読んだら共犯者!? 美しき犯罪劇団に巻き込まれました

マスターボヌール

第一話「観客への招待状」


親愛なる、まだ見ぬ観客へ。


この物語を開いた瞬間、あなたはもう観客席に座っている。

カーテンは上がり、舞台には光が差し込んでいる。

もう遅い。幕は開いてしまったのだから。


これは物語ではない。**演目**だ。

そして演目には、観客が必要なのだ。


さあ、ようこそ。

劇団幻影の舞台へ──。


黒沢蓮


---


月明かりだけが差し込む、古びた劇場の楽屋。


埃の匂いと、古い木材のきしむ音。壁には色褪せたポスターが何枚も貼られている。どれも、もう上演されることのない演目たちだ。


鏡台の前に座る一人の女性。


**椿美雪**──劇団幻影の副団長にして、主演女優。


彼女は鏡に映る自分の顔を、まるで他人を見るような目で眺めていた。白い肌、切れ長の瞳、紅く引かれた唇。完璧に整えられた顔。


「……今夜は、誰を演じればいいの?」


彼女は独り言のように呟いた。


鏡の中の自分は答えない。ただ、同じ表情で彼女を見つめ返すだけだ。


美雪は小さく息をつくと、テーブルの上に置かれた**台本**を手に取った。黒い革の表紙。金色の文字で書かれた題名。


『消えた宝石姫』


「……今夜の演目ね」


ページをめくる。台本には、彼女のセリフ、立ち位置、表情の指示まで、すべてが完璧に書かれている。


そして最後のページには、いつものように。


**【観客の反応:涙、拍手、称賛】**


美雪が台本を閉じようとした、その時。


「やあやあ、美雪ちゃん! 今日も綺麗だねぇ!」


突然、背後から陽気な声が響いた。


美雪は振り返らずに、ため息をついた。


「……茶々丸。いつから居たの?」


「最初からだよ! 僕は道化師だからね、いつでもどこでも現れるのさ!」


鏡に映ったのは、赤と白の道化服を着た少年。


**茶々丸**──劇団幻影の道化師。


彼は常に笑顔で、常に軽薄で、常に予測不可能だった。手には赤い風船を持っている。


「準備はできてるの?」


美雪の冷たい声に、茶々丸はニヤリと笑った。


「もちろんさ! 僕の念能力【失敗の成功(ファンブル・トリック)】は絶好調だよ! どんな失敗も、最高の成功に変えてみせるからね!」


茶々丸は風船を指で弾いた。パン、と軽い音。


風船は割れなかった。


代わりに、風船の中から白い鳩が飛び出した。


「……相変わらず、意味がわからないわね」


美雪は呆れたようにため息をついた。


「意味なんてなくていいのさ! 演劇に必要なのは、観客の驚きと笑顔だけだからね!」


茶々丸はクルリと回転し、鳩を空中でキャッチした。鳩は彼の手の中で、いつの間にかトランプのカードに変わっていた。


ジョーカー。


「さあて、そろそろ時間だ。団長が呼んでるよ」


茶々丸は美雪の肩を軽く叩き、楽屋のドアへと向かった。


「ねえ、茶々丸」


美雪が呼び止めた。


「なあに?」


「……観客って、本当に必要なの?」


美雪の声は、どこか寂しげだった。


茶々丸は振り返り、いつもの笑顔で答えた。


「当たり前じゃないか。観客がいなければ、演劇は成立しない」


「でも、観客は私たちを裁く。批評し、評価し、時には──」


「──呪うこともある。わかってるよ」


茶々丸の笑顔が、ほんの一瞬だけ曇った。


「でもね、美雪ちゃん。観客もまた、演目の一部なんだ」


茶々丸はドアを開けた。


「彼らが笑うか泣くか、それも含めて──舞台なんだよ」


---


劇場の中央、舞台の上。


そこに一人の男が立っていた。


**黒沢蓮**──劇団幻影の団長にして、演出家。


彼は白い仮面を被っていた。表情は見えない。ただ、その存在感だけが、舞台全体を支配していた。


黒いスーツに身を包み、手には一冊の台本。彼の念能力【完璧なる台本(パーフェクト・スクリプト)】によって書かれた、絶対の台本。


舞台の上には、すでに他の団員たちも集まっていた。


「……揃ったようだな」


蓮の声は低く、静かだった。


「よう、団長。今夜の演目は?」


声をかけたのは、巨大な体躯を持つ男だった。


**神代武蔵**──劇団幻影の悲劇の英雄。


傷だらけの顔に、鋭い眼光。彼は戦場で生き延びた騎士のような雰囲気を纏っていた。


「消えた宝石姫、だそうだ」


