第四章 皇太子選びの始まり

十八

思いも寄らないことで有名な皇太子選び。

朝廷に入ったらまず教えられるのが、この国ー道龍国がどのタイミングで皇太子選びが行われるのかということ。

朝廷で初めての仕事で教えられたことがこれだから、相当重要なことなんだろうと思っていたが、あのときは新人官吏だったのでそんなことしか考えていなかった。

あからさま、他人事。

「私が官吏になってから、朝廷でまず最初に教えられたのがその部署の仕事でもなく、人の顔や名前でもなく、先輩への挨拶の仕方でもなく…それでした。でもそのときは全然他人事で、何も考えていなかった…」

もしあのとき、皇太子選びについてもう少し考えていたらと思う。

あんなに一生懸命教えてくれていたのに、そうなのか。で終わらせてしまっていたのだ。

正直、皇太子選びのことはあまり頭に入っていない。

「しょうがない。皆、そんなものだ」

「簡吏部侍郎…」

「新人はまず先輩を見習わねければ。そこから、始まるのだからな」

「心旗殿下…」

先輩、か。

そういえば考えたこともなかった。

先輩を見習う、なんてこと。

「そういえば順英。君には皇太子選びに協力してもらうぞ?」

「なんで私?!!」

心旗に必要とされているのは嬉しい。でも、一介の妃である自分が何を手伝える。

義兄上あにうえたちが今回、本気を出さないとは思えない。もし義兄上たちが少しでも、やはり自分が皇帝になりたいなんてこと思い始めたら、本気を出して来るぞ」

義兄弟たちが本気のバトル…。

その光景はさすがに始めてみる。

「そんなっ…!」

「そんな酷いことは起きないから安心しろ」

「わかってます。すごく、優しい方たちだって。でもやっぱり…」

言いたい、ことがある。

「私はやっぱり、殿下が皇太子になってほしいです。あなたしかいない。この国の、皇太子殿下は…!」

「順英…?」

「本当に、あなたしかいないんだ。心旗」

「李正妃様!いくらなんでも、皇太子様になるかもしれないという方の名前をよびすてするのは…!」

簡吏部侍郎が慌てて入ってくる。

そうだ。

普通なら怒られる。

でもこの人たちはそんなことで怒りはしない。

少ない時間しか過ごしていないのに、なぜかそんなことを思ってしまう。

「簡吏部侍郎…!あなたは一回黙ってて!!」

自分ではあり得ない言葉で叫んだ。

叫ばれた簡吏部侍郎は信じられないほど、驚いている。

「あなたは皇太子の器がおありだ!その器を生かさないでどうする?!私が最大限まで活かしてみせる!!あなたがどれだけ皇太子にふさわしいか、私が今の陛下に見せつけてくる!!!」

自分でも信じられないくらいの大きな声。

こんな声、人生で初めて出した。

「お前、変わったな…。どこかとは言えないが、変わった気がする」

ふわりと心旗が微笑む。

「微笑んでいる場合じゃないですよ〜。で、私は何をすればいいんです?」

「まず父上は、各殿下は宴で出す出し物で皇太子の資格があるかないかを判断すると思う」

「すごいですね〜…。宴の出し物だけで、判断…」

「それから皇太子には何名か世話係の官吏が付くことになっている。皇太子のときから、官吏に馴染んでいなさいってことだろうな」

「すごいな〜。朝廷…」

それを考えた人を、尊敬してしまうのが順英のクセ。

「そうだな。私も初めて聞いたとき、感心して涙が出た」

「涙?!なんで?!!」

心旗は存外涙もろいのか?!

