由良さんこちら、手の鳴る方へ

ねこした

第1話

 カーテンの隙間から濃淡の夜空を見上げた。

 雲間に覗く月の光がスポットライトに見えて、琴葉は手をかざした。チップで彩られた爪も影を通して見れば、ただの指の延長だった。

 

 爪の先、積み上がった洗濯の山から、クリスマスツリーが影を伸ばしていた。白いオーナメントと金のリボンをまとった針葉樹。ほのかな月明かりに褪せながら、どれも主人公みたいに輝いている。


 琴葉はツリーをひと睨みし、カーテンを開け放った。駅前は季節のイルミネーションで彩られているのに、建物が乱立するこの地区は街灯が地面を照らすだけ。


 職場に提供してもらっているアパートは区画の末端。迷路の行き止まりのような場所にある。すすけた建物の敷地には砂利駐車場が整備され、視界だけは開けていた。

 琴葉が初めて持てたひとりの空間だった。



 日中よりも、月が真上にかかる今の時間帯が一番明るい。窓際にベッドを置いているから、月光浴がてら布団にテキストを広げ、資格の勉強をする。

 たまに聞こえるのは斜向かいの犬の声くらいで、邪魔になるほどうるさくはない。


 けれど、今夜は決まった客がある日。世間と同じことをしていたはずなのに。客が枕元のテキストを払いのけ、付箋がはらりと落ちた。琴葉が咎めると、客は同じ話を繰り返して収まりがつかなくなった。



 普段ならインテリアになっているスリッパをつっかける。グラスの破片が散乱して床を踏みしめるたび、砂利のように甲高い音を立てた。背に鈍さを残したまま、チラシをほうき代わりに手を動かす。

 整っているのは、ベッドの上くらいだ。


 足が蒸れてきた。夏を思わせる不快感に琴葉はスリッパを脱ぎ、地に足をつけた。足の裏に冷たい棘が這い登る。


 掃除をしていたのか、遊んでいたのか。気がつけばフローリングの溝はガラスの粒子でみっちり埋め尽くされている。細くて、先の尖ったもので掻き出す必要があった。


 騒ぎの痕を見つめながら、爪で床を叩いた。今ならミニツリーを乗せた偽物の爪が役立つかもしれない。ひと思いに爪先で細い溝をなぞる。

 

 犬の鳴き声が短く、響いた。

 つられるように視線を送ると、赤い光が窓いっぱいに横切った。


 赤く回転するランプが通りの角を折れ、私道に侵入してきたのが分かった。その灯りは、寝静まった住宅街には落雷のように眩しい。


 琴葉は背後のキッチンへと逃げ込んだ。気晴らしに期間限定の紅茶を淹れ、喉を潤す。カップの底に砂糖の丘が沈んでいた。


 

 砂利を踏む重厚な音のあと、ドアの閉まる音がふたつ。階段をのぼってくる靴音が錆びついた鉄骨を叩いている。


 インターホンが鳴り、音が壁に跳ね返った。カップの縁まで紅茶の波が打ちつける。

 吊り下げた鍋が頭に直撃して気を失わないかと思ったけれど、カフェインが効いて頭が冴えてきた。


 コツコツコツ——。


 扉を叩く音が続く。


「二度あることは三度ある……かな」


 琴葉は湿る手の平でカップを持ち直し、ドアノブに手を掛けた。外気と変わらない室温は丸い金属すら冷やしていた。


 

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