第7話:アストラ潜入 ―沈黙の真実―

 異界都市アストラへの潜入は、翌日の夜明けと同時に始まった。

 沈黙した都市の調査は急務だが、ポータルは依然として不安定。

 外部から強制的に閉ざされている可能性も高いため、学園は最小人数での潜入を決断した。


 選ばれたのは――

 リオ、カイ、アイリス、そして異界から保護された少年アンスロボス。


 「本当に……行くの?」

 医務室で、アイリスが不安そうにリオを見つめた。


 リオは頷いた。

 「行くよ。あの子が見た“闇”が本当なら、アストラは危険だ。放っておけない」


 アイリスは唇を噛む。

 「でも……あなたの力はまだ不安定。ノクスの影に近づけば、また……」


 不安は分かる。リオ自身だって恐れていた。

 英雄の残響エコーは強大だが、その力は制御を誤れば暴走し、周りを傷つけるかもしれない。


 だが、迷っている時間はなかった。


 そこにカイが豪快な声で割り込む。

 「心配すんなよ! リオが暴走したら俺が殴って止めてやる!」

 「……殴って止まる力じゃないと思う」

 アイリスが冷静に返す。

 「大丈夫だって、俺の炎なら――」

 「その炎が危ないのよ」

 「うぐっ」


 軽口が交わされ、ようやく空気が少し柔らかくなった。


 リオは眠る少年の髪をそっと撫で、微笑んだ。

 「大丈夫。きっと上手くいく」



 ポータル管理センター。

 薄暗い中央ホールの中央に、揺らぐ光の門が浮かんでいた。


 いつもは澄んだ青の光が、今は黒い靄を混ぜて重く揺れている。


 「……不気味だな」

 カイが呟く。


 カレン教授は険しい表情で分析を続けながら言った。


 「向こう側の空間が歪んでいる。ゲートが完全に閉じないよう誰かが“こちら側から”固定したがっているようだ」


 「ノクス……」

 アイリスが低く呟く。


 教授は振り返り、リオたちを見た。

 「お前たちが頼りだ。特にリオ。君の共鳴能力はゲートそのものにも作用する可能性がある。慎重にな」


 「はい」


 リオが頷くと、教授は静かに身を引いた。


 「行け。アストラの真実を確かめてこい」



 ――次の瞬間、視界が揺れた。


 異界の空気。

 重く、冷え、どこか湿った風。

 光の粒が漂い、地形は歪んだ岩と灰色の大地が続く。


 リオは息を呑んだ。

 ポータルの眩しさが背後で消え、世界が一転する。


 「ここが……アストラ……」


 アイリスが周囲を警戒しながら囁いた。


 アストラは本来、活気ある都市のはずだ。

 多種族が行き交い、アンスロボスたちが暮らす繁栄の中心。

 だが――


 都市は静まり返っていた。


 建物が軋む音。

 風に揺れる旗が擦れる音。

 人影は……ひとつもない。


 「まるで……全部が止まっちまったみたいだな」

 カイの言葉が重く沈む。


 リオは歩みを進める。

 足音だけが乾いた路面に響く。


 ――そのとき。


 「リオ……何か、聞こえる」


 アイリスが耳元で囁いた。

 彼女の能力感応識が反応していた。


 「遠くの方。すごく……歪んだ“声”が」


 リオは息を整えた。

 (嫌な気配だ……胸がざわつく)


 その先にあるのは、アストラの中央広場。

 広場は巨大な石柱群に囲まれ、都市の象徴が立つ場所。


 四人は静かに歩みを進めた。



 ――そして広場に辿り着いた瞬間。

 誰もが言葉を失った。


 広場中央に、黒い球体が浮かんでいた。

 縦横にひび割れ、内部から紫の光が漏れている。


 まるで“闇”そのものが形を成しているかのようだった。


 「……あれは……」

 アイリスの声が震える。


 子供が、リオの服をぎゅっと掴む。

 「……ノクス……の……“核”……」


 リオの背筋に冷たいものが走る。

 (あれが……ノクスが生み出した何か?)


 カイが一歩踏み出した。


 「壊せばいいんだろ? 俺の炎で――」


 カイの足が地面に触れた瞬間だった。


 黒い球の表面が波打ち、影が生まれた。

 まるで地面から立ち上がるように、影が形を成す。


 巨大な獣の姿。

 四足、岩石のような装甲、裂けた顎。

 闇から生まれた番犬――《テラス・ガルム》。


 「うわ、でけぇ……!」

 カイが構える。


 その咆哮が都市に反響した。

 静寂が破られ、闇が蠢く。


 「ここを守ってる……“核”を守るために」

 アイリスが分析する。


 リオは前に出た。

 「だったら――突破するしかない!」


 ガルムが突進した。

 地面が割れる。

 風圧が襲う。


 「カイ、炎を! アイリス、感覚支援を!」

 「任せろ!」

 「わかった!」


 カイの炎が炸裂し、アイリスがガルムの動きを先読みして誘導する。

 だが、ガルムは一撃ごとに再生し、闇を吸収して巨大になっていく。


 「……倒してもキリがない!」

 アイリスが叫ぶ。


 リオの胸が熱くなる。

 光が指先に集まる。


 (エコーを……使うしかない)


 だが――胸の奥の声が囁いた。


 ――まだだ。

 ――力を使うな。


 英雄の声。

 それは警告のようでもあり、励ましのようでもあった。


 「……でも……!」


 リオは歯を食いしばる。

 アイリスが叫ぶ。

 「リオ、ダメ! あなたが壊れちゃう!」


 ガルムが再び吠えた。

 闇が広場を覆う。

 カイの炎が押し返される。


 その時、少年――アンスロボスの子供が前に出た。


 「……僕が……やる」


 その瞳が開いた。

 そこには、淡い青の紋章が浮かんでいた。


 「え……?」

 リオが目を見開く。


 少年は震えた声で呟いた。

 「僕……“導き手(ガイダンス)”……アストラを……守る者……」


 彼の手が光を放つ。

 青白い光がガルムに触れる。

 ガルムの動きが一瞬止まる。


 その隙を、リオは見逃さなかった。


 「――エコーフィールド!!」


 光と光が共鳴した。


 ガルムが震え、裂け、爆散する。

 闇が霧散し、広場が静かになる。


 リオは膝をついた少年を抱きとめた。

 「ありがとう……君のおかげで助かった」


 少年は弱く微笑んだ。

 「……まだ……終わってない……“核”が……」


 リオたちは球体を見つめる。


 その表面に――黒い亀裂が走る。


 「……来るぞ」

 カイが息を呑む。


 次の瞬間、球体が砕け、闇の渦が立ち上る。


 そこから現れたのは――

 黒い翼。

 冷たい仮面。

 漆黒の気配。


 「やはり来たか――英雄の残響」


 グレイ・ヴァルドが姿を現した。


 広場の闘いは、まだ始まったばかりだった。

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