もしそうだとすれば、心旗の新しい情報がまた一つ手に入った。

「感動してな。その考えに」

「そうなんですか…」

としか言えない自分がなんだかいやだ。

そういうことに関しては、まったく興味がない。

「官吏側の選び方なんだが、少し複雑でな…」

「聞いてもいいですか?心旗殿下」

今にもこの部屋から飛び出しそうになっていた簡吏部侍郎が、部屋の隅から一瞬で戻ってきた。

(どんな耳、してんだ…)

自分は今、二人の天才に挟まれている気がする。

「もちろん。官吏側の選ばれ方は一つ。宴で、とびきりの未来への皇太子への忠誠心を書いた詩を陛下に献上したらいい」

「それだけですか?」

「ああ。今から、準備しておけよ?」

「教えてくださり、ありがとうございます!私は十日とおかほど家に引きこもるので、上司にそうお伝え下さい!!」

一般的に吏部侍郎の上司は吏部尚書りぶしょうしょである。

姓を取ってよう吏部尚書と呼ばれている。

本名が揺 せいだ。

「わかった。揺吏部尚書に言っておく」

「ありがとうございます!」

「そのままの理由では言わないから、安心しろ」

「はいっ!わたくしめは旅に出たのでお休みしますって、言ってください!!」

どこか肝心なところが抜けているのが、簡吏部侍郎だ。

いつもはしっかりしているのに…。

「別の理由で言っておく…」

心旗もわかってしまったのか、苦笑している。

「ありがとうございます!」

バカ正直なのが簡吏部侍郎。

この正直さには正直、何回も困らされたことがある。

朝廷の生活に一番向いていない人が、この人だ。

「殿下は科挙試験も合格を?」

「そうだな」

「皇太子になる方なのに?」

「昔は一番、皇太子から遠かったから受けたんだと思う」

「そうだったんですね…」

自分は簡吏部侍郎の勧めで受けた。

本当に無縁だった世界。

(無縁…ではなかったな)

父がかなり上の位の官吏だったから、心旗とは少しだけ面識があった。

でもそれだけのこと。

「それで私は、何をすればいいんですか?」

「君には陛下の前で捧げる演奏の準備を手伝ってほしい」

「?!」

演奏?何を、演奏したらいい。

楽器すらろくに弾いたことないし、弾いたことあるとしても官吏の演奏会程度。

それも身内だけの。

「む、無理です!!」

「確か領翠が楽器の名手だと」

「領…翠…?」

そうだ。その手があった。

「領翠に手伝ってもらえ」

「だから何を!」

「当日、私とお前で演奏することになっている。これはくじ引きで決定されていたらしい」

「く、くじ引き?!」

くじ引きが好きだったのに、一気にくじ引きというものが苦手になってしまった。

「ほかにはなんの演目があったのですか?」

念の為、聞いてみよう。

刺繍ししゅうを献上するとか、舞と似てしまっているが剣舞とか、生け花とか…」

どれも順英の得意分野だ。

なのに全部はずれて、苦手な演奏になった。

(私はなんて、運が悪い…)

「わかりましたよ、やりますよ」

「感謝する」

「これで失敗しても、お咎めなしに」

「もちろんだ」

(失敗なんてできない。これで心旗殿下の運命が決まるんだから)

失敗してもいいですか?なんて言えない状況だって、わかっている。

素直にがんばります、っていつか言えたらー

「殿下…」

「なんだ?」

「陛下って…呼ばせてくださいね…」

「言わせてやるよ。ずっと」

にこりと微笑むそれが決まられたことではないのに、なんでか前から決められていたことのようで。




◆◆◆


(順英はあんなにも可愛かったか?)

いつも見ていたが、今日は一弾と可愛らしい。

残月ざんげつ

「なんですか?殿下…」

「この簪、順英に似合うだろうか」

「似合うんではないでしょうか」

酒を飲みながら順英のことを考える。

「お酒もほどほどに。お身体からだに障りますゆえ…」

「ありがとう。それから、お前が順英とは気安く話してくれたこと、感謝する。順英はそのおかげで楽になれたはずだ」

「いいえ。殿下が大事なお方ですから、当然です」

「私の部下は皆優秀だから、私が頼りすぎてしまうんだよなあ…」

また豪快に飲む。

「で、殿下…!」

「わかっている!今日はこれまで。いいだろう?これで」

さかずきをコトリと机に置いて、酒を飲むのをやめた。


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