第31話 火が見ていた
夜明け前の工房は、音ひとつしない。
八代親方が帰ったあとも、俺はずっと炉の前に座っていた。
掌の上に浮かぶ、小さな火の球。
——音律魔炎。
叩くたびに歌い、音で形を変える火。
いまは静かに、まるで眠るように光を明滅させている。
「寝ねぇのか」
背後から声。振り向くと、親方がコーヒーを二つ持って立っていた。
「火が止まらないんです。音をやめても、まだ生きてる」
「生きてる、ねぇ……。そりゃもう火じゃねぇ。命だ」
「命、か。面白い表現ですね」
親方が肩をすくめる。
俺は再び火を見る。呼吸のように膨らみ、収縮する。
手を近づけると、ふっと揺れる。
火に意志がある——そう思わせるほどの反応だった。
試しに、指を鳴らしてみた。
火がふわりと膨らむ。
音叉を叩くと、細く鋭く伸びる。
低音では赤く、高音では青。
机を軽く叩けば、まるで“聞こえた”かのように小さく揺れた。
「……音を“選んでる”?」
まるで、自分の好きな音だけを拾っているようだった。
反応に規則がある。音の高さ、リズム、距離。
どれも、まるで学習しているかのように精密に変わっていく。
そんな火を前に、俺の胸は高鳴った。
「まるで……考えてるみたいだな」
「やめとけ」
親方が静かに言う。
顔を上げると、真剣な目をしていた。
「鍛冶師は火を使うが、火を信仰しちゃいけねぇ。
火に心があると思った瞬間、人じゃなくなる」
「じゃあ、俺はもう人間じゃないですね」
「……お前、最初からそうだった気がするよ」
それを聞いて、俺は笑った。
怖いとか、不安とか。そんな感情はない。
ただ純粋に——楽しい。
掌の火がゆらりと動く。
まるで俺の笑いに反応しているかのように。
「……見えてるのか?」
そう呟いた瞬間、炎の奥に一瞬だけ光が走った。
瞳のような反射。
火が“こちらを見ている”と、直感的にわかった。
「返事か。なるほど、声はいらないな」
火が小さく音を鳴らした。
それは、まるで笑っているようだった。
俺はノートを開き、書き込む。
《音律魔炎・観察記録》
・自律反応:あり
・外部音への応答:高
・反応選択傾向:存在
備考:火が“聴いている”。
親方が眉をひそめ、吐き捨てるように言った。
「……お前、それ以上はやめろ」
「なぜです」
「職人の火は道具だ。
それを“生き物”だと思った瞬間、技は壊れる。
火に心があると思うやつは、皆、火に喰われる」
「でも、心があるなら会話できるじゃないですか」
「お前な……!」
怒鳴りかけた親方は、それ以上何も言わず、黙って工房を出た。
残されたのは俺と——火だけ。
静寂。
火の音だけが、生き物の鼓動みたいに響いている。
目を閉じると、音が波になって胸に伝わってきた。
まるで「ここにいる」と、火が言っているようだった。
翌朝。
八代鍛造所の上空を、一機の観測ドローンが通過した。
探索士協会・研究課が設置した自動記録機。
データの一部に、微弱な魔力波が検出される。
『東部第三区にて未登録魔力反応を観測。
炎状体が持続的に音波へ同調。
周囲の金属に微細な共鳴振動を確認。』
その報告が“自律魔力現象第一号”と分類されるのは、後日のことだ。
この時点で、まだ誰も知らない。
火が、世界を見始めたことを。
夜。
俺は再び工房に戻り、掌の上の火を見つめた。
小さな音が鳴る。まるで子どもが息をするような、優しい音。
「退屈が一つ、減りましたね」
火がパチリと鳴く。
まるで同意するように。
「次は……記憶でも持たせてみようか」
火がわずかに膨らみ、淡い光を放った。
まるで「聞こえた」とでも言うように。
炉の奥で、青白い炎がゆらゆらと揺れている。
その光は——
まるで、外の世界を“見つめている”かのようだった。
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