第10話:原初の影 ―ノクスの眼―

 世界は黒い液体に沈んだかのようだった。


 音が消え、風も消え、色という概念すら失われた。

 ただ、深く深く落ちていく感覚だけがあった。


 リオは必死に光を放とうとするが、光が闇に触れた瞬間、吸われ、消えていく。


 (……光が……飲まれる……?)


 まるで世界の法則そのものが変わったようだった。


 そのとき――

 巨大な“眼”が、闇の底からゆっくりと浮かび上がった。


 黒い瞳孔がリオを射抜き、視線がぶつかった瞬間、

 胸の奥をつかまれたような衝撃が走った。


 ――見つけた。


 声にならない声が、脳内に直接響く。


 ――光の器。

 ――英雄の残響。

 ――お前を喰らえば、世界は闇に還る。


 同時に黒い波紋が空間全体へ広がり、世界が震えた。

 アストラ全域が、ノクスの意志で完全に呑まれていく。



「リオー!!」


 どこか遠くでカイの叫び声が聞こえる。

 しかしその声さえ、闇の中で歪んで消えた。


 リオは孤独だった。

 闇の中心で、ただ一人。


 (ここは……ノクスの“内部”……?

  それとも、意識の領域……?)


 答えはなく、ただ冷たい重圧だけが圧し掛かる。


 そのとき――

 闇の中に、もう一つの影が現れた。


 黒い翼。

 仮面の男。


 「……グレイ!」


 リオが叫ぶと、グレイの輪郭が揺れた。

 影を食われたせいか、身体の一部がすでに黒い霧のように崩れている。


 「来るなと言っただろう……リオ……」


 声は弱く、しかし確かな意志があった。


 「ノクスは……この世界で最初の“異界門”だ。

  扉として生まれ、扉として世界に在り続けた。

  いずれ……開き、呑む。

  それが存在理由だ」


 リオは歯を食いしばる。

 「そんなの理由にならない! 世界を壊すなんて、許されるわけがない!」


 「許される、許されないの問題ではない。

  ノクスは……ただ“役割”を果たしているだけだ」


 グレイは闇を押し返すように翼を広げるが、すぐに闇に削られ、形が崩れる。


 「リオ……聞け。

  ノクスがお前を狙う理由は一つだ。

  “光は闇の対極”であるからではない。

  光は――闇の“始まり”だからだ」


 リオは言葉を失う。


 「僕の光が……闇の始まり……?」


 「そうだ。

  英雄の力は“創造”の力。

  闇はその裏返し、影だ。

  影は光なしには生まれない。

  だからノクスはお前を喰らうことで……完全な“闇の完成体”になろうとしている」


 その瞬間、巨大な眼がゆっくりと近づいてきた。

 闇の波紋がリオの足元から飲み込み、身体が動かなくなる。


 ――見せろ。


 眼がリオの心の奥を覗き込む。


 ――恐怖。

 ――焦燥。

 ――喪失。

 ――絶望。


 心の中の影が強制的に引きずり出される。


 胸が締めつけられ、呼吸が苦しくなる。


 (……やめ……ろ……!)


 光が弱まり、リオの内側から光が漏れ、闇に吸われていく。


 「リオ!耐えろ!!」

 グレイが叫ぶが、身体が闇に囚われ、動けない。


 巨大な眼がリオに触れようとした――その瞬間。


 ――ドクン。


 胸の奥で、何かが震えた。


 温かい光。

 優しいぬくもり。

 英雄の声。


 ――まだだ。


 ――立て、リオ。


 ――光は、お前の中に残っている。


 光が胸から溢れ、闇を押し返した。


 巨大な眼が初めて揺らいだ。


 ――なに……?


 世界が震え、均衡が再度崩れる。


 グレイが呟く。

 「……やはり……英雄の核が……」


 リオはゆっくり立ち上がる。


 「僕は、負けない。

  光も闇も……僕が“選ぶ”。

  ノクス、お前に決めさせたりしない!!」


 光が溢れ、闇を貫いた。


 ノクスの眼が大きく開き、世界が激しく揺れる。


 ――光……!

 ――創造の光……!!

 ――危険だ……!!


 闇の意志が暴れ、黒い世界が崩壊を始めた。



 一瞬の静寂。


 次の瞬間、世界が白に弾け飛んだ。


 リオの光が、原初の影に“傷”をつけたのだ。


 ノクスの絶叫とともに、闇の空間がひび割れ、爆ぜた。


 グレイが叫ぶ。


 「リオ!!

  今の光を維持しろ!!

  ノクスを押し返せる!!

  お前なら――!」


 しかしリオの光は、別の方向へ向かって流れ始めた。


 まるで――

 誰かに“呼ばれている”ように。


 「……なんだ……この感覚……!」


 闇が裂け、突然、真っ白な道が現れた。


 光の道。


 その奥に――

 人影が立っていた。


 ぼやけた輪郭。

 それなのに、圧倒的な存在感。


 リオは思わず息を呑んだ。


 「……まさか……」


 グレイが小さく呟く。


 「英雄……?」


 光の向こうで、その影がこちらへ手を伸ばした。


 ――リオ。


 声が聞こえた。


 ――こっちへ来い。


 ノクスの闇が暴れる。


 闇と光とがぶつかり、世界が崩壊する。


 そして――

 リオは光に包まれ、

 闇の世界から引きずり出された。

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