第10話:原初の影 ―ノクスの眼―
世界は黒い液体に沈んだかのようだった。
音が消え、風も消え、色という概念すら失われた。
ただ、深く深く落ちていく感覚だけがあった。
リオは必死に光を放とうとするが、光が闇に触れた瞬間、吸われ、消えていく。
(……光が……飲まれる……?)
まるで世界の法則そのものが変わったようだった。
そのとき――
巨大な“眼”が、闇の底からゆっくりと浮かび上がった。
黒い瞳孔がリオを射抜き、視線がぶつかった瞬間、
胸の奥をつかまれたような衝撃が走った。
――見つけた。
声にならない声が、脳内に直接響く。
――光の器。
――英雄の残響。
――お前を喰らえば、世界は闇に還る。
同時に黒い波紋が空間全体へ広がり、世界が震えた。
アストラ全域が、ノクスの意志で完全に呑まれていく。
◆
「リオー!!」
どこか遠くでカイの叫び声が聞こえる。
しかしその声さえ、闇の中で歪んで消えた。
リオは孤独だった。
闇の中心で、ただ一人。
(ここは……ノクスの“内部”……?
それとも、意識の領域……?)
答えはなく、ただ冷たい重圧だけが圧し掛かる。
そのとき――
闇の中に、もう一つの影が現れた。
黒い翼。
仮面の男。
「……グレイ!」
リオが叫ぶと、グレイの輪郭が揺れた。
影を食われたせいか、身体の一部がすでに黒い霧のように崩れている。
「来るなと言っただろう……リオ……」
声は弱く、しかし確かな意志があった。
「ノクスは……この世界で最初の“異界門”だ。
扉として生まれ、扉として世界に在り続けた。
いずれ……開き、呑む。
それが存在理由だ」
リオは歯を食いしばる。
「そんなの理由にならない! 世界を壊すなんて、許されるわけがない!」
「許される、許されないの問題ではない。
ノクスは……ただ“役割”を果たしているだけだ」
グレイは闇を押し返すように翼を広げるが、すぐに闇に削られ、形が崩れる。
「リオ……聞け。
ノクスがお前を狙う理由は一つだ。
“光は闇の対極”であるからではない。
光は――闇の“始まり”だからだ」
リオは言葉を失う。
「僕の光が……闇の始まり……?」
「そうだ。
英雄の力は“創造”の力。
闇はその裏返し、影だ。
影は光なしには生まれない。
だからノクスはお前を喰らうことで……完全な“闇の完成体”になろうとしている」
その瞬間、巨大な眼がゆっくりと近づいてきた。
闇の波紋がリオの足元から飲み込み、身体が動かなくなる。
――見せろ。
眼がリオの心の奥を覗き込む。
――恐怖。
――焦燥。
――喪失。
――絶望。
心の中の影が強制的に引きずり出される。
胸が締めつけられ、呼吸が苦しくなる。
(……やめ……ろ……!)
光が弱まり、リオの内側から光が漏れ、闇に吸われていく。
「リオ!耐えろ!!」
グレイが叫ぶが、身体が闇に囚われ、動けない。
巨大な眼がリオに触れようとした――その瞬間。
――ドクン。
胸の奥で、何かが震えた。
温かい光。
優しいぬくもり。
英雄の声。
――まだだ。
――立て、リオ。
――光は、お前の中に残っている。
光が胸から溢れ、闇を押し返した。
巨大な眼が初めて揺らいだ。
――なに……?
世界が震え、均衡が再度崩れる。
グレイが呟く。
「……やはり……英雄の核が……」
リオはゆっくり立ち上がる。
「僕は、負けない。
光も闇も……僕が“選ぶ”。
ノクス、お前に決めさせたりしない!!」
光が溢れ、闇を貫いた。
ノクスの眼が大きく開き、世界が激しく揺れる。
――光……!
――創造の光……!!
――危険だ……!!
闇の意志が暴れ、黒い世界が崩壊を始めた。
◆
一瞬の静寂。
次の瞬間、世界が白に弾け飛んだ。
リオの光が、原初の影に“傷”をつけたのだ。
ノクスの絶叫とともに、闇の空間がひび割れ、爆ぜた。
グレイが叫ぶ。
「リオ!!
今の光を維持しろ!!
ノクスを押し返せる!!
お前なら――!」
しかしリオの光は、別の方向へ向かって流れ始めた。
まるで――
誰かに“呼ばれている”ように。
「……なんだ……この感覚……!」
闇が裂け、突然、真っ白な道が現れた。
光の道。
その奥に――
人影が立っていた。
ぼやけた輪郭。
それなのに、圧倒的な存在感。
リオは思わず息を呑んだ。
「……まさか……」
グレイが小さく呟く。
「英雄……?」
光の向こうで、その影がこちらへ手を伸ばした。
――リオ。
声が聞こえた。
――こっちへ来い。
ノクスの闇が暴れる。
闇と光とがぶつかり、世界が崩壊する。
そして――
リオは光に包まれ、
闇の世界から引きずり出された。
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