スプリント
セシルは、バイオ・シールドを省電力モードに保ちながら、汚染泥の中を慎重に進んでいた。
シールドの微かな振動が、彼女の生存を支える唯一の境界だ。
頭上に広がるのは、酸性雨で深くえぐられ、生命の色を完全に失った都市の残骸。
デスティニーのエコ・スキャン機能がなければ、この道は進めなかっただろう。
スコープを覗くと、周囲の風景は青、黄、そして致死的な赤の汚染レベルを示す色彩に塗り替えられる。
赤のレベルは、まだ歩いたことはない。
だが、エコ・スキャン能力によって映し出される赤はドス黒い赤だった。
それが、私がその区間を避けようとする意味でもある。
そのため、
「核を破壊せよ……」
使命が脳内に響く。
核とは何か。なぜそれを破壊しなければならないのか。
なぜ私だけが生き残っているのか。
セシルの記憶は、デスティニーとこの命令に触れる前の空白しか持たない。
しかし、先ほどの戦闘で、彼女は直感した。この荒廃した世界は、何らかの巨大なシステムによって支配され、そして崩壊させられている。
それにしても、あれはなんだったのだろう。
シェルターの壁にあったかすれた文字「P-EVE」。
そして、ホログラムに残されていた、笑う男性と女の子の映像。あれを見た時の、胸の奥から込み上げてきた悔しさと悲しみ。
(…デスティニー、P-EVE、そしてあの映像。全てが繋がっている気がする)
セシルはデスティニーを握りしめた。この銃が「半身」だと感じたのは、ただの強力な武器だからではない。
デスティニーは彼女の「記憶の代用品」であり、この世界で失われた彼女自身の過去に繋がる、唯一のインターフェースなのだ。
この世界が、彼女に「核の破壊」という使命を与えたのは、過去の彼女自身が、その「核」に関わっていたからではないか。
どれも考察にすぎず、一体なんなのか。それは私が知るよしもない…
そういえば、デスティニーの残量は大丈夫なのだろうか。
セシルはデスティニーのディスプレイを確認した。バイオ・シールドのエネルギーは、残りわずか15%。
次の戦闘や、予測不能な環境変化があれば、すぐに尽きるだろう。
「エコ・スキャン」が、眼下の汚染泥の隙間にある、崩れかけたコンクリートの構造物を緑色(低汚染/電源)にハイライトした。
【解析:緊急エネルギー・ステーション(旧規格)】
セシルは急いでその構造物に近づいた。
それは、かつて輸送路のメンテナンスに使われていた小型の充電ステーションの残骸だった。幸い、外部の防護がまだ生きており、内部は酸性雨の侵入を防いでいた。
セシルはデスティニーと防護服の接続ポートをステーションに繋いだ。
ファン……
微かな電子音と共に、デスティニーとシールドへの充電が開始される。
エネルギーが回復する間、セシルは初めて束の間の休息を得た。
シールドが完全に回復するまでの数分間、彼女は警戒を緩めなかった。
先ほどの戦闘で感じた、遠くからの鋭い視線。あの視線は、まだ続いている。
あのスクリーニング・ユニットを操作していたのは、単なる自動システムではない。
セシルの行動を観察し、分析している、誰かがいる。
(誰かが私を見ている。この都市のどこかに、生きている高度なAIがいる……)
その見えない存在の冷たさが、セシルの背筋を走る。
その存在は、セシルの「核を破壊せよ」という使命にとって、敵となる可能性が高い。
エネルギー充填完了。バイオ・シールドの残量が100%に戻った。
セシルは充電ステーションからコードを外し、再び汚染泥へと踏み出す。
「クロノス大庭園」はもうすぐだ。そこには、核への手がかりか、あるいは、この監視者の正体が待っているだろう。
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