第22話前半 合流前の一息
ふーっ、とニーナは煙草の煙を日が昇る前の空へ飛ばす。
薄暗い森の中、ランプを一つ置いて相手を待っていた。
つ、と視線を前へ向ける。
ニーナの視線の先。白けた森の影からすらりと背の高い人物が現れた。
頭から膝辺りまで包み隠すフードを被り、その外見だけでは性別も年齢も分からない。
その人物は一切のためらいもなくニーナのもとへ近寄る。一歩分の距離だけ残して立ち止った。
ニーナ自身も180㎝を超える高身長だがその人物はもう少し大きい。一瞬男性かと思ったニーナだが、ちらりとフードの影から見えた相手の顔立ちに少し目を見張る。
「ああそうか。その身体自体は女のものだったらしいな。ギフト持ちが機能を使い過ぎると怪物になると〝ボア〟から聞いてはいたが、記憶とか性別も引き継ぐのか?」
ニーナは無遠慮に相手のフードを払い、顔を晒させた。
フードが落ちる微かな風に小麦色の長い髪が揺れ、影にあった瞳が琥珀のような色をしていたことが明らかになる。絵画に描かれたような女性に、ニーナは珍しく興味津々に眺めた。
「ぱっと見は人間の女にしか見えないな。気配は異質だが」
さらにニーナは無遠慮に相手の頬を軽くつねった。皮膚の感触も人間だ。
頬から指を滑らせて首筋をなぞりそのまま下に降ろし、平然と相手の胸周りを揉み始める。布越しとはいえ吸い付くような柔らかさが指の先まで伝わり、ニーナは妙な感動を覚える。
「おおぅ。本物っぽい。どこまで生身の人間と同じでどのへんが怪物なんだ?」
人形みたいに反応のなかった相手だが、無表情のままニーナの手をペチンと払った。一文字に結んでいた口を小さく開く。
「人間らしいのは表面だけだ。血は流れていないし、生殖機能もない。だからさっきの行為は怪物的には
「ほう。FageのAIと同じだな。無駄をやり過ぎると一時停止して職務放棄することもあるという。お前もそうなのか?」
「一時停止はしないがお前の前には現れなくなる。」
じとー、と目を半分くらい座らせ、相手はニーナへ「もうやるなよ」という警告を示す。
ニーナは煙草を咥え直し、誘うようにはにかんだ。
「悪かったよ。怪物と合流なんて言われてたから身構えたんだ。クリーチャーっぽいのを想像してたんだよ。改めて以後よろしく。〝ヴィアンゲルド〟」
特に握手のない邂逅だが、相手――〝ヴィアンゲルド〟は頷いた。
捕えられたジアンを置き、ニーナはジャックの応援のために移動する予定だ。
その前に、〝ボア〟の最大の協力者である〝ヴィアンゲルド〟と情報共有していた。
てきとうに木に背を預け、ニーナは新しい煙草を取り出す。
「で。確認だが、ギフト持ちが怪物になってしまった時はお前が倒してくれるってことでいいんだな?」
風に乗ってなびく白い煙を眺めながらニーナは尋ねる。
〝ヴィアンゲルド〟はフードを被り直して頷いた。
「怪物はそれぞれ異なる毒性を持っている。〝笛持ち〟がこの世にいなければそれぞれの怪物にも役割を与えられたが、それは人間側に
〝ヴィアンゲルド〟の説明に、ニーナは軽く相槌を打っておく。
死力を尽くしてもらう。
それが泥蛇の方針だ。人間側を追い込むために同胞とも呼べる存在を速攻で殺しに行くあたり、言葉通り血も涙もない。
〝ヴィアンゲルド〟は淡々と続ける。
「怪物になってしまえば倒せるのは怪物だけだ。ただ怪物は〝ボア〟と同じく直接人間を殺害することはできないという縛りがある。ゆえに私もそうだ。人間性を残したギフト持ちの回収に関しては引き続きお前のような〝ボア〟の兵士が行ってくれ。」
