第53話 コート上の女神たち
新設されたばかりの聖諒学院高等部、その自慢の一つでもあるアリーナ体育館。
高い天井には最新の照明設備が綺麗に並び、磨き上げられた床は濡れたような艶を帯びて、頭上の光を水面のように映し出している。
キュッ、キュッ、とシューズが床を擦る高い摩擦音。
ダム、ダム、とボールが弾む低い音。
それら全てが広い空間で幾重にも反響し、独特の熱気を生み出していた。
授業は手前が男子、奥が女子のコートに分かれて行われる。
怪我人の俺は、当然ながら蚊帳の外。壁際のパイプ椅子を特等席として、そこからぼんやりとコートを眺めることしかできない。
ピーッ! 試合開始のホイッスルが鳴り響く。
「っしゃあ! パスパス! こっち!」
コートに飛び出した我が友・健太は、まさに水を得た魚だった。
教室での勉強中は死んだような目をしているくせに、ボールを持った途端、別人のように生気が宿る。
小柄な体格を活かしたスピードはクラスでも群を抜いていて、大柄なディフェンスの間を縫うように、縦横無尽にコートを駆け回っていた。
「小園、頼んだッ」
「任せろ!」
味方からのパスを受け取ると、そのまま一気に加速。
あろうことか、経験者特有の低いドリブルと緩急(チェンジオブペース)だけで、運動自慢の陸上部員をあっさり抜き去ってしまった。
さすが、来る日も来る日も部活でボールを追いかけているだけのことはある。
ふわり、と宙に舞うようなレイアップシュートが、吸い込まれるようにネットを揺らす。
「キャーッ! 小園くんすごーい!」
「やるじゃん小園!」
女子コートの待機列から、黄色い歓声が上がる。
健太の奴、嬉しそうにガッツポーズなんかしちゃってまあ。
ううむ、悔しいが、素直に格好いいと思ってしまった。あいつも黙ってスポーツだけしていれば、それなりにモテそうなものを。
ここがアイツにとって数少ない、輝ける聖域なのだと再認識させられる。
言っておくが、俺だって運動は得意な方だ。
この怪我さえなければ、他の運動部員に見劣りしないくらいの動きを見せる自信は、ある。
……まあ、さすがに本職であるバスケ部の健太には、敵わないだろうけど。
それでも、今はただの動けない見学者に過ぎない。
そんな男子たちの野太い熱気と、健太の活躍を横目に。俺の視線は、磁石に引かれるように奥のコートへと吸い寄せられていく。
見るなという方が無理だ。
そこには、圧倒的な『華』があったのだから。
「ナイスシュート! さっすが萌ー!」
弾むような声と共にハイタッチを交わしているのは、どうやら高階さん。
指定の体操服を少しだけ着崩し、ハーフパンツから伸びる健康的な脚が眩しい。
彼女特有の華やかさはコート上でもしっかり健在で、動くたびに長い髪と膨らみが揺れ、その場の空気を明るく染め上げてしまう。
特に、彼女が腕を上げてシュートを放つ瞬間の。
ふわり、と体操服の裾が浮き上がり、引き締まった白いお腹がチラリと覗くのが、また何とも……男子には毒な光景。
無防備というか、健康的な色気というか。まったく。
ここから見ていると良くわかる。
男子連中の反応はと言えば、待機組が思い切り鼻の下を伸ばしているのはご愛敬としても。
呆れたことに、試合中の奴らまでが、ボールを追うフリをしてチラチラと隣のコートへ視線を盗んでいる始末だった。
おい、マークが外れてるぞ。集中しろ、集中。
やれやれ。健太の予言通り、男子の本能はどうやら正直すぎるらしい。
けれど。
その太陽のように華やかな高階さんですら、霞んでしまうほどの『異質』な存在感が、そこにはあった。
私立、聖諒学院高等部2年3組、出席番号10番。入学からただの一度も主席を明け渡したことのない『才媛』、九条 葵──
彼女の細い指先がボールを捉えた瞬間、コートの空気が一変する。
男子連中の視線は、ついさっきまで高階さんの健康的な肢体を追っていたはずだった。だけど今、彼らの視線は吸い寄せられるように、ただ一点、彼女の姿に縫い留められて動かない。
俺だって、そうさ。
毎日、家でも学校でも、嫌というほど見ているはずの姿なのに。
これは男子だけじゃない。
女子さえもが、そのあまりに完成された所作に息を呑んでいた。
高い位置で一つに束ねられた黒髪が、動くたびに鞭のようにしなり、白く華奢なうなじが露わになる。
普段は隠されているその強烈な白さが、目に焼き付いて離れない。
特筆すべきは、その圧倒的なスタイルか。
周りの女子生徒よりも優に頭一つ抜けた長身と、日本人離れした手足の長さ。モデルとして鍛え上げられたその肢体は、コート上において「存在そのものが
彼女は、健太や高階さんのように激しく走り回ることはしない。
そう、無駄な動きが一切ないのだ。
その理由は明白。
授かったあの長身と、すらりと伸びた長い手足──それ自体が、コート上における圧倒的な『武器』となっているからではないだろうか。
長いリーチが生み出す一歩は、相手の二歩分を軽々と制する。どんなに激しいコンタクトの中でも、彼女の体幹はブレない。
相手ディフェンスがボールを奪おうと手を伸ばしても、頭上高いキープには指先ひとつ触れることすら叶わない。
『静』の支配者。
その落ち着き払ったプレイは、持って生まれた才能と、そして何より……。
ゴール下。フリーになった彼女がすっと足を止める。
膝を柔らかく使い、長い腕がしなやかに頭上へと伸びた。指先から放たれたボールは、芸術的なほど高い放物線を描いて──
スパッ。
リングに触れることなく、ボールが吸い込まれる。
ネットだけが心地よい音を立てて──極上の施しを受けて、満足そうにその身を揺らしていた。
……やっぱり君は、綺麗だ。
シュートを決めた彼女が、ふと顔にかかった髪を耳にかける。
その何気ない仕草の一つ一つまでもが、俺の網膜に焼き付いて離れない。
今のこの涼しい顔は、水面を優雅に進む白鳥と同じ。
あの優雅なシュート一本の裏に、どれほどの泥臭い積み重ねがあるのか皆知らないだろう。
額に滲む汗が、彼女が決して人に見せることない
ふと。
意中の華が、くるりとこちらを振り返った。
遠く離れた壁際。
大勢の生徒がいる中で、彼女の視線は迷うことなく一直線に俺を射抜いている。
そうして、俺と目が合ったことを確認すると。
彼女は誰にも気づかれないほど小さく、胸元で手を振ってみせた。
いつもの『委員長』でも『高嶺の花』でもない。ただの愛らしい少女のように、ふにゃりと微笑んで。
ピッ、ピーーーッ!!!
耳をつんざくような笛の音が、館内に鳴り響いた。
「こらアアッ! そこの男子どもォオ!」
体育担当、鬼塚先生の怒号が炸裂する。
竹刀片手の昭和スタイルではないけど、そのド迫力は現代のコンプラ社会でも十分に通用する恐ろしさ。
「よそ見ばっかりしおって、真面目にやらんか! 全員、ダッシュ十本追加だ!」
「ひいいっ! す、すいません!」
あらら。蜘蛛の子を散らすように走り出す男子たち。
その無様な光景を、安全圏から眺めるのは何とも言えない優越感がある。
……まあ、気持ちは痛いほど分かるけどね。
あんなものを次から次へと見せつけられたら、ボールなんて目に入らなくなるのも無理はないよな。
ドンマイ、お前ら。
一番見入っていたのは俺だというのに。ごめんな。
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