第36話 終幕
いかに肉体を強化したとはいえ、二本の腕と七本の腕とでは埋められぬ差がある。
速度で勝るサミアでさえ、せいぜい致命傷を避けるので精一杯だった。
苛立ちを募らせたスティレオが、身の危険を顧みず渾身の一刀を振り下ろす。
その隙を逃さず、サミアは身を捻って躱すと同時に、鉈を黒き骨格へ叩き込んだ。
だが――硬い。削げたのは薄皮ほどの傷のみ。
「……かたい」
『クソガァアアアアア゛ア゛ア゛ッ!』
「そうイキるなっ――てッ!」
『グゥッ……!』
怒りのままに七本の剣を振り回すスティレオ。
そこへ、気配を断って忍び寄っていたディライトが、上空から蹴りの一撃を浴びせる。
顔面に衝撃を受けたスティレオは、七本の剣を地に突き立てながら、地表を滑るように後退していった。
再び距離を詰めたディライトとサミア。
スティレオの攻撃を凌ぎつつ、二人は確実に反撃を重ねていった。
勝利の光がわずかに見えかけた、その時――サミアの右手に握られていたナイフが、甲高い音を立てて折れた。
その一瞬の隙を逃さず、スティレオの剣閃が迫る。
サミアの命運が尽きるかと思われた刹那――割って入ったディライトが、その身を差し出した。
黒い軌跡が閃き、ディライトの左腕が切断された。
「……ぐッ!」
激痛に呻きながらも、ディライトは【反触ノ域】で断面を覆い、血の奔流を食い止める。
しかし、さらに振りかぶられた斬撃を、ディライトは魔力強化で強引に受け止めた。
だが――衝撃までは完全に殺しきれない。
刃が軋みを上げた瞬間、凄まじい圧力が全身を貫き、ディライトの身体は地を滑るように大きく弾き飛ばされた。
得物を1つ失ったサミアは、容赦なく振り下ろされる連撃に耐えるのがやっとだった。
『コノママ削リ潰スゥア゛ッ!」
勝利を確信し、嗤うスティレオ。
だがその瞬間――。
吹き飛ばされ、瓦礫を蹴散らしながら立ち上がったディライト。
その左肩と右手には魔術の光が奔り、触れ合うことで矛盾の力を生み出していく。
収束する異質なエネルギーは、やがて右の拳に一点へと凝縮された。
――【衝咆】発動の兆し。
異様な魔力の奔流に、スティレオの視線がわずかに奪われる。
そこへサミアが猛然と駆け出す。
斬撃の嵐をすり抜け、地に落ちていたディライトの左腕を掴み取った。
――スティレオが意識をサミアへと向けることができたのは、そこまでだった。
一瞬で距離を詰めたディライトの拳が、七本の魔剣を正面から叩き伏せる。
破壊の奔流を、どうにか受け止めたスティレオの視界に映ったのは――なおも殴撃の構えを解かぬディライトの姿。
そこに、もはや脅威的な魔力の塊はない。
弾かれた剣での防御は間に合わない。だが、ただの強化された一撃ならば致命打にはなり得ない。
それを凌げば――あとは、血を流すディライトと、武器を欠いたサミアを削り潰すだけ。
再び勝利を確信しかけたその瞬間、スティレオの腹に衝撃が奔った。
視線を落とせば、胴体に突き刺さる鉈。
そして、串刺しのごとくディライトの左手を鉈が貫いていた。サミアが拾い上げ、打ち付けていたのだ。
――まさか。
異常を覚ったスティレオは、すぐに理解する。右拳に纏われた魔術が、縫い付けられた左腕にも同時に展開していることに。
「斬られたからって、展開していた魔術がすぐ消えるわけじゃない」
『マッ――』
「零距離で喰らえば、流石に堪えるだろッ!」
ディライトが右拳を左腕ごと振り抜く。
矛盾の力がぶつかり合い、収束した膨大なエネルギーが弾けた。
――【衝咆】。
スティレオの身体を中心に、爆発的な破壊の渦が辺り一帯を飲み込んだ。
「おじさんッ……!」
地を抉り、瓦礫群を飲み込んだ破壊から逃れたサミアは、破壊の中心地へと向かって叫んだ。
「まだ27だよ、ガキんちょ」
視界がはれた爆心地で、失礼な呼びかけにディライトは反応を返した。
全身を傷だらけに、そして左腕を無くしながらも、なおもディライトは地に立っていた。
だが、全力での継続戦闘は難しい状態だ、もし今の一撃で仕留めることができないのであれば――。
ディライトの懸念は、ペンダントの形状に移行していたグレッグによって否定された。
『オレサマたちの勝ちダゼェ』
