第6話:潜入
その夜、異朱はひとり、忍の里へと向かっていた。
洞耶に「忍とはもう関わるな」と告げられ、いてもたってもいられなくなったのだ。
忍の里に着くと、いつか歌丸と見上げた物見やぐらに松明の火が灯されていた。
異朱は影の一層濃い部分を選んで身をひそめると、なるべく音をさせないで村をめぐる柵に沿って奥の山の方へと進んでいった。
やがて、柵は山肌にあたって途切れた箇所にやってきた。
異朱は小枝が自分の皮膚を細かく傷つけるのも気にせず坂の藪をかきわけ木々によじ登り里に侵入した。
柵を越えた先は、ちょうど歌丸の弟の良太が修行していた「裏」と呼ばれている場所だった。
歌丸に教えてもらった夜目の術を駆使し、異朱は里で一番大きな屋敷の敷地内へと忍び入った。
しずかに、音を立てずに、床下へと侵入する。
ここでも、歌丸に教えてもらった聞き耳の術を用い、室内の様子に探りを入れる。
この部屋は、異朱がはじめて忍の里に招かれた際に通された、最奥の部屋であった。
目をつむり、精神を耳に集中させる。
すると大人の男のひそやかな声が、いくつか聞こえてきた。
そのうちの一人は、まぎれもない洞耶のものである。
異朱は、さらに耳に集中する。
「しかし、慈念寺にあるとされる座の連判状は、そんなに厳重に保管されているのですか。我々の手の者が失敗し命を落とすほどに」
確かに、そう聞こえた。
どうやら今回失敗した任務について話しているようである。
「なんでも、慈念寺の荘園領主が寝所にまで持ち込んで、大事に守っているのだそうな。この荘園領主がかなりのやり手で、ともに寝屋に入った歌丸が寝首をかこうとしたところを逆に縊り殺されてしまったということだ」
歌丸という言葉が聞こえ、異朱の全身に力が入る。
「あの穏やかな歌丸をもってしても荘園領主の油断を誘えなかったか。これは別の手を考えなければならぬなぁ」
一同の上に沈黙が降りる。
「しかし、歌丸が消されたとあっては、この里の次期棟梁は弟の良太ということになりますな」
しわがれた声で、確かにそのように聞こえた。
室内の老人どもは、歌丸が死んで間もないというのに、あろうことか既に次期棟梁の話をしているのである。
異朱の集中がわずかに乱れた。
その時である。
「なにやつ」
と洞耶の声がしたかと思うと、一振りの刀が異朱のいる床下を貫いた。
刀の刃は、異朱の頬にうっすらと赤い筋を作った。
急ぎ床下が改められ、あらわになった異朱の姿に、洞耶は「おぬしか」と驚く顔も見せずにこぼした。
「洞耶、この者は確か……」
御簾の内側からしわがれた声がたずねる。
「はい、先日傷を負った歌丸をこの里まで送り届けた者にございます。その後も歌丸が忍びの術の手ほどきをしていたようで、それでここまで入り込むことができたようでございます」
「なるほどのぅ……」
異朱は後ろ手に縛り上げられ、部屋の真ん中に強引に引っ張り出された。
射貫くような眼を洞耶に向けた異朱は、「良太はまだ幼い。俺ならできる。歌丸の失敗した任務につかせてくれ」と、なかば叫ぶように言った。
「そのような目をしていては、任せるものも任せられぬ」
洞耶はしずかにそう告げる。
「お前、歌丸の父親だろう、悔しくはないのか。俺が敵をとってやるって言ってるんだ!」
異朱はにらむように洞耶を見たが、その表情はまったくもって変わらない。
その時である。
「よいだろう。ひとつ、異朱といったか、おぬしに荘園領主の寝所から座の連判状を盗み出すという任務を与えよう」
と御簾の内からしわがれた声が聞こえた。
「御大」
洞耶がしずかにひとこと、御簾の内にそう呼びかけた。
それは驚きの言葉であったのか、たしなめる言葉であったのか、異朱には判別できなかったが、それまで平静を装っていた洞耶の仮面が崩れた瞬間でもあった。
「よいではないか、たとえ失敗したとしても、里の者ではないのだ。痛くもかゆくもない」
しわがれた声は、そう洞耶に諭すように語りかける。
「は」
と、洞耶は既に元の声色に戻り、短くそう返事をしていた。
こうして、異朱は臨時であるが、忍の里の一員として任務につくことになった。
歌丸を殺したという荘園領主など、俺がぶっ殺してやる。
異朱はただその一心で全身を熱くたぎらせるのであった。
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