「人手不足だから困るんだがなぁ…。今だって国境を越えてオーストラリア方面に突っ切らされて。あたしたちがギフトを宿らせた時みたくお前が回収してくれると一番ラクなのに」
「それができたらそうしている。異常事態が発生したからそれはしばらくできない。」
「例のオーバークォーツの花か」
ニーナの耳にもFageの新種の花の情報は入ってきていた。
可燃性の高い特性…というより花の出生の方が気になった。
「
煙を吐きながら、思わず〝ヴィアンゲルド〟を見てしまう。
〝ヴィアンゲルド〟は一つ瞬いた。
「我々はただの鉄くずだ。毒性が分かりやすく形を得ただけで〝MSS〟がなければ別の姿でこの世にあっただろう。その点、異世界は本当に非現実だ。なにせ燃料となる物質はエンドレスシーでも観測できず、地球にはない元素だから。」
「でも鉄に弱い文明なんだろ?オーバークォーツの花だってもしFageが資源回収していなかったら咲けなかったし、あの花に鉄を当てたら枯れたと〝ボア〟が言っていた。案外、文明レベルとしてはFageの方が上だったりしないか?」
「確かに地球にはない元素は鉄と相性が悪い。異世界の文明は鉄に触れると効力を失う。だが…質と量に合わせて鉄と異世界の文明は相殺されるからどちらが優れているという話ではない。」
オーバークォーツの花に触れた鉄は花を枯らせたが、まるでその分と言わんばかりに酸化したのだ。そしてその酸化した鉄で他の花に触れさせても花は枯れなかった。
この世界と異世界の〝相性の悪い元素同士の質と量のバランス〟が限りなく均等だったFage以前には確認されず、この世界の資源バランスに圧倒的に差が生まれたことで異世界の植物が入り込んだ、と泥蛇が解明していた。
「入り込んできた〝穴〟は確認している。このまま放置していたら入り込んでくるのは花だけでは済まない。」
危惧すべき異常事態は花より最悪なものがこの世界に入り込むことだと〝ヴィアンゲルド〟は言っていた。
ニーナは静かに煙をくゆらせる。
「鉄くずであるお前たちが花を片付ければとっとと終わるんじゃないのか?」
ピン、となにかが張りつめる空気に変わる。首元に刃物でも触れているのではと思うくらい、その空気は冷たかった。
〝ヴィアンゲルド〟は少しの間黙った後。
氷より冷たく痛い声音でニーナを諫めた。
「
ただの人が相手であったらその声だけで腰を抜かすだろう。女の姿をかぶった得体の知れない怪物の唸り声で森が震えている。
煙で線を描くように吐き、ニーナは少し楽しそうに笑んだ。
「言ってみただけ……って人の心理は分からないか。忠義を忘れたわけではないよ。ただお前も〝ボア〟も鉄くずに見えないもんでね」
彼女の言う通り「言ってみただけ」が動機なら、怪物では理解できないと〝ヴィアンゲルド〟は早々に冷気を収めた。怪物に臆せず弄んでくる人間にため息をつく。
「これが〝ボア〟が選んだ〝手足の
まさか怪物から不満が零れたのでニーナは解せぬ、とそっぽを向いた。
「というか、その鉄くずであるお前たちがどうやって異世界の情報を手に入れたんだ?」
皮肉も混じる言い方だが、〝ヴィアンゲルド〟はそれは気にならないようだ。人形のように表情を変えぬまま首を振った。
「我々でない。〝向こう〟に接触したのはこの世界の臨界点だ。」
〝MSS〟をそう呼んだので、ニーナはつい視線を怪物に戻す。
揺れの全くない、暗闇で冷やしたような琥珀色の瞳と目が合う。
でも、その瞳に映る自分の瞳もまた熱を知らない冷えたものだ。
こちらは血の通ったれっきとした人間だというのに。
