黒崎探偵事務所-ファイル10 夢の記録(レコード)―覚醒の助手と、連鎖する悪夢―

NOFKI&NOFU

第1話 赤と白の暗号(コード)

・美咲の始動


その世界には、音が存在しなかった。


美咲は、まだ微熱が残る身体で、固いフローリングに座り込んでいた。

時計の秒針が動く音も、外を走る車の喧騒も、何も聞こえない。


まるで、分厚いガラスドームの中に閉じ込められたような静寂。

――否、違う。世界から音が消えたのではない。


音を聴く「美咲の意識」が、現実から半歩ずれているのだ。


「黒崎さん……」


震える唇から漏れた声は、

自身にさえ届かない、内側だけの振動だった。


事務所のデスクは、戦いの爪痕を残していた。


書類は散乱し、灰皿には山盛りの吸い殻。

そして、黒崎の定位置だった椅子が、まるで彼の体温を覚えたままの亡骸のように、冷たく佇んでいる。


黒崎は消えた。昨夜、テーマパーク『ファンタジー・ランド』の地下深くに踏み込み、白い着ぐるみと、その奥に潜む「管理者」に呑み込まれた。


美咲の脳裏には、彼が最後に送ってきた、

あの意味不明なメッセージが、朱色に焼き付いていた。


美咲のスマホに、最後のメッセージが届いていた。


――笑え。赤い風船が、観覧車で待っている。


その文面を見た瞬間、胸の奥の何かが、静かに崩れた。


「震える手でスマホを握り、無理に平静を装う」


それは単なる寝惚けた文章ではない。美咲のスマホに残された受信履歴と、黒崎のPCの未送信フォルダに残された、全く同じ文面。


彼が意識を失う直前に、理性の糸が紡いだ、

助けを求める最後の「暗号(コード)」だ。


美咲は、テーブルの隅に転がった、くしゃくしゃの紙片を拾い上げた。


「これ……」


それは、黒崎がパークに持ち込んだはずの、佐々木氏からの依頼書の切れ端。そして、依頼書の下には、パソコンのモニター画面のスクリーンショットが隠されていた。


タイトルは【夢幻遊園 記録No.00 ——再起動】。


「ふざけてる……」


そのファイルは、ただの書類ではない。

それは、黒崎のPCで開くことのできない、呪文(カタリ)のような、古びたデザインのアプリケーションだった。


美咲が恐る恐るそのアイコンに触れると、画面全体が、ノイズと古代文字のような記号に包まれた。


「うっ……」


視界の端に、観覧車の影が、黒い触手のように蠢く幻想が映る。高熱のせいで、現実と夢の境目が、ますます融け始めている。




・佐々木氏との会話


美咲は無理に身体を動かし、依頼人である佐々木氏へ電話をかけた。


「佐々木さん、美咲です。

 黒崎が……行方不明になりました」


美咲が状況を説明すると、電話の向こうで佐々木は絶望に沈んだような、深く乾いた声で答えた。


『やはり……私も予感がしていました。

 あの探偵さんの目には、私と同じ「闇」が宿っていた。

 彼は何かを見つけてしまったのでしょう』


「彼の最後のメッセージに、赤い風船が関わっているとあります。結衣ちゃんが持っていた、あの風船です」


『あの風船ですか……ええ、覚えていますとも。

 あれは、結衣が強請って手に入れたものでした。


 パーク内の「マーメイド・トレジャー」という、城の裏手の、

 ほとんど誰も使わない寂れたギフトショップ限定品なんです』


佐々木の言葉に、美咲は息を呑んだ。


「マーメイド・トレジャー……城の裏手……」


『ええ。普通のキャラクターショップとは違う、

 少し古びた、木製の扉のアトラクションです。


 あれは、パークが新しくなる前の「夢幻遊園」

 の遺構だと、 園内の古株が話していました。

 誰も気にしない、「忘れ去られた場所」なんです』


「ありがとうございました。行ってみます」


電話を切ると、美咲は額の汗を拭った。

黒崎が命懸けで残した「赤い風船」と「観覧車」。そして佐々木氏から得た「城裏の木製扉」。点と点が、一気に結ばれていく。




・監視室のアルバイト


美咲は次に、第3話で黒崎に情報を提供した、テーマパークの監視室でアルバイトをしていた松原に連絡を取った。松原は、オカルトとデジタルノイズを研究する、少し変わり者の学生だ。


