この、見渡すかぎりの『モブ感』めっちゃブチ上がるよねぇ~?」


メインストリートをまたぐ歩道橋の上で、ユウリが楽しそうに声を上げた。


俺はユウリに後ろから抱えられ、流されるように人ゴミを進んでいた。


ふと手首を返し、そこにある見慣れない小さな文字盤をのぞき込む。


「えーと、9時……45分……か?」


集合時間の午前10時まで、あと15分。

立ち尽くすには長く、店で待つには短すぎるビミョーな時間。


「――なぁ? あっち空いてそうだから移動しようぜ?」


ふり返ると、ユウリは不機嫌そうな顔をしていた。


「……コラ、アホいも! あんた今、『とりま座ろう』って考えてたな!?」


「え?」


ユウリは声を荒げながら説教を始めた。


「待ち合わせ前に“ 女子あたしら”が何してるか、さっき説明したの聞いてなかった!? なんでそんな適当なのよ!? 女はね、どんな瞬間ときでもベストを尽くす! それは相手への友情や愛情……あるいは罪と罰。ちな今日は友情のほうね」


「お、おん? ベスト? ……って、なんの話しだよ」


俺を含めほとんどの男には分からないことだが、女は待ち合わせ直前までベストを尽くす――らしい。


なるほど……勉強になる。


だが、本当にそこまでがんばる必要はあるのだろうか。正直、今日の俺としては、外に出ただけで優勝だ。女装してジャコスを歩いているだけで、ほぼ全世界チャンピオンといっても過言ではない。


――という反論をする間もなく、ユウリがたたみかけてくる。


「あのね、タキ? 『青春時代』ってのは不可逆なの。しかも――男女平等。わかる?」


「いや、わからんが……」


ユウリは例え話をする。


「年増のおばさんが母校の学ラン着ても、絶対に現役男子高生には戻れない」


「なにその例え」


「でも現役男子高校生がセーラー服で通学すれば、それはもう……女子高生! つまりそういうこと?」


「叙述トリックかよ……」


「わかった? じゃ、とりあえず行くよ?」


ユウリは天井にある、紅い女性型ピクトグラムを指差す。


そう。



――女子トイレ!!!!



『フェなんとかニズム』と『なんとかッキズム』、多様性ダイバーシティ単一性ユニバーシティがぶつかり合う、いにしえの人権ウォーズ最前線。


Chat PTG(通称チャッピグ)によれば、手術を受けて戸籍変更を済ませていても、トラブル防止のためビジュが劣る場合は利用を控えるべきだという。


ただし、そのビジュさえ“パス”していれば、戸籍や身体が男性体でも自己責任で利用可能。


とんでもない魔窟。


(なんだそりゃ? ……AIも人間も矛盾しすぎだろ)


要するに――本音と建前ある私。なりたい在りたいけどだけど。


血塗られた紅い女性型ピクトグラムの前に立ち、俺はもう一度ユウリに尋ねる。できるだけ、メスっぽく。


「ほ、ほんとに……いいんだよな? もし捕まったらその場で裸になって死ぬからな……」


ユウリの優しい眼差し(ニッコリ)が逆に不安を煽る。


「まじで死ぬぞ?」


(いや、大丈夫! 落ち着け、神谷タキ! いざというときには「医学的根拠」がある!)


俺のおちんちゃんは昨日から確実に存在しておらず、今も復活していない。


それどころか――女性的特徴を如実に示す生殖器は、しっかりナカまで女仕様になっていた。


(あ? なんだよ!? そりゃそうだろ!?)


健康で健全な男子諸君なら、かならず俺と同じことをするだろう。


(風呂で確認したんだよ!! 色々確認しなきゃならんし、指くらい挿れるだろ!? てか自分の身体だし、問題ないはずじゃん!?)


そうやって気を紛らわせながら、俺はトイレのドアを閉めた。





◇◆◇◆◇◆◇





事前に聞いていた『女子トイレの礼儀作法』に従い、そそくさと用を済ませると、ユウリは俺を隣の部屋へと案内した。


まるで自然光のような照明に照らされた広い空間。壁一面の大きな鏡の前には、スツールがずらりと並んでいる。


女性たちは鏡の前でメイクを――強化魔法バフをかけ直していた。


(うん?……なんだここ)


「ほら、そこ座って! ちゃちゃっと直すから」


ユウリは手早く髪を整え、軽くメイクを直す。しかし、正直どこが変わったのかさっぱりわからない。


(てか前から思ってたけど……“メイク直し”って微妙すぎるよな? ほぼほぼ変化なくね? これって意味あんのか……?)


