ループ ~僕が本当に欲しかったものは~

結城 智

プロローグ

ループ ~僕が本当に欲しかったものは~

 あの時、こうしていれば――。

 人生というレールを歩く限り、一度は口にする台詞だ。たぶん二度、三度。

 痛い思いをせず、後悔もなく生き切った人間なんて、きっといない。誰だってそう。


 でも、僕だけは少し違った。

「ループ」

 やり直したい――そう強く念じると、僕は時間を巻き戻せる。

 一秒から、最長で十日前まで。


 この力を手に入れたのは、数年前。僕が中学二年の冬だ。

 当時、僕はある神社に通いつめていた。

 好きな子がいた。同じクラスの女の子。

 願掛けを言い訳にして、毎日のように拝殿の鈴緒を鳴らし「彼女と付き合えますように」と、しつこいくらい祈った。


 その神社は山の奥、鳥居の先にちいさな祠がぽつんとあるだけ。人影はなく、管理の手も遠のいて、鈴は少し錆びている。

 だからこそ、僕には都合がよかった。百日も通う恋の祈りを、誰かに見られるのは困るから。


 力を得たその日は、雪だった。

 積もった参道に、いちばん最初の足跡を刻むのは、だいたい僕。手袋を忘れたせいで指が痛い。息は白く、鼻の奥がつんとする。

 石段をのぼり、祠の前で手を合わせ、目を閉じる。

 ここまでは、いつもと同じ“日常”だった。


「お主がここに来て、今日で百日目だな」


 不意に、声がした。はっと目を開け、振り返る。誰もいない。


「そちらではない」


 導くように声が続く。祠の中だ。

 悪戯? ……でも、違う。

 祠は子どもでも窮屈なほど小さい。人が隠れる余地なんてない。なにより、人の声にしては、どこかこの世の温度を外れていた。


「誰だ」


 平静を装って声を出す。足は、ばれない程度に震えている。返事はしばらくなく、雪の気配だけが降り積もっていく。

 早く出てきてくれ。いや、やっぱり出てこないでほしい。もし出てきたら……悪霊退散! って言えばいいのか? 相手が悪霊かどうかも知らないけど。


「人の人生は皆、一回きりだ。なんとも不憫だと思わぬか、少年よ」


 やっと返ってきた第一声は、予想外の問いだった。会話の球筋を見失って、僕は一瞬、言葉をなくす。


「好いている者がいるのだろう、少年よ。ゆえに毎日ここへ来る」


 続く言葉に、今度は心臓が跳ねた。

 どうして? いや、恋の神様で名の知れた神社だ。毎日願掛けに来る中学生男子のジャンルなんて、だいたい一択だろう。

 病気平癒や合格祈願だってあるはずだけど、ここでは恋が主戦場。それにしても、ここまで当てられると、やっぱり、それっぽい何かを信じたくもなる。

 そもそも僕がこの神社を選んだ理由は単純だ。恥ずかしいから。

 町なかの大きな神社で百日連続は無理だ。同級生に見られでもしたら、翌朝にはホームルームのネタである。僕の精神はそんなに強くない。

 だったら、さっさと告白しろ。自分磨きでもしてこい。……その冷静なツッコミは今はやめてくれ。普通に傷つく。


「お主の願いを叶えるとは言わん。しかし、一つ、特別な力を授けよう」


 僕が黙り込んでいると、祠の声は雪の降りしきる隙間を埋めるように、淡々と続けた。


「特別な力?」


 しまった。オウム返しは興味を悟られるやつだ。


「その力の名は、ループ」

「ループ?」


 ……またやった。詐欺の勧誘に弱いタイプの典型じゃないか、僕。


「ループと念じれば、一秒から最大十日前まで、過去に戻れる」

「タイムスリップ……できるってこと?」


 この頃には、恐怖より好奇心が勝っていた。

 顔の見えない、何かと、僕はもう普通に会話していた。


「そうだ。この力があれば、思い通りの人生が送れる。好きな女がいれば告白すればいい。ふられたら時間を巻き戻せ。何度でもやり直せばよい。時間は戻るが、お主の記憶は消えぬ。失敗は次の一手に変わる」


 ……理屈はわかる。ただ、そこに心がついていけるかは別問題だ。

 時間が戻っても、胸の痛みは巻き戻らない。ダメージはちゃんと蓄積される。それでも、とんでもない力であることには変わりない。


「何度でも? さすがに回数制限はあるんでしょ」


 なるべく冷静に、僕は聞く。


「ない。無限だ。何度でもやり直せる。範囲は一秒から十日前まで」


 ……嘘だろ。それはもうチートだろう。

 人生は一度きり。後悔のないように――そんな金言は、この瞬間から僕には当てはまらなくなる。

 気に入らなければすぐリセット。テレビゲームみたいな人生。でも、そんなふうに生きた先に、今の僕は残っているのだろうか。


「どうだ。悪くない話だろう?」


 良すぎて、むしろ怖い。裏がある、と疑うのが健全だ。


「代償は? 寿命が縮むとか……大切な誰かが死ぬとか」

「ない」


 不安を打ち消すみたいに、即答。


「ない? それ、逆に変じゃない?」

「何故だ?」

「こういうの、等価交換ってやつでしょ」


 見えない誰かが、鼻で笑った気がした。


「等価交換? 欲深い人間が勝手に作った妄想だ。心配するな。お主から奪うものは何もない。百日欠かさず通った褒美と思えばよい」


 できすぎた話には、やっぱり不安がついて回る。浦島太郎みたいに、ふと気づいたらお爺ちゃんでした、みたいなオチはごめんだ。


「ただ一つ。ループできない……いや、してはならない瞬間がある」

「してはならない瞬間?」

「ああ。人の命を救うためのループは、違反だ」

「どういうこと?」


 言葉はわかるのに、意味が喉を通らない。


「すまぬ。きちんと説明しよう。たとえば、お主の大切な誰かが事故で死んだとする。そのとき、数日前に戻って事故を阻止するようなやり直し――それが違反だ」

「もし使ってしまったら?」


 心臓が速くなる。その状況は、現実にありうる。その場に立てば、僕は迷わずループを使うに決まっている。


「今後一切、ループの力が使えなくなる」

「……え、それだけ? 命を取られるとか、ないの?」

「ない。力を失うだけだ」


 胸から息が抜ける。それなら、もしもの時は、大切な誰かを救って、そこでこの力を手放すのもいい。

 それが真っ当な選択だ。


「——じゃあ、その力、僕にもらえる?」


 まっすぐ祠を見て、手を差し出す。


「ああ、よいだろう。ところでお主、名は?」


 このタイミングで名前を聞かれるとは思わなかった。


「名取総司(なとり そうじ)」


 名乗ると、神様は消える前に、ひとことだけ置いていった。


「総司。気をつけるのだ。この力は便利だ。大抵の苦難から逃れられる。ただ、いずれ気づくこれは“呪い”でもある」

「呪い? 代償はないって言ったよね」


 後出しはやめてほしい。心臓に悪い。


「いずれわかる」


 奥歯に物が挟まったみたいな言い方を残し、祠の気配は完全に消えた。


 ループの呪い。それは何だ。

 このときの僕は、深く考えなかった。

 けれど近い未来、思い知ることになる。

 ――やり直せることが、どれほど人を傷つけるのかを。

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