第3話 愛という現実

高校に入っても、俺の生活は静かだった。

特待生として迎えられた入学式の拍手も、もう三年も前のことだ。

周りの連中は進学だ就職だと騒いでいるが、俺はその喧噪の外にいた。

未来を考えるのは、めんどうだ。どうせ何をしても上手くいく。

その確信が、俺の怠惰を正当化してくれていた。

ただ——。

人間というのは、どれだけ冷めていても、家族と話すと少し温度が変わるらしい。


ある休日の朝、兄の一哲に呼び出された。

「久しぶりに飯でも行こう。昼に出ろ」

面倒だと思いつつ、断る理由もなかった。

兄は榊原グループの役員として現場を動かしている。

二十五にして社の顔。ニュース番組でも特集が組まれるほどの男だ。

高層ビル街のレストランで、兄は仕事の話を少しだけした。

「新しい魔導素子の試験が上手くいってさ。これで次の世代の魔力炉は半減できる」

「すごいな」

「まあ、俺だけの力じゃないけどな」

そう言って笑う兄の目には、確かに熱があった。

俺はグラスの水を見つめながら、ぼそりと呟いた。

「長男だから、か?」

兄は少しだけ笑って、首を振った。

「違う。やりたいからやってるだけだよ」

「……義務じゃないのか」

「俺の血に合ってるんだ。榊原の名前も、重さも、好きで背負ってる」

その言葉に、何かが引っかかった。

努力も才能も、あの兄にとっては“生まれつきの重力”みたいなものなんだろう。

自然に立って、自然に背負う。

俺がどれだけ理屈を並べても、あの熱量には届かない。


夜、帰宅すると母の玲花がダイニングで紅茶を淹れていた。

「一哲と話した?」

「ああ。いつも通り、まぶしかったよ」

「あなたも昔からそうだったじゃない。まぶしかった」

母は穏やかに笑った。

「私はね、どっちが跡を継ぐかなんて気にしてないの。

 英臣さん——あなたのお父さんもそう。

 あなたたちが、自分で決めた道を歩けるなら、それが一番幸せ」

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かがほどけた。

俺は兄を羨んでいた。でも、それは“愛されたい”という焦燥でもあったのかもしれない。

気づけば、そんなものは最初から満たされていた。

妹の詩織がリビングに顔を出した。

「お兄ちゃん、おかえり。おみやげある?」

「……ない」

「えー、ひどーい」

ふわりと笑うその顔に、兄とは違う温かさがあった。

詩織は俺を見ると、首をかしげた。

「でも、なんか顔が柔らかいね」

「そうか?」

「うん。少し大人になった顔」

その一言で、妙に照れた。


その夜、父の書斎に呼ばれた。

英臣は相変わらず厳しい顔で資料を見ていた。

「壮馬。海外大学を一年で卒業したそうだな」

「まあ、単位が余ったんで」

「……お前らしいな。だが、あの会社はどうする」

「継ぐ気はない」

「そうか」

父は短く息を吐き、続けた。

「だが、お前の論文を読んだ。

 魔力制御理論の応用部分、あれは社の研究に通じる。

 お前が興味を持つなら、技術顧問として関わってみるか」

驚いた。

父が俺の“遊び”を真面目に評価したのは、これが初めてだった。

「……いいのか?」

「興味があるなら、やってみろ。

 義務ではなく、好奇心で進め。

 お前はそれが一番伸びる」

その言葉が、不思議なほど胸に響いた。

兄が“義務”ではなく“意志”で動いているように、

父もまた、“選ぶ自由”を俺に与えてくれていたのだ。

俺は知らず、家族からたくさんの愛情をもらっていた。

それに気づくまで、ずいぶん時間がかかった。


机の上に置いた古い魔法書を開く。

数式の隙間に、小さな違和感を見つけた。

そこにこそ、俺の興味がある。

継ぐことも、比べることも、もう関係ない。

俺はただ、この世界の“仕組み”を知りたい。

窓の外、夜風が揺れる。

街の灯りが遠くで瞬いていた。

退屈は、もう終わった。

これからは俺の興味のままに、

世界の奥を覗いていこうと思う。


「愛されているって、

 こんなに静かなことなんだな。」


——榊原壮馬 二十歳。

このとき初めて、心から笑えた気がした。

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