そう考えながらユウリを見つめていると、鏡の中で目が合った。


「分かる? だいぶ変わるでしょ? これがベストを尽くすってこと。ほら、あんたもやったげるから!」


「お、おん……(ほーん)」


しぶしぶ鏡の前に座ると、自分の顔が映る。


(ごくり……)


こんなこと言っていいのかわからないが――俺はフツーに可愛い。それは女装趣味特有の“美化フィルター”ではなく、本当に、まじで可愛いのだ。


一晩で肩まで伸びた髪はトロワツイストにまとめ、メイクはナチュラル韓国アイドル風で仕上げられている。


クロップド丈で素材感のあるパフ袖オフショルに、シンプルなフレアショーパン。


歩きやすく可愛い厚底スニーカー。大きめリュックであえて「イモ感」を演出。


動きやすく、疲れにくく、試着も買い物も楽――ティーンのショッピングモールコーデ完成でーす(ユウリ談)♪


でわ行ってきます!!!!


と、女装したビジュにはまあまあ自信はある――の中の自分を見て、少しだけ誇らしい気持ちになるほどに。


しかし、昨夜からずっと気になっていることがある。そう、現実的な女装カムアウト問題だ。


「てか……ほんとにこのまま行くだよな?」


「なに? 自信なくなった? あんた今日もビジュいーよ?」


「いや、自信てか……やっぱ突然こんな格好してきたら、みんな引くんじゃないかって……」


ここでなぜかメンタルチャートが急落。

今年最大の下落率。


(ちょっとまって? え……なにこれなにこれ? 女子メンタル、不安定すぎん!?)


メイクも髪型も問題なし、コーデも完璧。全体的に盛れているはずなのに――なぜか、家に帰りたくなる。


「はぁ……」


ため息が漏れた。


ユウリが肩に手を置き、穏やかに語りかけてくれる。


「なーに考えてんのよアホ。今日び、で誰もリムったりしないって――」


「この程度って……」


考えてみれば、今の時代、男子高校生が女装することなど、別に珍しいことではない。オールジェンダーの時代だ。


そう思うと、少しだけ気持ちが楽になった。


「ふたりとも、親友マヴでしょ? 信じてあげな?」


姉の姉らしい一言に、俺は落ち着きを取り戻す。


「ん。なんかイケそうになってきた……」





◇◆◇◆◇◆◇





待ち合わせ場所で親友二人の背中を見つけた俺は、精一杯のハスキー声で呼びかけた。 


「よ゙、よ゙ぉ゙~……お゙待たせ~」


もはや女ラッパーのそれ。


聞き覚えのない声に呼びかけられ、二人は「ん?」振り返った。だが、目の前の俺を見ても、誰だか認識できていないようだった。


なんせ俺は少女なのだ。



(1、2、3、4、5、6、7……)



沈黙は10秒以上続いた。


小洒落た格好をした背の高い男性が、俺を見て完全に固まっている。


原田マルケス(16)――


身長180センチメートルを越える恵体のこいつは、イケメン文武両道をテンプレ化したような人物だ。


唯一最大の欠点があるとすれば、憧れにも似た恋愛感情をユウリに対して持っているということ。


「え? タキ? は? え? いや、タキ? お前? は? いや……おか……え、どーなっ……えぇ……うそだろ……」


「まぁ、落ち着けって。……って、無理だよな」


隣にいた小柄な女性も同様に固まっていた。


宓瑶ミー・ヤオ(16)――


校内で「ミニマムかわいい系女子」のロールモデルと言えばヤオ、とされるほどの彼女だが、実は護身武術をたしなむ“強い女”の代表格でもある。


「えぇ~、やば! タキくん?」

「よ゙、よ゙ぉ゙」


「やばぁ~! うそでしょ~!? えぇ~、まじかぁ……バカかわいいっていうか……てか、写真撮ろーよ?」

「写真とかいいって! ……も、もういいだろお前らぁ……ッ////」


写真を撮るためみんなで並んでみると、自分よりヤオの背が高い。


(……あれ? てか――こいつ、こんなに背高かったっけ?)


