高坂夏生
第14話 笑顔の理由
「あんな感じで大丈夫だったかな?」
「よかったよ夏生くん。平然と言えてたじゃん」
「雪奈さんが見ててくれたから、勇気を出せたんだと思う。ありがとうね」
「んふふ~、私は夏生くんの彼女だからね、もっと頼ってくれたまえ」
「あはは、雪奈さんがいてくれるとホントに心強いよ」
夏生は今、雪奈とふたりきりで下校していた。
話している話題は、先ほど学校を出る前に、冴と接触した件について。
今日は一日中雪奈がそばにいてくれたおかげで、冴からの接触がほぼなかったのだが、夏生は帰る直前になって、自ら冴に声をかけたのだ。
もちろん、それも全て雪奈が考えてくれた作戦だった。
冴に興味を失ってもらうため、雪奈と付き合い、冴と接触する時間を極力減らす。基本的には雪奈がそばで警戒することで、予防線の役目を果たし、冴を寄せ付けないようにする。
そうしてほとんど接触なく時間が経過すれば、冴も少しずつ夏生への関心を失ってくれるかもしれない。
それが夏生と雪奈の基本方針だった。
けれど、それだけでは押しが弱いのもまた事実で、たとえ上手くいったとしても、いつまで待てば、冴が無関心になってくれるかもわからない。そこで雪奈から提案されたのだ。
冴を避けるだけでなく、こちらから、冴を突き放すようなことを伝える、ということを。
雪奈からアドバイスをもらい、夏生は教室の中で、自ら冴と接触した。まだクラスメイトたちがいるうちは、冴も本性を出すことができないからだ。
そうして冴へ、これからは一緒に登下校しないことを伝え、もう雪奈という恋人に夢中であるという印象を与えてきた。
普段の夏生は、冴を怒らせてしまわないように、喋る言葉一言一言に気を使っていた。
だから夏生は、一緒に登下校することを止めると、勝手に決めたことを冴に伝えるだけで緊張していた。
けれど、冴の元へ行く前に雪奈が手を握って応援してくれたおかげで、夏生は高揚した気分のまま、予定通りのことを冴に伝えることができたのだ。
普段の夏生だったら、臆病風にふかれてしまい、直前で止めてしまっていたことだろう。
だからこそ、後ろから見守ってくれていた雪奈の存在は、夏生にとってとても大きいものだった。
「学校でもずっと冴から庇ってくれたし、ホントにありがとね」
「いいっていいって、頼られるの嫌いじゃないんだ私」
「雪奈さんはかっこいいね」
「そこはかわいいって言うところじゃないの? ん~?」
「それは、もちろんその、か、かわいいと思ってるけど」
「んふふ、顔が赤いぞぉ夏生くん。これくらいで照れてたら恋人っぽくないから、早く慣れてほしぃな」
「う、うん。頑張るよ!」
「お~、その意気その意気。応援してるぞ彼氏くん」
雪奈とふたりで帰る道のりは、夏生にとって本当に楽しいものだった。
冴とふたりきりでいるときとはまるで違う。雪奈の温かい笑顔に癒されて、夏生も心から笑うことができた。
冴以外の女の子とふたりきりで下校などしたことがない夏生だが、雪奈のその明るさのおかげで、緊張することもなく、この時間を純粋に楽しむことができていた。
もし隣にいるのが雪奈ではなく、別の女子だったなら、夏生はこうも自然体で過ごせてはいなかっただろう。
きっと雪奈は、夏生のそんなところまでわかって、話しやすい空気を意識してくれているのだろう。そう思うと、夏生は本当に雪奈に頭が上がらない想いだった。
「雪奈さん、もし上手くいったら、僕ちゃんとお礼をっ!?」
話をしていた途中で、夏生の声が裏返る。
唐突に、なんの脈絡もなく、雪奈に手を握られたから。
ただ掴まれたというわけではない。雪奈は指を絡めるようにして、夏生の手を握ってきたのだ。それは、仲睦まじい恋人同士の手の繋ぎ方に他ならなかった。
そして、声が裏返るほど夏生が驚いたのは、それだけが原因ではない。