「松原さん、黒崎さんが消えました。

 地下の映像記録が欲しい」


『ええっ!? 黒崎さんが? マジかよ、あの人……』

松原の声には動揺が走る。


『わ、わかりました。でも地下はもう警察が封鎖しているし、映像は「空白」のままですよ。あのノイズ、僕にも止められないんです』


「そのノイズに手がかりがある。第3話であなたが言っていたでしょう?

『時間そのものが抜け落ちたように』って」


『ああ、あれですか……ちょっと待ってください。そういえば、監視カメラ のシステム、特定の古いカメラだけが、常に「エラーログ」を吐き出していたんです』


『それは、現行システムよりはるか昔、「夢幻遊園」時代の遺構カメラらしいんですが……』


「そのログを送って」美咲は語気を強める。


『はい! 了解です。でも美咲さん、その熱、大丈夫なんですか? 声が、何か……ノカサレたみたいに聞こえますよ』


「ノカサレた?」


『夢に引かれることです。現実がぼやけていく……』


『気を付けてください。その体調だと、あの園はあなたを「夢の国の住民」として、歓迎してしまうかもしれません』


松原はすぐに、暗号めいたテキストログを美咲のPCに送信してきた。それは、日付も意味も持たない、ただの「ランダムな数字と記号の羅列」のように見える。


しかし、美咲の高熱に侵された脳が、

その羅列の奥に、秩序を見つけ始めた。


「……違う。これは、ランダムじゃない」


松原から送られたデータと、

黒崎のPCに残された【記録No.00】のファイルを並べた瞬間、美咲の心臓が不規則に脈打った。


松原のログは、映像の欠落箇所を示していた。そして【記録No.00】は、その欠落箇所の「時間」と「座標」を示していた。


「これは、園のシステムパスワード……

 それと、地下制御室のマップだ!」


黒崎は、自身のPCをマスターキーに変えて、

松原にアクセス権を与え、自分自身の捜索の道筋を立てていたのだ。




・覚醒の助手、夢の国へ


美咲は、高鳴る鼓動を抑え、椅子から立ち上がった。足元がふらつくが、熱が身体に満ちているおかげで、疲労感よりも強い覚醒感がある。


時計の秒針は相変わらず音を立てない。しかし、その時、美咲の目が捉えた光景は、確実に現実ではない何かだった。


事務所の窓の外。冬の曇天のはずなのに、一瞬、空気が白く弾け、赤黒い巨大な雲が立ち込める光景が見えた。


そして、彼女の視線の先――黒崎のデスクの隅。


小さな、色褪せた赤い風船の切れ端が、風もないのに、かすかに、わずかに、心臓のように脈動した。


美咲は、冷静さを装いながら、その風船の切れ端を拾い、依頼書と共に胸元に抱いた。


(私は風邪じゃない。熱に侵されたんじゃない。これは……鍵「アクセス」だ)


扉を開け、外の冷たい空気の中に足を踏み出す。


彼女の耳には、まだ何も聞こえない。

しかし、彼女の内側の意識には、遠く、地下の底から響く、不気味な「子供たちの笑い声」が、クリアに届いていた。


美咲は、決意を込めて、夜の闇に沈む遊園地へと歩き出す。


今、彼女は、探偵の「助手」ではない。


彼女自身が、夢の境界線を歩く「観測者」となったのだ。


そして、彼女のスマホの画面は、【夢幻遊園 記録No.00】から、次のメッセージを自動送信していた。



次回 第2話「囁く着ぐるみと、境界の薄皮」

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