煙草の煙が彼女の表情を曇らせる中、自嘲するように微笑んだ。
「恐ろしいな。〝MSS〟は」
「〝向こう〟にも恐ろしい王がいる。どうやら面白がって〝MSS〟の〝声〟に応えたようだ。」
「じゃあ花の侵入も止めてくれるよう頼んだらどうだ?王様に」
「〝MSS〟は情報として異世界の存在を把握しただけで対応策はなにも残さなかった。私や〝ボア〟では接触できない。」
と言ってヴィアンゲルドは唇に指先を当ててなにか悩んだ。
そして「そう。我々は鉄くずだから。」と皮肉を言ってみせる。
皮肉を言うためにじっくり考えた怪物に、ニーナは思わずむせて声を震わせた。
「沈没都市のAIだってもっと早く悪口を言えるだろうに」
「無駄なことをするのは好まない。我々も。沈没都市のAIも。」
空に届かずに消え散る煙を眺めていたニーナは、その一本に残された最後の熱を吸った。
その煙は前方に飛ばす。霧みたいに広がる。
「無駄が得意なのは人間の特権だからな」
終わった煙草は捨て、また新しい一本を取り出した。
―――――――
「えっと…、3、妖精、島、5、ゴール…、てことは、Fageで三番目にマングローブ林になった島にいて、あと五日でオーストラリア…で合ってる?」
「正解。大分読めるようになったな。ま、この電子コンパスじゃ簡単なメッセージ程度しかできねぇし、良い練習になる」
コアは電子コンパスの信号からイングのメッセージを読み取る。
リーヴスは物覚えの早いコアから電子コンパスを受け取り、――全力でダッシュした。
「待てペトラあああああ‼テメェもやるんだよ逃げんてんじゃねええぇぇぇ‼」
「ぎゃああああああ‼沈没都市の軍人が本気で追いかけてくるの怖あああああああッッ‼」
廃村となったタイのある場所で、ペトラも死ぬ気になってリーヴスから逃げ回る。
ミャンマーからここまでの移動で数か月かかってしまった。
更にここからなるべく安全な経路をたどってインド洋に出る予定だ。
アジア諸島の海域は沈没都市の潜水艇が多く行き交っているため、そこを避けるためであった。
コアは泣き叫んで走るペトラをさておき、空を見上げてため息をついた。
(〝プレリュード〟からもうそろそろ一年が経ってしまう)
ソーマたちはオーストラリアで長期滞在しないよう、コアたちに合わせて遠回りを繰り返している。焦りと歯がゆさでついため息をついてしまう。
ツンツン、と裾を引かれ、コアは視線を降ろした。
綺麗な琥珀色の瞳をキラキラとさせているサラだ。
「コア!わたしもさっきの信号読めるようになりたい!」
「教えてほしいの?俺もまだ勉強中だよ」
「じゃあわたしも!わたしもやるー!いっしょに勉強しよ!」
サラはそのままコアにぎゅーっと抱き着く。
子供にこんなに好かれたことがないコアは困ったように眉尻を下げるが、とりあえずポンポンとサラの小麦色の頭を撫でる。
彼女の姿を見ると、〝プレリュード〟で見せられたある人物を思い出す。
ラクスアグリ島に行った第一調査隊のメンバー・ミュウ・朝香・スウィフト。
煌めくような琥珀色の瞳に、小麦色の長い髪。背が高く顔立ちの美しい女性。
絵画に描かれたような彼女の顔立ちはティヤとスラがそっくりに引継ぎ、サラとルカもまたそうだった。
特にやはり同性だとスラとサラが本当にミュウにそっくりだ。このまま髪を伸ばして成長したらミュウの生き写しになるのではないかと思うくらい。
(美形って遺伝するんだな…)
いたって平凡な顔立ちである自分たち双子とは大違いだ…とコアは心中で相棒共々自分を憐れに思った。
そしてコアはパンパンと手を叩いて、それぞれで生活の役割分担をしている一同に声をかけた。
