第22話 世界一間違った選択
「待って。待って……!」
店を飛び出したところで、腕をつかまれて制止された。
慌てているからか、倉木さんの額には汗が浮かんでいる。その様子を確認する間にも、視界端に捉えた鈴川の後ろ姿はどんどんと遠ざかっていく。
はっと我に帰る。どうやら俺は咄嗟のことに頭が空っぽになって、反射的に鈴川を追いかけるような動きをとってしまったらしい。今頃さっきの部屋がどんな空気になっているか、正直想像するだけで頭痛がしてくる。
「戻ろう、御堂くん?」
「いや、しかし……」
「今ならまだ仕切り直せるよ、きっと」
困り笑いを浮かべながら倉木さんは言った。気のせいだとは思うが、あまり顔色が優れないように見える。
焦りとか困惑とかがごちゃ混ぜになった表情。もちろん、俺の勝手な感想だが。
「大丈夫。私、歌うのは結構自信あるから!」
技術力でみんなを魅了してやるのだと胸を張る。音程がきちんと取れるなら、倉木さんのよく通るソプラノはたしかに映えるだろう。
みんな知ってる人気の曲を完璧に歌いあげ、うまいね、すごいねと称賛を浴びる。そしてその横には、フィーリングでなんとなくハモってみた俺の姿もある。熱に浮かされた数分間の出来事に気恥ずかしさを覚えるかもしれないけど、みんな盛り上がってるからまあいいか。きっと、そんなことを考える。明日には今日こなかったクラスの面々にもその話が知れ渡って、俺も倉木さんもそれなりにからかわれる。その場のノリだってば~とか言って煙に巻くんだけど、合間合間でお互いにアイコンタクトを取ったりして、大変だったけどいい思い出になったかもな~なんて思うのだ。
少なくとも、今回れ右すればその可能性を残すことができる。差し詰めここは、引き戻しがギリギリ可能な境界線。
だけど。
「ごめん、ごめん、ほんとにごめん。さすがにこのまま放っておけない」
俺たちの高熱は、鈴川にとっての平熱。
もとよりあいつは素面で無茶ができるタイプの人種。
そんなやつが高熱に浮かされるとどうなるか、誰より一番その怖さを知っている俺が、見て見ぬふりをするわけにはいかない。
意識を失い、川の濁流に身を任せる鈴川の姿がフラッシュバックする。また、先日びしょ濡れで職員室から出てきた姿も思い出す。
きっと同じシチュエーションだといういやな確信が、俺に胸騒ぎを起こさせる。
今にもどこかから車が急ブレーキを踏む音がきこえて、少し遅れて誰かが硬いアスファルトに叩きつけられるんじゃないか。その誰かは、俺の知り合いなんじゃないか。思考がぐるぐる巡って完結せず、鼓動ばかりが早くなる。
もたもたしてはいられないのだと倉木さんの腕を振り払ってでも先に進もうとしたけれど、思ったよりもずっと強い力が込められていて、俺の脚はその場に縫い留められた。
「それでも、行かないで」
くちびるをかすかに震わせながら、倉木さんが言う。
精いっぱいの懇願。そんな趣。
「ごめん。絶対にお詫びも埋め合わせもするから」
後回しにできることと、できないこと。俺の体はひとつだから、時と場合に応じてドライな取捨選択を求められることもある。
もう二度と取りこぼすわけにはいかない。そんな行動原理の存在に、今さら気がつく。
「……なんで」
いよいよ声の方まで震え始めた。俺は致命的な間違いを犯している。そんなのは重々承知していた。やることなすこと、なにもかも不合理だ。
「私、なかよくしないでって、言ったのに」
言われた。
それに対し、俺は言葉を濁した。
無茶な相談だって、そう思っていたから。
「鈴川さんと一緒にいたって、御堂くんが辛くなるだけだよ」
その通りだった。
変に気にかけることなく適切な距離をとっていれば、きっと今だってこんなに焦っていない。
鈴川との関係は、俺になんのプラスももたらさない。
「御堂くんは、笑顔でいるべき人なんだよ」
鏡がないから確認できないけれど、たぶんひどい顔をしているのだと思う。
不安と焦り。そのブレンド。
鈴川にはやきもきさせられてばかりだ。心拍数があがっているせいか、脚の古傷までじくじく痛みだす始末。
放っておけばいい。俺に責任なんてない。
でも。
部活で結果が出なかったくらいで思い詰め、命まで投げ出そうとした極端で不器用なその姿に、俺は美しさを見出してしまったから。
いつかきっと裁かれますようにと願い続けるその健気な背中に、もういいよって、十分耐えたよって、いずれ声をかけてあげなきゃいけないと思ってしまったから。
それが、強制的に節目を迎えることになった俺の人生の、新たな役割なんだろうなって考えてしまったから。
倉木さんに出会う前から定まっていた指針を、今さら曲げるわけにはいかない。そう思う。
「帰ろう? 一緒に」
倉木さんはこちらの腰にすがりつきながら、必死に道を引き返そうとする。怪我をしたボロっちい脚では、いつまでも踏ん張れないかもしれない。
「このままだと、私、本当に泣いちゃうよ?」
なにをすれば俺が参ってしまうかよく理解した、最高の殺し文句。泣いている女の子が、俺はどうしてもダメなのだ。
「御堂くんのこと、これ以上困らせたくないよ」
胸のあたりに押し付けられた顔が熱い。
「私、御堂くんのことしか信じられないんだよ」
痛切な言葉に、聴覚が海に深く潜ったときのような閉塞感を訴える。
「お願いだから、信じさせてよ」
お前の行動は理解できない。理解できないものを信じることはできない。要するに、そういうこと。
契約以外に信じられるものを失った子がようやく手にした信に足るなにかを、俺は再びその手から奪い去ろうとしている。
それって最低で、意味がなくて、意味が分からない。与えてから奪うなら、初めからなにもしなければいい。
わかっている。
わかっている。
全部、わかっているんだ。
ここに残るのが正しい。どれだけ心配したところで、たぶん想像しているような最悪の展開が鈴川の身に起こることはない。
計算をしろ、御堂修磨。
なにが最高効率で、なにが愚行で、今後のことを考えたとき、俺にとってなにが一番なのかを。
難しいことじゃない。向かってくるボールに対し素直にバットを出して打ち返す。所詮その程度の難易度。
テストの第一問。誰でも解ける知識問題。
そして。
そして。
そして――
「……なーんでこっち来ちゃうかな~」
「そんなの、俺が一番おかしいって思ってるんだよ」
鈴川とふたり、道沿いのガードレールに並んで体重を預けながら、お互いどうしようもないなと乾いた笑いを浮かべ合った。
あまりにも清々しくどうしようもない、世界一間違った選択だった。
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