いち早く状況を悟ったグレッグの声に促されるままに前を見据えたディライト。視界に映ったのは、黒の異形と化したスティレオだが、もはやその出で立ちは半壊と呼べる状態であった。
七本あった腕は半分以上が折れ飛んでいき、握ることのできなくなった魔剣が周囲へと突き刺さっている。極めつけは、胴体に大きく空いた穴だ。
零距離で、破壊の化身ごとき威力を誇る【衝咆】を喰らったのだ。無事でいられるはずがなかった。
その巨体を今にも地へと沈めそうになっている有り様を支えていたのは、未だ消ええぬスティレオの意思だった。
死に体のスティレオから、か細い声が漏れ出る。
『や、ル、デハ、ナイカ……』
「遺言くらい聞いてやるよ、
『フッ……イラン、世話ダ』
自身の名をディライトが口にした、その確かな事実にスティレオは万感な思いを抱いた。だが、言葉通り、この世に生を保ち続けることができるのは時間の問題だった。
致命傷を負った身体を支える力は徐々に失われていき、意識も段々と薄らいでいく。
このまま、時間が過ぎていけば、スティレオの死をもって、この戦いは幕引きとなるだろう。
これだけ身体を犠牲にしても、ランク4であるディライトに勝てなかったという事実に、無力感を味わったまま、スティレオは意識を手放したかった。
だが、それを実行しないのは、仮面をつけた上司の存在が頭にあるからだ。
ただで【互酬匣】を渡すわけには、いかない。その価値を身を以て理解したからこそ、何の成果も得られず〈冒極〉側に渡ってしまえば、〈
部下の失敗は、上司への責任へと転化するのだから。
スティレオは、最後の気力をもってして全てを破壊し尽くすことに決めた。
『ノヴァライト……キ、サマ、ワタシノ誠実、ガ……独善、的ダトイッタナ――』
唐突に言葉を紡ぎ始めたことよりも、スティレオの内部で荒れ狂う魔力の波にディライトは違和を覚えた。
水でいっぱいに詰まった袋をデタラメに動かして、無理矢理袋を破裂させたがるようなそんな動きに、グレッグとディライトは焦りを抱く。
『おいディ、やべぇぞォ!?』
「分かってるッ」
『――ソノ通リダ。ダガ、一人善ガリ、コソガ、己ニトッテ一番ノ誠実ナノダアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!』
十中八九、自身を犠牲にした自爆をスティレオは行おうとしている。
ディライト自身、全力で魔力強化による防御をとれば、多少の損傷は被れど死に至る損害には届かないだろう。
だが、サミアは――。
ここまでサミアが戦ってこれたのは、獣人特有の力と、魔法生物としての力を取り込んだおかげだ。しかし、今は魔法生物の力をえるための取っ掛かりとなる鉈は失われてしまった。
離れた場所でサミアが倒れ込んでいるのが良い証拠だ。おそらく、魔法生物としての力を取り込んだ肉体への副作用だ。
自爆に勘付いたディライトが、サミアの元へ駆け寄るが間に合わない。
咆哮をあげたスティレオの身体から光が漏れると同時に、体内を渦巻く魔力が急激に膨張していく。
限界まで膨れ上がった魔力が、スティレオという器を突き破らんとしたとき――突如として、それは起きた。
「そんなに頑張らなくていいよ、レオ。お疲れ様」
『――ッ』
空中から出現した巨人のごとき2つの赤い手が、爆発寸前のスティレオの身体を包みこんだ。
そして、粘土をこねくるように両手を自在に動かしていく。
揉みこみ、すり潰し、何かを形作るようにして行われる手遊びが、三十秒ほど続いた結果。
ついに両手が開かれ、左手の平の先には【互酬匣】が、右手は未だ何かを閉じ込めるように握り込まれていた。
顔は見えない。空中から手を出した存在だけがいるが、誰かが確実にここを視ている。
その直感のもと、倒れ込んだサミアを背にして、ディライトは言葉を投げかけた。
「意気込んでた割に、救いの手か?」
「いや、彼は死んだよ。確実に――君の手で殺した。僕は力の抽出をしただけだね」
どこからともなく響く声が、ディライトの言葉へと返事を返す。
辺り一帯に視線を向けても、異常な手が2つ空中に浮かんでいるだけで、声の主の姿を発見することができない。