蓮は台本を開いた。ページが風もないのにめくれていく。


「舞台は王立美術館。目標は【流星の涙】と呼ばれるブルーダイヤモンド。推定時価、50億ジェニー」


「……高額ね」


美雪が呟く。


「だが、それだけではない」


蓮は仮面の奥から、団員たちを見渡した。


「このダイヤモンドは、かつて【旧旅団】が盗もうとして失敗した宝石だ」


一瞬、空気が張り詰めた。


【旧旅団】──かつて存在した、伝説の犯罪演劇集団。彼らは十年前、ある演目の失敗によって壊滅した。


そして、劇団幻影は、その意志を継ぐ者たちの集まりだった。


「……つまり、リベンジってわけか」


武蔵がニヤリと笑った。


「違う」


蓮は静かに首を振った。


「旧旅団は"力"で盗んだ。俺たちは"魅"で盗む」


蓮は台本を胸に抱いた。


「彼らは観客を恐怖で支配した。俺たちは観客を感動で支配する」


「……継承ではなく、反逆か」


舞台の端で舞台装置を調整していた男──**絵島創**が呟いた。


彼の念能力【立体錯視(トリックアート・リアリティ)】は、描いた絵を実体化させる力。彼の描く舞台装置は、現実と幻想の境界を曖昧にする。


「そういうことだ」


蓮は台本を閉じた。


「各自、持ち場につけ。開演は深夜零時」


蓮は、まっすぐ前を見た。


まるで、この物語を読んでいる**あなた**を見ているかのように。


「観客は──もう、席に座っている」


そして、蓮は小さく首を傾げた。


「だが──君がこの舞台を最後まで観るかどうかは、まだ決まっていない」


蓮の声には、わずかな好奇心が混じっていた。


「降りるなら、今のうちだ。ただし──」


蓮は台本を軽く叩いた。


「一度でも心を動かされたなら、もう遅い」


---


舞台の袖から、静かなピアノの音色が流れてきた。


**響奏**──劇団幻影の音楽監督。


彼女は舞台裏の小さなピアノの前に座り、指を鍵盤の上で滑らせていた。


奏は言葉を話さない。彼女の念能力【心の音楽(ハートビート・メロディ)】は、音で人の心拍数を操る力。


彼女が奏でる音楽は、観客の心を揺さぶり、感情を自在に操る。


ピアノの音が、ゆっくりと高まっていく。


まるで、これから始まる演目の序曲のように。


「……奏の演奏、いつ聴いても鳥肌が立つぜ」


声をかけたのは、照明機材を調整していた青年だった。


**光永瞬**──劇団幻影の照明技師。


彼の念能力【光影操作(ライト&シャドウ)】は、光と影を自在に操る力。彼の照明は、観客の視線を誘導し、現実を錯覚させる。


「瞬、照明の準備はいいか?」


創が声をかけた。


「ああ、完璧だ。今夜の照明は、観客の目を完全に支配する」


瞬はスポットライトのスイッチを入れた。


舞台が、眩い光に包まれる。


「さあて……」


茶々丸が舞台の中央に歩み出た。


「観客の皆さん、準備はいいかい?」


彼は、まっすぐ前を向いて笑った。


まるで、**あなた**に語りかけるように。


「今夜の演目は、最高に美しい盗みだよ。でもね、覚えておいて」


茶々丸の笑顔が、少しだけ歪んだ。


「あなたもまた、演目の一部なんだ」


---


深夜零時。


王立美術館は静寂に包まれていた。


警備員たちは巡回を終え、監視カメラだけが静かに回っている。


最上階の特別展示室。


そこに、【流星の涙】は展示されていた。


ガラスケースの中で、青い光を放つダイヤモンド。まるで夜空に輝く流れ星のように、美しく、儚い。


「……綺麗ね」


美雪が呟いた。


彼女は、いつの間にか展示室の中に立っていた。


警備員も、監視カメラも、彼女の存在に気づいていない。


「さすが、絵島の幻覚と瞬の照明ね。完璧な死角を作ってくれたわ」


美雪はガラスケースに近づいた。


「でも、このガラスケースには圧力センサーがついてる。触れた瞬間、警報が鳴るわね」


「そこで、僕の出番さ!」


天井から、茶々丸が逆さまにぶら下がって現れた。


「僕の【失敗の成功(ファンブル・トリック)】があれば、警報が鳴っても大丈夫! 失敗が成功に変わるからね!」


「……意味がわからないけど、信じるしかないわね」


美雪は深く息を吸い込んだ。


そして、念能力を発動させた。


【感情移入(エモーショナル・リンク)】


美雪の瞳が、淡く光る。


