第2話「その『既読スルー』、もう少しふんわり蒸らしませんか?」
現代恋愛の最大の敵、それは「既読スルー」かもしれない。
LINEの既読マークが付いているのに返信がない。WhatsAppで「最終接続」が更新されているのに、自分のメッセージだけスルー。
SNS時代の恋愛は、デジタルな沈黙との戦いでもある。
そんな現代人の焦燥感を、一杯のコーヒーで癒してしまう姉が今日もいる。
◆
午後2時の渋谷クロスカフェ。
平日の昼下がり、店内は比較的静か。
窓際のソファ席では大学生らしきカップルがお互いのスマホを見つめ、カウンター席では僕のようなフリーランサーがPCと格闘している。
そして今日も、エスプレッソマシンの柔らかな湯気越しに、姉のあかりが独特のコーヒー哲学をほんのり温かな笑みでそっと準備している。
◆
渋谷クロスカフェ発、姉弟のゆるっとログ。第2話。
今日の僕の悩みは、返信待ちの焦燥感。そう、現代恋愛の宿敵「既読スルー」問題だ。
「あんた、さっきからスマホで石でも温めてるの?ふ化しないわよ」
姉がハンドドリップ用のお湯を沸かしながら、僕に声をかけてきた。今日の服装は白いブラウスにデニムのエプロン。カジュアルだけど、なぜか姉が着ると上品に見える。
「姉ちゃん...マッチングアプリでいい感じだった子から、昨日の夜から返信がないんだ。既読はついてるのに...もう脈ナシかな...」
僕は画面に表示された「既読」マークを見せた。昨夜送った「今度、一緒にカフェでも行きませんか?」というメッセージ。我ながら無難すぎるかもしれない。
(でも既読ついてるってことは読んでくれてるんだよね?それとも、読んで「ナシ」って判断されたのか...。あれ、僕の人生も既読スルー続きじゃん?履歴書も「既読無視」だわ)
「既読スルーって、現代版の『音信不通』だよな。昔は手紙が届かない可能性があったけど、今は確実に読まれてるのに返事がない。ある意味、昔より残酷かも」
姉は手を止めて、少し考えるような表情を見せた。
「なるほど。確かに『既読』って、相手の気持ちが見えてしまう分、辛いわね。でも逆に言えば、あんたのメッセージはちゃんと届いてるってことよ」
「それが余計に不安なんだよ。読まれた上でスルーされてるって分かるから」
「じゃあ発想を変えてみたら?相手も今、あんたと同じように『何て返そうか』って悩んでるかもしれないじゃない」
姉の言葉に、僕は少しハッとした。
姉はハンドドリップでお湯をゆっくり注ぎながら、諭すように言った。
「たった半日で、あんたの恋は賞味期限切れ?早いわね」
「でも既読スルーって、やっぱり脈ナシのサインでしょ?」
「ハル、美味しいコーヒーを淹れる時ってね、一気にお湯を注がないの。最初にお湯を少しだけ注いで、30秒くらい待つ時間があるのよ。『蒸らし』っていうんだけど」
「蒸らし...?」
「そう。その待つ時間があるから、豆がしっかり膨らんで、美味しさが最大限に引き出されるの。人間関係も同じ。焦って言葉を注ぎすぎると、相手の味が薄まるだけよ」
(また始まった、姉ちゃんのコーヒー哲学。でも...確かに、僕って返信催促しそうになってたかも)
◆
その時、隣の席にいた20代後半の女性客が、僕たちの会話にビクッと反応した。彼女もスマホのトーク画面を何度も開いては閉じている。ついに耐えきれなくなったように、カウンターに駆け寄ってきた。
「すみません!私も...彼氏に『距離を置きたい』って言われてから3日、連絡がなくて...。これって、もう"出がらし"ってことですか!?」
僕は「重い話きた...」と固まったが、姉は落ち着き払って答えた。
「いいえ。それはきっと、彼が自分の気持ちを『じっくり蒸らしてる』時間なのよ」
「蒸らしてる...?」
「そう。無理に返信を急かしたら、苦い味しか出てこないかも。今はそっとしておいて、彼の中から美味しい答えが出てくるのを待ってあげたら?相手を考えている時間が恋を燃え上がらせるの。いいコーヒーは、待つ時間も美味しいのよ」
女性はハッとした表情になった。
「待つ時間も美味しい...そっか。私、焦りすぎてたのかも。ありがとうございます!」
彼女が感動のあまり立ち上がった瞬間、スマホを握りしめた手がテーブルのカップにぶつかった。
「あっ!」
カップが傾いて、コーヒーが少しこぼれる。僕が慌ててナプキンを差し出すと、彼女は真っ赤になって謝った。