『自己紹介するには、まず顔と名前からってお母さんに教わらなかったかァ!? はい、オレサマの名前はグレッグ、銃器歴12年目ェ! どうぞよろしくゥ゙!!』
「あはっ。魔道具って、ほんとにおもしろいよねぇ」
「……どうする? 続けるならやるけど」
グレッグの独特な語らいによって、正体不明の声に喜色が宿る中、ディライトは継続戦闘の意欲を見せた。
だが、声の主はディライトの状況を正確に言い当てた。
「やめときなよ。ボロボロじゃん、君。それに、彼の意思は終わってない――最後まで相手してあげてよ」
正体不明の声がそう告げると、握っていた右手を開いた。
荒れ狂うほどの魔力が、ディライトへと解き放たれる。
「厄介だな――ほんと」
迫りくる脅威に、毒づくディライト。
先程の自爆はスティレオを中心とした指向性の定まらぬもの。
だがこれは、爆発のエネルギーを一方向へと差し向けたものだ。その威力は、先程の自爆よりも確実に上昇している。
――これは防げるか分からないな。
そう判断したディライトは、右手の薬指につけた指輪を外そうとして――。
「――しゃがむアル!!」
背後から飛んできたリンリンの声に、ディライトはサミアを覆うように身をかがめると、直後視界は暗闇に包まれた。
次の瞬間、猛烈なまでの衝撃が、ディライトたちを包む何かへと直撃した。
嵐を直接浴びるような重圧に、しばらく曝された一同だったが、なんとか耐え忍んだようだ。
暗闇の中、ほのかに差し込んだ明かりに、スティレオの執念の一撃を防いだ物体が何なのかをディライトは理解した。
「これでワタシの方が貸し多いネ」
「俺とリンリンじゃ貸しの比重が違うから。でも、ま――助かったよ」
「うぐぅ……おなかすいた」
身動きの取れないサミアを右手で抱え、立ち上がったディライトが目にしたのは、取手を断ち切られた巨大化した鍋であった。
意識を取り戻したリンリンが、重体の身体を引き摺りながらも鍋で全員をまとめて覆ったのだ。
結果、暴風雨から身を守るバンカーの如き役割を果たしたというわけだ。
五体満足、というわけにはいかないが、ここにいる全員が命を失わず敵を打倒できたという結果に、グレッグが喜びの声を上げた。
『一件落着って奴だなァ!』
「どうかな。【互酬匣】見事に持ってかれちゃってるし……何より、失うものが多すぎた」
だが、グレッグの声に反して、ディライトの声音に灯る感情の色は暗い。
前方へと視線を向ければ、空中に出現していた巨大な2つの手は、【互酬匣】諸共消失しており、声だけ響かせていた正体不明の存在も感じ取ることはできない。
更に、周囲へと視線を向けると、町のシンボルになっていた大聖堂の崩壊を筆頭に、瓦礫の山と化した建物群の数々。この破壊の爪痕は、町の各所で起きていることだろう。
それに、失われた人命の数も多い。
罪のない町民たちや事態の鎮静にあたっていた〈冒極〉職員、そして彼らの指揮を担っていた支部長のケインまでも――。
ディライトの言葉に、リンリンやサミア、グレッグまでもが続く言葉を見つけ出せずにいた。
重い沈黙を破ったのは、ディライトだった。
「なんつってね。過ぎたことばかりに目を向けていてもしょうがない。
「でも、ディ。腕が……」
徒労を身体全身で表し、〈冒極〉支部へと歩いていくディライトの背に、リンリンは声を掛けた。
ディライトから高位の【回復の小瓶】を振りかけられたとはいえ、リンリンの身体は未だ損傷は深い。そんなリンリンよりも、腕を一本失い、さらに全身傷だらけのディライトの方がよっぽど重症に見えた。
気丈に振る舞っているが、内心絶叫したくなるほどの激痛に悶えているはずだ。それに、リンリンにふりかけた【回復の小瓶】では、身体の欠損までは治しようがない。
そんな不安を言葉にしたリンリンだったが、予想に反して返ってきたディライトの声は我慢をしていない明るさがあった。
ディライトの視線が、腕がなくなった自身の左手へと注がれる。
「あーこれね。めっちゃ痛い」
「なんか、軽いネ……」
「策があるんだよ、策が」
そう言ったディライトの表情には、悪戯小僧のような笑みが浮かんでいた。
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