手を握られると同時に、夏生は雪奈から密着されていたのだ。
雪奈はまるで、自らの身体を押し付けるかのように、夏生に寄りかかってくる。
スマートな体型の雪奈だが、ここまで密着すると、さすがに雪奈の女性的な部分の感触を、夏生はしっかりと感じてしまって、そこに意識が持っていかれそうになってしまう。
いくら雪奈が恋人になってくれたとはいえ、あくまで冴から距離を取るための作戦だ。
だというのに、雪奈の感触に夢中になるわけにはいかない。
夏生は自らの理性をフル動員して、意識してしまわないよう必死になった。
「あ、あの、雪奈さん?」
「そのまま歩いて、つけられてる」
耳元で囁かれたその言葉を聞いた夏生は、一瞬で浮かれていた気分が吹き飛んだ。説明の少ない雪奈の言葉だったが、夏生はすぐに意味を理解したから。
冴が後にいるということを。
「今気づいたんだけど、見られてるみたい。疑われてるっぽいね」
身を寄せてきたまま雪奈が耳元で囁く。それがなんともこそばゆい感じがしたが、夏生は今の状況に集中した。
「僕たちが本当は付き合ってないってバレたのかな?」
「いやいや、私たちはちゃんと恋人だよ? オーケー?」
「あ、うんごめん。えっと、作戦だってバレちゃったかな?」
「たぶんまだ大丈夫だと思うけど、怪しまれてるっぽいから、もっと恋人らしくしよう」
「恋人らしくって言ってもどう」
そこまで言って、夏生はようやく、雪奈がこんなふうに身を寄せて、指を絡めてきた理由を理解した。
「ごめん雪奈さん。ここまでさせちゃって」
「なぁに気にしてんの? 恋人同士ふつーでしょ?」
本当に何でもないことのように言ってくれる雪奈。そんな雪奈の反応は夏生にとって救いではあったが、同時に疑問を感じるものでもあった。
「ほら、夏生くんも私の手を握って?」
首を傾げた雪奈が、上目遣いで覗き込むように顔を近づけてくる。
その綺麗な顔の破壊力に負けて、夏生は開いたままガチガチに固まっていた指を、ゆっくりと雪奈の手に絡ませた。
「うんうん、よくできました。夏生くんの手、あったかいね」
「あの、雪奈さん。そんなこと言わないで、けっこう恥ずかしいです」
「んふふ、うぶな夏生くんはかわいいねぇ。でも慣れなきゃだから頑張って!」
「うっ、雪奈さんがスパルタだ」
冴が後から着いてきている。そんな状況だと言うのに、夏生は不思議と笑えていた。
それも全ては、隣にいる雪奈のおかげで、夏生はこんな状況でも、その笑顔から目が離せなくなりそうだった。
「ん〜、とりあえず走ろっか?」
「冴が来てるの?」
「まだ距離あるけど、いつ乱入されるかわかんないし。ずっと見られてたら夏生くんもデート楽しめないでしょ?」
「で、デートって!?」
「じゃあそこ曲がったら走るよ。遅れないでね」
「え、あ、ちょっと雪奈さん!?」
角を曲がった瞬間、雪奈は迷いなく走り出した。夏生は手を引かれるがままに、慌てて雪奈のペースについていく。
そのペースは、軽いジョギング程度のものではなく、真剣に走らなければ、雪奈に置いていかれそうになるくらいには本気を感じるものだった。
夏生の手を引きながら走る雪奈は、目的地が決まっているかのように、迷いなく駆けていく。路地を何度もまがり、大通りの人混みにまぎれ、また走る。
夏生には今この瞬間が、まるで映画で追手をまくワンシーンのように思えて、走りながら妙な高揚感を感じていた。
「はぁはぁ、はぁ〜、あ〜走った。こんな走ったのマジで久しぶりすぎるんだけど」
どのくらい走っていたのだろうか。
雪奈がやっと立ち止まってくれたとき、後ろには、冴の姿なんて欠片も見当たらなかった。
天を仰ぎ、洗い息をゆっくりと落ち着けようとしている雪奈は、額から汗が流れている。
いくら寒がりの雪奈でも、これだけ走れば身体も暑くなるらしい。