彼女は、自分の感情を相手に移植する能力を持っている。そして今、彼女が移植しようとしているのは──。


「……観客の皆さん」


美雪は、まるで誰かに語りかけるように呟いた。


「あなたも、感じてしまうかも」


美雪は目を閉じた。


「──悲しみを」


美雪の瞳から、一筋の涙が流れた。


本物の涙。


その涙が床に落ちた瞬間、館内にいる全ての警備員が、突然涙を流し始めた。


「な、なんだ……急に悲しくなってきた……」


「俺も……なんでだ……」


警備員たちは、理由もわからないまま涙を流し、その場にうずくまった。


──そして、もしかしたら。


**あなたも、今、胸の奥が少しだけ締め付けられているかもしれない。**


理由はわからない。

ただ、なぜか泣きそうになる。


それが、椿美雪の念能力。


**感情は、伝染する。**


「今よ!」


美雪がガラスケースに手をかけた。


ピピピピピ──


警報が鳴り響く。


しかし、その瞬間。


茶々丸が指をパチンと鳴らした。


「【失敗の成功(ファンブル・トリック)】」


警報の音が、突然ピアノの音色に変わった。


響奏のピアノ演奏。


まるで、これが演目の一部であるかのように、美しく、優雅に。


「……なにこれ」


美雪は呆れながら、ダイヤモンドを手に取った。


【流星の涙】は、彼女の手の中で青く輝いていた。


「成功だよ、美雪ちゃん! ほら、警察も来ないし、警備員も泣いてるし!」


茶々丸は天井から飛び降り、美雪の隣に着地した。


「さあ、退散退散! 次は武蔵と創の出番だ!」


---


美術館の正面入口。


そこに、神代武蔵と絵島創が立っていた。


「創、準備はいいか?」


「ああ。もう描き終えてる」


創は手に持ったスケッチブックを開いた。


そこには、美術館の正面入口が描かれていた。


しかし、その絵の中の入口は、現実の入口とは少しだけ違っていた。


扉が、半分だけ開いている。


「【立体錯視(トリックアート・リアリティ)】……発動」


創が念を込めた瞬間、絵の中の扉が現実の扉と重なった。


現実の扉が、半分だけ開く。


「よし、行くぜ」


武蔵が扉をくぐり抜ける。創も続いた。


しかし、その瞬間。


「──動くな」


低い声が響いた。


二人が振り返ると、そこには十数人の警備員が銃を構えていた。


「……チッ、バレたか」


武蔵は舌打ちをした。


「いや、違う。これは──」


創は素早く周囲を見渡した。


警備員たちの配置、武器、表情。すべてが計算されている。


「……罠だ」


「罠?」


「ああ。この美術館には、もう一つの警備組織がいる」


創は冷静に分析した。


「おそらく、ハンター協会の──」


「──特殊部隊だ」


新たな声が響いた。


警備員たちの後ろから、一人の男が現れた。


スーツを着た、長身の男。鋭い眼光と、冷徹な表情。


「私は鳴海正義。ハンター協会特殊部隊の隊長だ」


鳴海正義は、武蔵と創をまっすぐ見据えた。


「劇団幻影。君たちの演目は、ここで終わりだ」


武蔵は不敵に笑った。


「終わり? とんでもない。これからが本番だぜ」


武蔵は拳を構えた。


彼の念能力【悲劇的強化(トラジック・エンハンス)】──ダメージを受けるほど強くなる力。


「創、下がってろ」


「武蔵……」


「大丈夫だ。悲劇の英雄は、最後に必ず勝つ」


武蔵は地面を蹴った。


鳴海正義が手を挙げる。


警備員たちが一斉に発砲した。


銃弾が武蔵の体を貫く。


しかし──。


「がっ……はは、痛てぇじゃねぇか……!」


武蔵の体が、赤い光を放ち始めた。


傷が深いほど、強くなる。


「【悲劇的強化(トラジック・エンハンス)】──発動!」


武蔵の拳が、警備員の一人に叩き込まれた。


警備員は壁に叩きつけられ、気絶した。


「くっ……化け物め」


鳴海正義は眉をひそめた。


「さすがは劇団幻影。だが──」


鳴海正義は懐から何かを取り出した。


小さな銀色の笛。


「君たちの演目には、批評が必要だ」


鳴海正義が笛を吹いた。


高い音色が響き渡る。


その瞬間、武蔵の体から赤い光が消えた。


「……なんだ、これは……」


武蔵は膝をついた。


「これは【美学の笛(アエステティック・フルート)】。君たちの念能力を"批評"し、無効化する」