「ちょっといいかな。話しがあるんだ」
ちょうどペトラはリーヴスに首根っこを掴まれていた。
ほとんどの家屋が骨組みだけ残して朽ち果てている中、比較的木材の状態が良い民家を選んで屋根をこしらえる。
地面に少し大きめの石を設置してかまどを作り、そこに一同は集まった。
「エレナ。物資関係はどう?」
物資の管理はエレナとカヴェリが担当していた。二人は顔を見合わせ、拙い字でそれぞれの在庫を地面に掘っていく。
「やっぱり水がすぐに不足しちゃうの。あとは消毒液と傷薬かな。食材は現場調達できているから保存食だけで一週間はもつよ」
「薬関係を買うには資金が残ってない。どこかで働きに出ないと」
カヴェリはいくつか小袋を取り出した。
中にはネジやクギといった小さな金属部品。きれいに洗った貝殻。あとはタルクや石英など、加工することで暮らしに必要な道具になる鉱石が少々。
全て売り払っても物資調達に必要なもの全て賄うことは不可能だ。
リーヴスは覚えている限りの記憶を引き出し、現在地とタイ内陸の現状を整理する。
「タイ自体に沈没都市はないが他アジア近郊の沈没都市から支援を受けている。ウォームアースほど潤沢なものじゃねぇが限りなくそれに近いレベルで教育や医療支援を受けた市場がここから数キロ先にあったはずだ。あそこなら日雇いで仕事をくれるはずだぜ」
リーヴスの提案は悪くないが、コアは少し心配げな顔になる。
「沈没都市の支援があるってことは支援員とか軍人とかいるんじゃない?」
「いる場所もあるな。俺が会いたくないのは軍人だが、連中はアクアポニックスプラントや取引先のファームとか、限定された場所にしかいない。言ったろ。タイの支援エリアはウォームアースほどじゃないって。それは施設支援がそこまで行き届いていないって意味だ。仮に施設関係の日雇いをするんであれば俺以外の誰かが担当してくれ」
「分かった。どちらにしても手分けして稼ぎに出る組みと、ここでジアンを見張る組み。あと湾岸に出る経路の下見をする組みに分けようかと思ってはいたんだ」
コアはそう言って地面にチームを書いていく。
出稼ぎチーム
カヴェリ エレナ イルファーン(大人バージョン)
ジアンを見張る組み
コア ペトラ エディ サラ ルカ
経路確認
リーヴス
ここまで書くと、ルカがわっと声を上げた。
「僕はママと一緒がいい!」
それまで摘んだ野花で冠をおとなしく作っていたのに、放り出して母であるエレナに抱き着く。
隣で花を活ける頭を貸していたサラがキッと目を尖らせて怒った。
「ワガママ言わないのルカ!ルカと私ははたらけないよ!」
「そんなことないもん!おてつだいできるもん‼」
「おてつだいじゃないの!はたらくなの!」
言い合いになる中、ルカは縋るようにエディへ視線を向けた。
「ねえエディ!ママと交代して!僕はママと一緒がいい!」
言われたエディは珍しく挙動不審に目を泳がせる。子供と対峙するのは得意ではないらしく、うまくあしらえない。
母であるエレナはどうしよう…、と頼りなさそうな眼差しでコアに助けを求めている。
年上の女性陣がポンコツになり、コアも「ええぇ…俺…?」と居心地悪そうに相棒へ助けを求めた。
ペトラはこれ幸いとリーヴスに出されていた宿題の電子コンパスを地面に置き、颯爽と助け船を出す。
「ルカが一緒なら、エレナとルカで支援エリアの方で仕事貰いに行くってのはどう?一番安全なエリアだし、子供がいたら支援員も悪いようにはしないんじゃない?」
宿題を一時放棄したペトラが気にはなるが、リーヴスも彼女の意見は案外悪くないと頷いた。
