卒塔婆業平

宿仮(やどかり)

『卒塔婆業平』プロローグ

 桜は切られて、切株だけが残った。


 春になるたび、そこに腰を下ろす人がいるらしい、と誰かが言った。


 白百合女学園の裏手、小さな公園の隅。


 工事用の柵と注意書きに囲まれたその場所は、もう花見をする場所ではない。


 それでも、風のない日には、なぜか花の匂いがすることがある。


 歌が、残っているのだと――


 あとから思えば、そういうことだったのかもしれない。


 時間はまっすぐには進まない。


 ときどき、言葉に引っかかって、立ち止まる。


 誰かが詠んだ歌が、誰かの口を借りて、千年ぶりに息をする。


 それは奇跡でも、運命でもない。


 ただ、擦られたマッチの火のようなものだ。火は一瞬で。


 けれど、確かに世界を照らす。


 その春、切り株の上に座っていたのは、 ――帰り道を忘れた歌人だった。

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