当然だか夏生も汗をかいていて、ふたりのその汗が、けして少なくない距離を、本気で走ったのだと、証明しているかのようだった。
「ちょっと、もうちょっと待ってね。少しだけ休憩させて」
「うん。ゆっくりでいいから。ごめんね雪奈さん。こんなに走らせちゃって」
「いいっていいって! ていうか夏生くんが謝ることないでしょ」
「いやでも、根本的には僕のせいみたいなとこあるから」
夏生は今、純粋に雪奈へ申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
女の子は、体育の授業でもあまり本気で身体を動かさない。髪が乱れるし、汗をかけば化粧も落ちてしまうから、身だしなみに敏感な年頃ではなおさらだ。
だというのに、雪奈は冴から逃げるために全力で走ってくれた。息が切れても汗をかいても頑張ってくれたのだ。
だから、必死に息を整えようとしている雪奈の姿を見ているだけで、自分の事情に巻き込でしまったことが、夏生は本当に申し訳なかった。
夏生にとっては、雪奈が自分のためにここまでしてくれるなんて、思ってもいなかったから。
「黒川さんは、来てないみたいだね」
「うん。雪奈さんが一生懸命走ってくれたから、ありがとね」
「まぁでもこうなると、次はそれだね」
雪奈は夏生のポケットを指差す。
何かと思えば、夏生はポケットの中で、スマホが振動していることに気がついた。
取り出してみれば、当然のように冴からの着信で、そのままにしてもコールが止むことはなかった。
手の上で振動を続けるスマホの扱いに夏生が困っていると、隣から手が伸びてきて、スマホの電源を落としてしまう。
「こういうのは無視にかぎるよ」
「でも怒っちゃうんじゃないかな?」
「へーきへーき、私がそばにいてあげるからさ」
なんてことないように言われたその一言に、夏生は自分の頬が熱くなるのを感じた。
「ん〜、でもこのまま帰ったら、家の前で待ち伏せとかフツーにありそう」
「そ、そこまでするかな?」
「あまいなぁ夏生くん。警戒大事だよ。てわけで、このままふたりでデート行こう!」
「デートって、話の流れがよくわからないんだけど」
「そのまま帰ったら家前で鉢合わせ、だから時間ずらすためにデートします。おっけ?」
雪奈の言いたいことは夏生だってわかる。さっきから夏生がわからないのは、どうして雪奈がここまでしてくれるのか、そこだけだった。
「雪奈さんに悪いし、僕独りで時間潰すよ?」
「なに言ってんの、絶対デートした方が楽しいじゃん」
「それはそうだけど、雪奈さんは本当にいいの? このまま付き合わせちゃって迷惑じゃない?」
「ぜーんぜん。むしろ夜遅くまで帰さないから覚悟しなよ。あ、あと心配だから、帰りは家まで送ってあげるからね」
任せなさいと、自慢げに胸を張る雪奈。
その姿からは、面倒や後悔といった負の感情を、夏生は一切感じなかった。
一緒に逃げ切れたことを心から喜んでくれていて、本心から心配して、これからもそばに居てくれようとしている。
自意識過剰かもしれないと疑ってみても、雪奈の笑顔から受ける印象は、まったく変わらなかった。
それが、夏生が感じていた疑問でもあった。
「ねぇ雪奈さん。どうしてこんなに優しくしてくれるの?」
夏生は問いかけてみた。
答えを、雪奈の心の奥を知りたくて。
けれど問いかけへの答えとして返ってきたのは、いつもの見慣れた笑顔だった。
言葉はなく、目を細めて笑う雪奈。
視線が交差してすぐ、恥ずかしくなった夏生は、自分から目をそらした。
答えがなんにせよ、夏生はこの笑顔が見られるなら、もうなんでもいいような気がしたのだった。
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