ネバーエンディングホワイト

秋待諷月

ネバーエンディングホワイト(上)

 その図書館には、奇妙なうわさがあった。

 これを読んでいるきみにとって、うわさはまだ、うわさのままだろうか。

 きみはもう、うわさの共犯になっただろうか。




 鈍い反応で左右に割れる自動扉を通った先では、年季の入ったカウンターが出迎えてくれる。

 バッグの中を探りながらカウンターの奥を覗き込むと、ストラップ名札を下げたエプロン姿の中年男性が、真剣な眼差しで本を読み耽っていた。

 ブックトラックの陰に隠れて床に座り込み、だが、大きくふくよかな体格ゆえに隠れきれないまま、男性は本の虜となっている。眼鏡越しに文字を追い続ける目は、横顔であってもキラキラと輝いているのが見て取れた。

 僕は笑いを噛み殺しながら、館内に響かない程度の声量を意識して話しかける。

「返却お願いします」

 その声で現実に呼び戻された男性は、びくりと飛び上がってから慌てて首を回し、僕を見つけて照れくさそうに頭を掻いた。

「やぁ、恥ずかしいところを。みんなには黙っておいてね」

「僕が黙ってたところで、みんなにはバレバレですけどね」

 意地悪く返しながら僕が視線を周辺へ巡らせれば、作業中の他の職員たちが苦笑混じりに頷いた。男性――この市立図書館の館長は、「そりゃ参ったなぁ」と参った様子も無く笑いながら立ち上がる。腹をカウンターに押しつけて、僕へ片手を差し出した。

「それで、どうだった? その本は」

 ふくふくとした館長の手に、僕はバッグから取り出した三冊の文庫本を渡す。一週間前に借りたホラーテイストのミステリで、おどろおどろしい表紙のデザインは、三冊とも全く同じである。

「面白かったです、結末が予想外で。でも、内容も文も濃くて読むのに苦戦したので、分冊カスタマイズして正解でしたね。元版だったら手が攣ってたかも」

「それは良かった。きみ、通勤のお供にしてるもんね。この厚さを持ち歩くのは肩が凝るからねぇ」

 わざとらしく肩を上下させつつ、館長は受け取った本を三冊とも、カウンターに据え付けられた黒い機械の上に置いた。

 三十センチ四方ほどの平たいもので、つるりとした表面に銀色のリング状ラインが入っている。ぱっと見は卓上IH調理器のようだ。

 館長が机上のキーボードをたぐり寄せ、太い指で器用にキーを叩くと、利用者側に向けられたディスプレイには書名とともに「返却を受け付けました」の一文が表示される。

 同時に、三冊の本の装丁が、真っ白に染まった。

 何気なく手を伸ばし、一番上に載った本の表紙を持ち上げて中を覗く。中表紙も、目次もあとがきも解説も奥付も、もちろん本文も、全てが白一色だ。

 僕が手を離すのを待って、館長は三冊の本を取り上げると、後方のブックトラックに移動させる。そこに並ぶ本は判型も背幅もまちまちだが、表紙も背表紙も、何もかもが白い。

 大きなお腹をぽんと張り、館長は「さて」と楽しげに切り出した。

「今日はどの本を借りていく?」




 印刷機の発明以降、世界で出版された書籍タイトル数は推定一億五千万を超える。日本国内に限れば、西暦二○三五年現在、出版業界のデータベースに登録された書誌の数は三百万目前。加えて、国内で新たに出版される本は年平均で八万点にも上る。

 日々生まれ続ける膨大な数の書籍に対し、日本の国土は狭すぎた。一施設に設置できる書棚の数と大きさには――蔵書収蔵能力には、物理的な限界がある。

 この問題に対し、大型書店が出す答えは普遍的だ。店頭には主に売れ筋とロングセラー商品を揃え、流行に応じて次々に入れ替える。利益の見込めない本に同情を寄せる余裕など無い、厳しい生存戦略である。

 他方、利益を度外視したマニアックな個人書店や、私立図書館やブックカフェ等であれば、限定的なニーズに応えられる本だけを選りすぐれば目的は果たせる。

 では、全ての国民の「知る自由」を保証するため、より広く深く多くの書籍を収蔵することが使命とも言える国立・公立図書館はどうか。

 見出した答えは、完全ペーパーレス化だった。




 分類番号9・1・3――「文学・日本・小説、物語」の棚の森を彷徨っていると、とある背表紙に目が留まった。以前に借りたファンタジー作品で、かなり好みだった覚えがある。棚から取り出して折り返しを見れば、筆者の作品一覧が掲載されていた。