「仕事が終われば菓子の一つくらい持たせてくれるかもな。いいと思うぜ。それならサラも一緒に行くか?」
「ふえ?」
我儘なルカをポコポコと軽く叩いていたサラは手を止めた。
そしてチラ、と一瞬コアに視線を送り、首を横に振る。
「コアとペトラの武器は形を変える時、私がそばにいないと!」
「お菓子はいいの?」
ペトラが心底心配そうに言うと、サラはフンッと腕を組んだ。
「私、ペトラと違って食べ物で目がくらんだりしないわ!」
「うわぁ~生意気だなぁ…」
急に大人ぶるサラに、ペトラは喉まで「かわいくない」が出かかる。
ひとまずチーム分けは決まり、出稼ぎ組は一足先に拠点を出て行く。
途中までイルファーンがエレナとルカを護衛し、彼は少々危険な仕事の方へ向かう。
カヴェリは部品工房へ行く。旅に出る前は木材から部品や雑貨を作る仕事をいていたので、即戦力となった。
その後、リーヴスが荷作りを整えていく。
するとそこへ、いそいそとエディがやってきた。
「…私も下見組に入ろうかしら」
「あ?なんで。残れや。〝ソルジャー〟は絶賛ジアンで独り占めしてる状態なんだろ。それに俺一人の方が速い」
ばっさりと断られるが、珍しくエディは食い下がる。
「こ、こど…。こどもがいると、ちょっと。どうしていいのか」
「‥‥。‥‥。いやいつも一緒にいただろうが」
「いつもはエレナがいたし、喋ったことないわ」
言われてリーヴスは今までの旅路を思い出す。
そういえば、彼女はサラとルカ相手に話したことがなかった。
リーヴスはぱちぱちと呆れたように瞬きをした後、リュックを背負って一拍黙る。
そしてニヤリと口角を上げた。
「いいぜついてきても」
絶対に悪いことを思いついた顔でいる彼に、エディは威嚇するように肩眉を上げる。
「なにその顔」
「その代わり、もっとかわいくお願いしてみてもらっていいか。俺の気が変わるくらい」
「くそ。〝ソルジャー〟に余裕があったら〝初体験での失敗を大声で告白しろ〟って言ってやるのに」
「鬼かてめぇは。別に失敗なんかしたことねぇけど冗談でもやるなよ」
「本気でやるわ」
「やんなよ」
ぎり…と骨でも噛んでいるかのように顔が歪むエディに、リーヴスも負けないくらい不味そうな表情になる。
少しの間睨み合ったが、くるりとエディに背を向けてリーヴスはひら、と手を振った。
「んじゃここに残って子守りの練習でもしとくんだな」
振り返りもせずに拠点を出て行くリーヴスに、一瞬手を伸ばしかけたそれをエディはすぐにしまった。
むぐ…、と悔しそうに頬を膨らませるも、ペトラに呼ばれたので落ち着きなくオロオロしながら、ジアンを見張る組のもとへ向かう。
ジアンを見張る組は待機中、雑務をこなしていた。
「ほらジアン!足は縛ってないんだからふみふみできるでしょ!」
「正気なの、君」
ペトラはジアンを牽制するために片手には剣のフルートを握っている。しかしまるで棒切れでも持っているかのように扱い、洗濯物を踏んで洗うことに躍起になっていた。
こともあろうに、捕虜であるジアンに手伝わせようと洗剤まみれの洗濯物に降り立たせ、踏めという。
「ねぇ正気?なんで僕が手伝うと思ってるの?」
「この中にジアンのパンツも入ってるからだよ」
「うわー。恥ずかし気もなくよく言えるね?通りでパンツかえってこないなって思ってたんだよ。ちなみに君のパンツはどれ?」
「ありませんー。これは全部男子のでぇす」
べーと舌を出して挑発しながらも、ペトラの足は動き続ける。
ジアンは残念そうにはぁとため息をつき、嫌々足を動かし始めた。