違う違う――そうじゃない。俺が小さいのだ。


おそらく今の俺は、身長150センチメートル程度しかないミニマム男子(女子)。つまり弱男オブ弱男というわけだ。


(いやでも、ミニマム女子としてはわりといい感じなんだよな……)


そんな自分の存在感を改めて実感している横で、ヤオがユウリに尋ねた。


「あの、ユウリさん……聞きたいんですけど?」

「どしたの? ヤオちゃん」


「タキくんって……女装? ……ですよね? てかなんで今日にかぎって女装?」

「ふふふ、それはね――」


ネットでこっそり注文した女装コスプレを着たら、なぜか身体が女の子になった――などと言えるはずがない。


俺は「ちょちょちょッ!?」と慌てて、ユウリの口を塞ごうと手を伸ばそうとした。


しかしその手は届かず、逆にユウリに抱きつくような形になってしまった。


――ムギュッ!


はたから見れば、突然の甘々妹ムーブである。


「よーちよち」


ユウリが俺の頭をぽんぽんと叩く。


「今日こいつがこんな『甘々妹ムーブ』かましてるのは、あたしが無理やりロールプレイさせてるから」


(へ? ロール……プレイ?)


「あぁ~、やっぱそうなんですね~!」と納得するヤオ。


(納得するんだ、それで? すげーな高学歴の説得力……)


涼しい顔で続けるユウリ。


「ある研究論文を書くのに、どうしても必要だったの……」


「わぁ! ゆーりさん、またなんか発表するんですか!? すごい!」


「そうよ。……あたしの研究テーマって、“人間集団の行動を数学的に予測する手法”を確立しようってものなの。たとえば気体分子運動論って分かる? つまり――分子ひとつひとつの運動は気まぐれで予測できないけど、『気体』として捉えれば平均的な運動は数式で出せるでしょ? あたしはその類推を人間に応用しようとしてるの」


(ちょっとちょっとちょっと?)


小学校時代から才女として有名だったユウリは、大学に入ってからすでに数本の論文を発表している(らしい)


それはいいとして――


今やつが話している内容は“SF界隈”では有名な架空の研究だ。


それでもユウリは続ける。


「で、この研究に必要な条件は三つ。ひとつ、膨大な数の何も知らない群衆をサンプル化できること。ふたつ、AIを含まない純粋な人間の集団であること。そして最後のピースが――」


「ゴクリ!」と実際に口にするヤオとマルケス(アホ)


「とびきり可愛い“女装した男性”による不確定要素の挿入――つまり、女装したタキよ」



静寂が、喧騒を切り離す――



「……はぇ~……なんかすっごい」ヤオが目を輝かせる。


「まじか……さすがアジア最高学府、『超東京大学』は違ぇ……俺も頑張らねぇと……あと三年もねぇんだ……なんとかしねぇと……ッ!」


マルケスは拳をぎゅっと握りしめ、決意を燃やした。


(アホか……もっとSFを読んどけ、SFを。百科事典で殴られるぞ。アシモフ先生に)


だがユウリの謎理論のお陰で、俺の『初女装外出』という人生転換イベントはマイルドに終わりそうだった。


(セーフ!! よかった!! 耐えた!! 死んでない!! ありがとうございますユウリ様!! そしてアシモフ先生!!)





◇◆◇◆◇◆◇





――ポヨン


腕を組んだヤオの胸が、俺の胸に触れた。


「え~、めっちゃ新鮮~! なんか突然、親友と妹が爆誕した感じぃ~! てか可愛すぎてやば!」


「お、お前……あんま引っ付くなよ……ッ////」


女同士(?)の距離感がいまいちよく分からず、オスっぽく照れる俺。


そして、俺たちの後ろを歩くユウリとマルケス。


「どこ向かってるんすかユウリさん?」


ご機嫌な顔でマルケスが切り出すと、ユウリは無言で『レディースファッション』の看板を指さした。


なぜか不吉な予感――


「とりま今からブラ買いに行く」


「えっ、ブブ……ラすか……!? え、え、それってどういうことすか!?」


「タキのブラに決まってるじゃん」


ゔあ゙ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!


俺は死んだ。




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