田島慧の場合ーオーブー


 あれこれ考えすぎたからなのか、息が浅くなる。

 ふといつの間にか握りしめられていた拳を開くと、俺は自分の手のひらが汗でびっしょり濡れていることに気づいた。


 ノートを閉じてからも、胸の奥がバクバクとうるさく跳ねている。

 “田島さん、聞こえてる?”

 という、先ほど見た短い文字が脳裏に焼き付いて離れない。


 蓮見さんは俺の顔色を気にしながら、もう一度室内を確認するように視線を巡らせた。


「……ブレーカーランプもオフになっていましたし、誰かが使ったような痕跡も……ない、ようですね」

 彼女は押し入れの中を開けてスマートフォンのライトで照らしながら確認し、人の気配がないか確認すると、ふぅ、と小さく息をついた。


 不動産会社の人とは言え、女性である蓮見さんにばかり調査させるのも申し訳ないと、俺もふらふらと立ち上がり、壁際のコンセントや電気スイッチを目で追う。

 何も刺さっていないし、通電しているように見える場所もない。

 ……なのに、メーターは回っていた?


 もしかして、昨夜、あの録音をしていた時間に?

 隣から聴こえた“あの音”と同じタイミングで?


 思考がぐらぐらしてくる。

 ひどく不安定で、おぼつかない。

 そして同時に、嫌な汗が、つつぅ……と背中を伝った。


「うーん……。結局、電気が動いてた理由はわかりませんね……」

 蓮見さんが申し訳なさそうに声を落とした。


「メーターの誤作動なのか、誰かが侵入したのか……正直、判断ができませんし……」

「侵入って……。でも鍵、開いてなかったですよね?」

「ええ。ですが……メーターが動いたという記録は残っているので……」


 蓮見さんはそう言いながら、持っていた黒い鞄から小さな端末を取り出し、室内を撮影していく。

 カシャッ、カシャッという音だけが静かな室内に響き渡る。


「田島さん、今日はお付き合いいただいてありがとうございました」

「あ、いえ……。でもなんか、何もお役に立てずにすいません」

 写真を撮影しながら礼を言う蓮見さんに、俺はたどたどしくもそう返した。


 本当に、俺は何もしてない。ただいただけ。

 まぁ立ち合いなんてそんなもんなんだろうけれど、結局俺のノートがなぜか部屋にあったぐらいで誰かがいたような痕跡もなかったし、問題の解決の糸口にすらならなかったし、何だか少し申し訳ない。


「いえ。一人だとやっぱり不安でしたし、ついて来ていただいて心強かったです。ありがとうございます」

 そう言って蓮見さんは照れたように笑った。


 ドクン──、鼓動が大きく音を立てる。

 そういえば、もう久しくちゃんと人と話してなかったな。

 

 一人がいい。

 一人になりたい。

 突発的に抱いたそんな感情のままに仕事も辞めて連絡先を全て断って、誰にも何も言わないままにここで生活を始めたけれど……。人といるのも、存外悪くはない。


 そんなことを思っていると、撮れた写真を確認していた蓮見さんが「え……」と小さく声を上げた。


「……これ、何……?」

 蓮見さんの声色が、明らかに変わった。

 驚きと、戸惑いと、どこか震えるような色。


 俺は心臓が跳ねるのを感じながらごくりと息を呑むと、「見せてもらっていいですか?」と、彼女にゆっくりと近づいた。

 蓮見さんの手元のタブレット端末には、さっき撮影したばかりの202号室の写真データが並んでいる。


 一枚目は、何の変哲もない暗い室内。

 二枚目も、特に何も変わりない、オフになっているブレーカーの写真。

 だが────。

 三枚目の写真だけが、明らかに異質だった。


「っ……これは……!?」

 部屋の一部。

 俺の部屋である203号室側の壁の方を移した写真に、白い“何か”が写っている。


 俺は息を呑んだまま、親指と人差し指で拡大するようにそっと写真をピンチアウトした。


 すると────画面いっぱいに、淡く発光する白い粒の群れがぼんやり浮かんでいた。


 埃や光の反射ではない。

 形に偏りがあり、数も多すぎる。

 人影──というほどはっきりしていないが、

 無数の“白い輪郭”が折り重なっているように見える。


「え!? これ……な、なに……? いったい、どうなって……」

 蓮見さんの声が裏返る。


 明らかに異質なそれに、俺も、蓮見さんも、きっと今ひどい顔をしていると思う。

 背中を冷たい爪でなぞられたようなぞわりとした感触が走る。


「照明、つけてましたっけ……?」

「い、いえ……。通電してませんし、写真を撮る時もカーテンが無いから外の光だけで良いかなって、フラッシュもたいてませんでしたし……」

「じゃあ……、この白いのって……光源はどこから……?」


 俺は写真を右にスライドすると、203側の壁を別角度で映した写真にも、同じように白く光る粒が散っている。


 小さな粒から、人影のような形を作りかけているものまで。

 いくつも、重なり、滲み、揺れている。


 蓮見さんの端末を持つ手が小刻みに揺れる。

「……こんなの、肉眼では……見えなかった……ですよね?」

「……見えてたらここにいませんよ……」


 自分でも情けない返事だと思ったが、本音だった。


 写真の中の光の粒──。

 それは、静止画なのに“動いているように”見える。

 じわり、じわりと広がって、画面の端へ溶けていくような錯覚を起こさせる。


 俺は知らずのうちに後ずさっていた。

 足元がもつれ、壁に背中をぶつけてようやく止まる。


 そう言えば、心霊系の番組で見たことがあるぞ。


 写真に写り込んだ光の球。

 たしか──────「オーブ……?」


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