「せめて女の子のパンツを洗ってたら気分も上がるんだけど」
「キモ。私たち女子のパンツはどれも無地で使い古しだよ。男子勢と大して変わらないと思うけど」
「いいのいいの。男のパンツよりは」
手は後ろに縛られたままだが、ジアンのバランス感覚はさすが泥蛇の私兵であった。体幹はぶれることなく洗濯物を踏んでいる。
「上手じゃん!生まれは内陸?」
「さぁね。多分そうなんじゃない?」
「ここまで一緒に来たけどさ、なにか思い出すこととかないの?」
「ないね。でもこれだけは分かるよ」
それはなんだと尋ねようとペトラは洗濯物からジアンへ視線を向ける。
幾分背の高い彼は相変わらず、諦めと嘲る笑みを浮かべていた。
「思い出したくないんだよね。忘れたままでいる今がよっぽど、僕にとっては随分と居心地が良いみたいだ」
ペトラを――いや善人を否定するために彼女から綺麗な価値観を誘い出そうとしていた。
ペトラの黒い瞳は、黒曜石の鏡のように彼を映す。
なんとなく、彼がそんな表情でいる理由が分かる気がした。
別に自分と共通点があるわけではないけれど、性格が曲がっている奴の心境は存外子供っぽいのだ。だから分かる。
ペトラは足を止めて、ジアンの瞳に自分をしっかりと映す。
「〝今〟がジアンにとって良い時間で良かったよ」
そういう意味でないのだとペトラも分かっているし、ジアンもほんの少し眉をひそめた。
きっと違う返答を予想していたのだろう。
――忘れたくない記憶もあったんじゃない?
――大切なことも一緒に忘れているかもよ。
…きっとこのあたりだろうとペトラは踏んでいた。
でも自分だけの価値観を押し付ければそれは詭弁だ。
自分が手に入れた正解を押し付ければそれは綺麗ごとだ。
だから彼の目に映り、記憶に残った事実を彼に気づいてもらおうと思った。
「忘れないでね。一緒にご飯を食べたことも。一緒に洗濯物を踏んだことも」
特別美人でもない彼女から、ジアンは目が離せなくなる。
いくらでも貶せるのに。
いくらでも罵れるのに。
ジアンはわざとらしく嫌そうに目元に皺を刻み、なんとかペトラから視線を外した。
「僕は敵だよ。僕が何度君たちのこと殺しかけたと思ってるの?手だって縛ったままでさ。覚えておきたい美しい思い出にでもなると思ってるなら自惚れだよ」
「それはジアンが何度も私たちのこと殺しかけるからでしょ?身から出た…なんだっけな…身から出た…垢…」
「サビだよ」
「そうサビまで私たちのせいにしないでほしいよ‼」
ふんぞり返って言い放つ彼女は本当にえらそうだ。
ジアンは彼女をいじめる気が失せ、背を向けて黙って足を動かす。もうやけくそみたいな背中だ。
ペトラはやれやれ、と苦笑を浮かべ、もう一つだけ彼に伝えた。
「私は忘れないからね」
聞こえていないフリをする彼は、きっと明日にでも忘れるだろう。
それでも、ペトラにとってはある意味決意のようなものだ。
(万が一、ジアンが泥蛇に連れて行かれてもう一度〝プレリュード〟で記憶を操作されても。次は私が思い出させてやる)
泥蛇の思惑通りになんてさせないと。
意気込みを乗せて彼女もまた洗濯物を懸命に踏んだ。
コアは衣服のほつれを縫ったり、刃物を研いだりしていた。
ペトラとジアンの会話は聞こえるくらいの距離の所で。
コアは黙ってはいるが非常に苦い顔をしていた。同じ作業をしているエディが小さな声で話しかける。
「ジアンのことが気になる?」
洗濯物を踏む音で向こうの二人には聞こえないくらいの声量だ。
コアも声の大きさを気にしながら頷いた。