 棚にあるのはこの一冊だけだったが、僕が落胆することは無い。気になった書名をスマホのカメラで写してから本を棚に戻し、再びカウンターへと足を向ける。

「これ、借りたいですんですけど」

 スマホを示しながら声を掛けると、館長は眼鏡を押し上げて画像の書名を確認し、「いいねぇ」と目を細めた。パソコンで書籍情報を呼び出しつつ、彼はウキウキと訊く。

「全五巻だけど、どうする? 全部いっとく?」

「いや、とりあえず一巻だけで」

「おっけー。四六のハードカバーと文庫があるよ。ちなみにこれ、挿絵が最高なんだけど、入ってるのはハードだけ」

「うーん……悩むけど、持ち運びを考えると文庫ですかね」

「なら、ハードを文庫カスタマイズしようか」

「あ、じゃあ、それでお願いします」

 僕が厚意を受けると、館長は下手くそにウインクして「お任せあれ」と請け負った。キーボードの命令に応じ、カウンターの横に設置された大型機械が唸りを上げる。

 高さは天井すれすれ、奥行き約一メートル。横幅は四メートル近くに及ぶ白い箱は、この図書館のどの書棚よりも巨大で、ほとんど壁のようである。ただし、その内部の大部分はパーツの収納場所となっていて、利用者からは見えない裏側は、郵便局の仕分け棚のようになっているらしい。

 機械の中から、シャシャシャ、と大量の紙を捌くような音が数秒間続き、それから、ガシャコン、と小気味の良い音が一度だけ響く。最後に聞こえる間抜けな電子音が製本完了の合図。館長が機械側面の扉を開けて取り出したのは、淡い色彩の装丁が目を引く文庫本である。

「はい、お待たせ」

 僕は差し出された本を受け取り、ざっと中を検めた。一瞬だけ見えた挿絵が緻密で美しく、自然と心が浮き立つ。読むときのお楽しみ、と、いそいそとバッグに収める僕の様子を微笑ましげに眺めつつ、館長は勝手に僕のIDを呼び出して、勝手に貸出手続きを進めている。

「貸出期間は二週間。タッチペンとセットで返却してね。判型と背幅以外のカスタマイズは自由で、設定変更は表紙裏のアイコンから」

「わかりました」

 お決まりのやりとりの間にも、館長の背後では、作業ロボットが返却済みの本を巨大な機械の中に手際よくセットしている。

 真っ白な本を、新たな本に生まれ変わらせるために。




 二○三十年代頭に登場した読書ツールデバイス、通称「ホワイトブック」。紙書籍の魅力と電子書籍の便利さを兼ね備えた、間の子のような存在である。

 表裏両面に画像や文字を表示させることができる極薄の電子模擬紙イミテーションペーパー――紙のような質感を持つ特殊素材のフィルムシート――を、何十何百枚と束ね、本文および背表紙を含む全装丁を再現表示することで、紙書籍を立体的に電子書籍化する技術。電子故に何度でも書き換えが可能であり、ネットで書籍データを購入・ダウンロードすることにより、一冊のホワイトブックで無数の本を再現できる。

 世界には本好き――特に、「紙」の本をこよなく愛する者が溢れている。

 ずしりとした本の重み。背幅の厚さがもたらす存在感と満足感。紙の質感。ページをめくる触感と音。ストーリーの流れの中を自在に行き来できる自由度。お気に入りの栞やブックカバーを添える楽しみ。

 どれだけ情報化が推進され、WEB小説や電子書籍リーダーが普及しても、紙書籍こそ至高という人種は少なくはない。ホワイトブックは、電子媒体に意地でも紙の魅力を取り入れんとした、本好きたちの努力の結晶だった。

 ただしホワイトブックには、紙書籍らしさを追求するがあまりの致命的欠点が存在する。ページ数・背幅の再現の限界である。

 例えば百枚のシートで構成された、つまり、二百ページのホワイトブックでは、三百ページの書籍を再現することはできない。逆に百ページの書籍を再現すれば、ページの半分が余ってしまう。当然、背幅にも不足・余剰が生じる。模擬紙を抜き差しし、背表紙専用シートで綴じることで調節は可能だが、そのためには専用の製本機が不可欠。加えて、複数の判型の本を再現するには数種類の模擬紙をストックしておく必要がある。データのダウンロードには紙や電子書籍と同様に購入費用が生じるため、総合的に考えれば紙書籍を購入した方が安価となれば、個人家庭での普及は難しかった。

 このデバイスに活路を見出したのが、公立図書館である。

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