「ごめんなさい!蒸らしの話に感動しすぎて、手まで蒸気で膨らんじゃいました!」
「蒸気で膨らむって...それもう温泉まんじゅうですよ」
僕のツッコミに、姉がクスクス笑いながら新しいコーヒーを持ってきた。
「大丈夫よ。感動で手が震えるのは、いいコーヒーの証拠。でも彼への返信は手が震えないように、落ち着いてからにしなさいね」
「はい!今度は『蒸らし』を意識して、ゆっくり考えてから送ります!」
女性は今度は慎重にスマホをカバンにしまい、新しいコーヒーを大切そうに両手で包んだ。
その様子を見ていた隣のカップルが小声で話し始める。
「ねぇ、私たちも『蒸らし』してみる?」
「え、どうやって?」
「とりあえずスマホ見るのやめて、お互いの顔見て話そうよ」
店内になんだか温かい空気が流れた。
(姉ちゃん、またうまいこと言っちゃって。でも確かに、待つことにも意味があるのかな)
◆
「姉ちゃん、またうまいこと言っちゃって。ただ返信考えるのが面倒なだけかもしれないじゃん」
「それならそれで、彼の本心ってことでしょ。はい、あんたのコーヒー。少し冷ましてから飲みなさい。熱いだけが正義じゃないのよ」
姉がハンドドリップで淹れたコーヒーを僕の前に置いた。香りが鼻をくすぐる。
「姉ちゃん、恋愛に必要なのは相手のペースを理解する忍耐力ってこと?」
「そう。あんたのマッチング相手もきっと慎重に返事を考えてるのかもしれないじゃない」
僕はコーヒーを一口飲んだ。確かに少し冷ましてから飲むと、豆の風味がより感じられる気がした。
その時、僕のスマホが「ピロン」と鳴った。
マッチング相手からの返信だった。
『ごめんなさい、返信遅くなって!実はどこのカフェがいいか色々調べてたんです。渋谷のクロスカフェはどうですか?雰囲気良さそうで♪』
僕は思わず声を上げた。
「姉ちゃん!返信きた!しかもここのクロスカフェを提案してくれてる!」
「あら、そう。じゃあ彼女、ちゃんと『蒸らし』の時間を使って、いい提案を考えてくれてたのね」
(姉ちゃんの言う通りだった。僕が焦ってる間に、相手は僕のことを考えていい場所を探してくれてたんだ)
僕はすぐに返信を打ち始めた。
『ありがとうございます!渋谷クロスカフェいいですね。僕もよく利用してます。今度の土曜日の午後はいかがですか?』
送信ボタンを押すとなんだか心が軽くなった気がした。
「姉ちゃん、ありがとう。焦らずに待つことの大切さ、分かった気がする」
「どういたしまして。でもハル、一つ忠告よ」
「なに?」
「その子とデートする時、私の豆腐マッチング事件の話はしちゃダメよ。恥ずかしいから」
「あ、そういえば姉ちゃんのマッチングアプリ、その後どう?『豆腐』問題は解決した?」
姉は少し困ったような顔をした。
「...実はプロフィールを『コーヒー愛好家』に変えたの。そしたら今度は『どこのコーヒーショップ経営してるんですか?』って投資話を持ちかけられるようになったわ」
「え、それって...」
「昨日なんて『新規出店の資金調達、お手伝いします』って真面目なビジネスメール来たのよ。思わず『私が求めてるのは投資じゃなくて愛です』って返信しちゃった」
僕は思わず吹き出した。
「姉ちゃん、それもう完全に起業家向けマッチングアプリになってるじゃん」
◆
僕は笑いながらネタ帳ファイルを開き、新しい見出しを打ち込む。
『恋愛における「蒸らし」の重要性 - 待つ時間も愛の一部』
『姉のマッチング迷走記 - 投資家マッチングアプリ化事件』
姉ちゃんの言葉はいつだって的確だ。でも自分の恋愛だけは迷走中らしい。
今日のログのタイトルは決まった。『恋の返信は、蒸らしが肝心』。
そして土曜日のデートが楽しみになってきた。今度は姉ちゃんがいる時間帯を狙ってここに来てもらおう。きっと面白いことになるはずだ。
僕はそんな予感を胸にキーボードを叩き続けた。渋谷の午後の陽射しが窓から差し込む中、クロスカフェの温かい空間で今日もまた一つ、恋愛の真理を学ぶことができた。
(第2話完 次話へ続く)
次回予告:
映える恋って、フラペチーノみたいにすぐ溶けちゃうんです。
#渋谷クロスカフェ #既読スルー #現代恋愛 #蒸らし #コーヒー哲学 #初デート予告
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます