初夜から始まる異世界再生譚

斉城ユヅル

プロローグ──ある日、森の中、捕食者に出会った

プロローグ1──ねぇ、あなた、生きてる?

俺の名前は堂本誠司どうもと せいじ、28歳。


どこにでもいる普通のサラリーマンだ。



自宅と職場を行き来するだけの毎日。



ある趣味がなければ、俺は枯れ果てたゾンビになっていただろう。



その趣味とは、婉曲的えんきょくてきに言うなら、命の呼吸だ。



溜めて膨らみ、弾けて煌めく。


知的な虚脱も、魂の深呼吸だ。



誤解しないで欲しい。



俺が欲しかったのは《快感》じゃない。


生の《実感》だ。



禁欲20日目。


パンパンに膨らんだ命を煌めかせる日。



だが・・・



どうやら俺は、股間から体液を噴き出す前に、胴体から《血飛沫》をまき散らすことになりそうだ。



*



──ここはどこだ?



素早く左右に視線を走らせる。


右も左も鬱蒼とした深い森。目に痛いほどの緑の洪水。



息を吸えば土と草の匂いが鼻を満たし、ジメついた湿気が肌にまとわりついてくる。



そして、足からは謎の震動。


地面の揺れに合わせて、ドシン、バキンと煩い音も聞こえる。



なんだ?と視線を向ける。



大きな岩が砕け散り、大木の幹から木片が飛び散るのが見えた。


猛スピードで迫ってくる《黒い塊》も。



なんだ?とさらに目を凝らす。



それは──疾駆する巨大ないのししだった。


体高が2メートルくらいある巨体。


黒鉄色の毛並み、両脇に広がる白く鋭い牙。



掠るだけで細い木々が砕け、圧し折れていく。



あれなら俺の胴体など簡単に真っ二つにできるだろう。


どこか他人事のようにそう思った。



それはともかくだ。


理解できないことがある。



──何が起きた?



解禁日にウキウキしつつ、俺は自宅の扉を開いた。


一秒たりとも待てない!と期待に股間を膨らませて、玄関に飛び込んだ。



その続きも、よく覚えている。



飛び込んだ先は、《森》だった。


意味が分からないが、玄関が森だったのだ。



「は?」と振り返ったら扉が消えていた。



──理解、できない



だが、理解できないからといって、時間は止まらない。


破壊音が鳴り響き、みるみる大きくなる猪。


あまりの非現実感に、ぼんやり見つめた視線の先、血走った猪の《目》と、目が合った。



──殺す



《目》が、そう言っていた。



──え、俺、死ぬの?



頭が真っ白になった。


急に身体が芯からガタガタと震え出す。




『逃げろ!!!』




それは《本能》の絶叫。


その声に、ケツを蹴り上げられたように、俺は全力で駆け出した。



──嫌だ、死にたくない、ヤバイ、なんで



脳内で言葉は纏まらず、ただ《死を拒絶する感情》だけが残っていた。



両脚が力強く地を踏みしめる。


がむしゃらに薮を掻き分け、必死に走る。



「バシッ、ベシッ」と手で防いでも枝葉が容赦なく顔面を打ち付けてきた。


痛てぇ!



「ドクン、ドクン」と耳元で爆音のように響く音に気付いた。


心臓の音だった。



「はぁ、はぁ」と久しぶりの全力疾走に息が荒れた。


肺が焼けた。



「ブチブチ」と太ももの筋肉が悲鳴を上げた。


それでも俺の両脚は止まらなかった。



──だって、死にたくないから



走りながら振り返る。



木を圧し折り、倒木を踏み潰し、黒い巨大猪が真っすぐ突っ込んでくる。


あんなの追いつかれたら、絶対に助からない!



瞬間、視界が揺れる。



グルリと世界が反転した。


内臓が浮く嫌な浮遊感。



「う、わっ!?」



──崖!?



高さはビル4階分くらい?


死ぬ?骨折?



考える暇もない。



ビューッと耳元で風音が煩く渦巻く。


地面が、猛烈な勢いで視界一杯に迫ってくる。



──あぁ、あっ・・・



最期の瞬間、風の音が消えた。


視界の全てが地面になった。



最後に残ったのは、切れ端のような言葉だけ。



・・・最期に一回イキたかった



──ドサッ──



死の直前、俺を染め上げた強烈な《感情》は、魂を焼き尽くすような《後悔》だけだった。



*



暗闇の中、声が、聞こえた。



「ねぇ、あなた、生きてる?」



風に鳴る木の葉のざわめきも遅れて聞こえてきた。



・・・あれ、死んでない?



「ねぇ、生きてる?」



少しずつ視界が戻ってきた。


崖の下、眩しい陽射し、目の前には巨大猪の顔。



・・・終わった。ん?



猪の目が、閉じている?


よく見れば、頭部は切断され、落ちていた。



・・・死んでる。



「生きてるわね」



再び響く、穏やかで透明感のある声。


両手をついて体を起こしつつ、俺は声の主を振り返った。



そこに居たのは──明らかに人間離れした《美少女》だった。



本能的に視線が彼女の身体をなぞる。



まず、目を引いたのは風に揺れ、柔らかく波打っている《薄紫色》の長い髪。


次に、深く透き通る蒼い瞳。


顔立ちは整って凛としており、どこかいたずらっぽい。



服装は、ワインレッドの肘丈レザージャケット、その下に黒いインナーだ。


胸元しか覆っていないインナーを盛り上げる豊かな胸と深い谷間。



丈が短いため、引き締まったくびれ、おへそは晒されていた。



下は黒のショートパンツ。


スラリと伸びる脚には、運動部の女子高生の究極形みたいな健康美が宿っている。


脛丈のブーツまで大胆に素肌が晒されており、滑らかな肌の白さが目に痛い。



彼女の全てが、《男》の本能にズバズバ突き刺さるのに、絶対に手を出してはいけない《神聖さ》みたいな気配もある。



まるで──《女神》!



・・・まぁ、ここは異世界だし、本当に《女神》なのだろうか?


もしかして、チートもらえるのだろうか?



何故、《異世界》と分かるかって?


だって、彼女の頭の両側に5センチくらいの角があるんだもの。



*



声もなく美少女を見ていると、彼女は微笑んで手を差し伸べてくれた。



「上から落ちてきたので、驚きましたよ。ストンボアは倒しておきました。立てますか?」



美少女の手を握り締める。



──やわらかっ!?



手の小ささ、柔らかさにドキッとしていると、思った以上に力強く、グッと引き起こされた。


いきなりの全力疾走にガクガクする脚でなんとか立つ。



握った手を離し、ドキドキと暴れる心臓と焼けた肺を癒すべく、意識して深く息を吸った。



ようやく周囲の音、風景が頭に入ってくる。



崖の側、巨大猪の生首、そして、角が生えた──女神?


左手には刃渡り80センチくらいの剣を持っている。



──どう見ても本物だった



探るように彼女の服装を見る。


ジャケット、インナー、ショートパンツ以外は、黒い指ぬきグローブ、蒼玉の嵌め込まれた首元のチョーカーだけ。



視線を切り、見渡せば、木、木、木。


つまり、森だ。


どこにも道は・・・ない。



崖下は少し空き地になっていたようで下は砂だった。


これが岩だったらと思うとゾッとする。



一歩間違えば死んでいた。


背筋に冷たい汗が伝う。



「──《女神》」とか言っている場合じゃない。



もし、彼女と別れれば、異世界遭難だ。


それは──現状、確実な《死》を意味する。



「あの・・・」と言いかけ、名前が分からず言葉が詰まった。


「サフィアです。私の名前は、サフィア。あなたの名前は?」



澄み渡る青い湖のような、透明感と若干の神聖さを含んだ声音。



「・・・堂本誠司です。名は誠司。助けていただき、ありがとうございました」



凛としていた美少女──サフィアの表情が緩み、柔らかく微笑んだ。その微笑みは、陳腐だが、あまりにも可憐で、息が止まる。



「どういたしまして。困ったときはお互い様です。名はセージ。不思議な響きですね。セージと呼んでもよろしいでしょうか?」



美少女に下の名前を呼ばれ、何度も頷いてしまう。


そして、会話は止まった。



このまま、彼女から離れたら助からない。必死に質問を繋げる。



「サフィア・・・さん、つかぬことを聞きますが、ここから人の住む場所に行くには、どのくらいかかりますか?」


「・・・? 森を出るまで3時間くらいでしょうか。まだ外縁部ですから。セージは、戦える人ですか?さっきのイノシシは強い方ですが、他にも魔物が出てきますし、普人族には厳しいですよね?」



そもそも平和な世界から来たのだ。戦闘なんてできない。


が、それを明かしてもいいのか判断がつかない。


俺は咄嗟に誤魔化した。



「・・・実は、崖から落ちて記憶が混乱しているようで。名前は分かるんですが、他が思い出しにくく」


「それは・・・大変ですね」とサフィアが考え込む。



その目はやわらかく、心から同情しているように見えた。


ふと彼女の蒼い瞳と視線が合った。



本当に深い蒼だ。とても綺麗・・・?


ん?なんか、今、《ゾワッ》とした?



違和感に固まった俺に、彼女はニコリと微笑む。



「・・・そういうことなら、近くの街まで送りましょうか?」



*



サフィアの案内で、街に向かう。


持ち物を尋ねられるが、こちらの世界で価値あるものは何も持っていない。



「セージ。あなたは、魔術、職業、身に着けたスキルなど・・・何か1つでも思い出せますか?これまで何をしてきたのか?とか」



──魔術?



ふむ、この世界には魔法があるらしい。


しかし・・・彼女の質問にどう答えるよ?



サラリーマンで営業電話を掛けることが俺の仕事だ。


スキルはない、武器も使えない。何もない。



「・・・何も」



ホント、俺、この世界で何ができるんだろうな?



*



数時間歩き、日が沈むころ、俺たちは街に到着した。


街に入ってすぐの大通りには、ずらっと屋台が並んでいる。


道行く人の気配に少しだけホッとした。



立ち止まったサフィアが振り返って俺を見る。



「セージ、これからどうするつもりなんですか?」


「・・・いや、どうしたものかと。日雇いや出稼ぎできる場所はありますかね?」



生活保護とかなさそうな世界では、先立つものが死活的に必要だ。



「あります。ですが、今からだと、早くても明日の朝になりますよ。夜は治安が悪いですし。よろしければ、《私の宿》に来てください。・・・お力になれることがあるかもしれません」


「えっ・・・?」



驚きに眉が上がった。



まさか、この美少女と一緒の部屋!?


いや、まさかな。別の部屋を取ってくれるのだろう。



そうだよな?



頭の中が混乱と妄想で埋まったが、口は勝手に動いていた。



「お世話になります」



脳内を駆け巡る妄想の中、俺は人生最大の期待を抱えて、美少女のあとについていくのだった。



【プロローグ──ある日、森の中、捕食者に出会った 1/4】

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