鳴海正義は冷たく笑った。


「芸術には批評が必要だ。そして批評は、芸術を殺すこともできる」


創は武蔵を抱え、後退した。


「……撤退だ、武蔵」


「くそっ……!」


創はスケッチブックに素早く何かを描いた。


煙幕。


絵が実体化し、辺り一面が煙に包まれた。


「逃がすか!」


鳴海正義が叫んだが、煙が晴れた時には、二人の姿は消えていた。


---


その頃。


美術館から数百メートル離れた廃ビルの屋上。


黒沢蓮は台本を開いていた。


ページが、風もないのに勝手にめくれていく。


第一ページ。美雪の涙。

第二ページ。茶々丸の失敗の成功。

第三ページ。武蔵と創の遭遇。

第四ページ。鳴海正義の登場。


すべてが、完璧に書かれていた。


「……予定通りだな」


蓮は仮面の下で微笑んだ。


「鳴海正義。ハンター協会特殊部隊の隊長」


蓮は台本の次のページをめくった。


そこには、まだ何も書かれていなかった。


いや──。


よく見ると、薄く文字が浮かび上がっている。


**【第二幕──泥棒と探偵】**


「さあ、次の演目だ」


蓮は台本をパタンと閉じた。


「観客諸君。楽しんでいただけているだろうか?」


蓮は、まっすぐ前を見た。


まるで、**あなた**を見ているかのように。


「……君たちは、もう観客席から降りることはできない」


蓮の声は、静かで、冷たく、そして──。


美しかった。


---


美術館から脱出した劇団幻影のメンバーたちは、アジトに戻っていた。


「いやー、危なかったねぇ!」


茶々丸が椅子に座り込みながら笑った。


「特殊部隊か……厄介な連中だな」


武蔵は腕を組んで唸った。包帯を巻いた体は、まだ痛々しかった。


「でも、ダイヤは手に入れたわ」


美雪はテーブルの上に【流星の涙】を置いた。


青い光が、部屋を照らす。


「……団長は、これも計算してたのか?」


創が呟いた。


「ああ」


蓮は仮面を外した。


その素顔は、驚くほど若く、そして──どこか虚ろだった。


「鳴海正義の登場も、すべて台本に書かれていた」


蓮は台本の最後のページを開いた。


そこには、こう書かれていた。


**【第一幕、終了】**

**【観客の反応:驚き、期待、そして──恐怖】**


「……恐怖?」


美雪が眉をひそめた。


「ああ。観客は気づき始めている」


蓮は台本を閉じた。


「自分たちが、ただの観客ではないことに」


茶々丸がニヤリと笑った。


「そう。**あなた**もまた、演目の一部なんだ」


蓮は立ち上がり、窓の外を見た。


夜空には、満月が輝いていた。


「さあ、次の演目の準備を始めよう」


蓮は振り返り、団員たちを見渡した。


「次の演目は──【泥棒と探偵】」


「そして、観客には──」


蓮は、まっすぐ前を見た。


まるで、**あなた**に語りかけるように。


「──もっと深く、この舞台に踏み込んでもらう」


奏のピアノが、静かに響き始めた。


まるで、次の演目の予告のように。


---


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

あなたは今、劇団幻影の演目の第一幕を観終えました。


そして──気づいていますか?


あなたはもう、ただの読者ではありません。

**観客**です。


そして観客は、演目が終わるまで席を立つことはできません。


次回、さらに深い舞台へとご案内します。

どうぞ、最後まで席を立たないでください。


いえ──正確には。


**もう、立てないのです。**


──黒沢蓮より


---


**次回予告**


劇団幻影の次なる演目は、【泥棒と探偵】。

舞台は豪華客船。観客の中に紛れ込んだ団員たち。

そして、鳴海正義率いる特殊部隊の追跡が始まる。


美雪は問う。「本物の感情とは、何?」

茶々丸は笑う。「失敗こそが、最高の成功さ」

そして蓮は告げる。「次の台本は、もう書き上げている」


観客諸君。

あなたはまだ、降りることができると思っているのか?


**第二話「泥棒と探偵」──Coming Soon**

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る