「ここまでくる道中で何度もジアンのせいで危ない目に遭った。5日前なんかあいつ、口塞いだら屁こいて武装集団に位置教えやがったし」
「あれは本人も素で驚いていたように見えたけれどね…」
その音に耐えきれず笑い出すサラとルカ…しまいにはカヴェリまで笑っていたのでリーヴスがガチギレし、あの物静かなイルファーンですら半ギレで武装集団を追い払っていた。全部片がついた後、もう限界だとペトラまで地面に転がって笑い出した。傷だらけのくせに。
もう、最悪な一晩であった。
「ジアンを殺さないことにはちゃんと意味がある。泥蛇への対抗手段としてとても有効なものだって。分かってるんだけどさ。…あいつのせいで誰か死んだら、俺はきっとあいつを許せない」
コアのかたい声から、その「許せない」が「殺してやる」という意味だと感じ取れる。
エディは不出来な自分の縫い合わせに首を傾げながら、コアの真似をして糸を通していく。
「その時は私が彼に後悔させてあげるわ。得意だから私に任せなさい」
おそろしいことをペロッと言ってのける彼女に、コアは苦笑を浮かべる。
「なんか、俺がリーダーでいる意味ないなって思っちゃうな。みんな逞しくて」
ペトラとリーヴスは特に、ジアンの処刑を断固として反対している。泥蛇への対抗手段という重要な意味を、あの二人は色んな方面から捉えている。合理的な意味や、倫理的な意味で。
ついつい人間臭い弱さを吐露してしまう自分がリーダーをすることに、やはり自身が持てなかった。
エディは縫う手を止めて、珍しく優しい微笑を浮かべた。
「…私はイヤよ。リーヴスがリーダーなんて」
「なんで?仲良しじゃん」
「あなたたちより少しだけ一緒にいる時間が長かっただけよ。別に仲良しじゃないわ。…少なくともギフトを持つ私たちがリーダーをするわけにはいかないと思う」
コアはそういうエディの意図を少し考え、一つ、考えたくない答えにいきつく。
「…泥蛇が積極的に殺そうとするのがギフト持ちだから?」
「ほんと、あなたは頭の回転が速いわね。そうよ。コアとペトラは〝フルート〟を使いこなせるけど、〝フルート〟さえなければただの人だもの。優先順位は低いと思う」
「じゃあ、やっぱりペトラ――」
「じゃあやっぱりペトラにリーダーしてもらおうかなって?確かにあの子は勘も良いし、人思いの良い子よ。でもあの子の強さはあなたという存在があるから、だと思うの」
「…そうかな。それは、…俺も同じかなって思うけど」
「それに沢山の物事を冷静に受け止めて熟慮するところ、リーヴスやイルファーンたちも評価しているわ」
ペトラは残念なことに、あまり多くのことを把握できない。本人も重々承知しているのでもはや最初からやる気もないだろう。
長所だけでなく性格も考えてリーヴスは評価したのだと、エディからエールを送られる。
コアは胸の奥がくすぐったくなってしまい、咳払いをして縫物を続ける。
時折見えるコアの子供らしい表情がエディは気に入っており、もう一度優し気な表情を浮かべて縫物に集中した。
が、エディの肩をサラがちょいちょい、と小さくつついてきた。
ん?と顔を向けると、サラは少し赤くなってフルフルと微かに震えていた。
サラは藁を編んでロープを作っていたのだが、なにかあったようだ。
エディは気まずそうに「ど、どうしたの?」と尋ねると、サラが「トイレしたいからついてきて」と懇願された。
エレナからトイレに行くときは必ず誰かと一緒に行くこと、と約束されているので律儀に守っているようだ。
安全面のための約束だが、エレナはチラリとペトラに視線を向ける。足はびちょびちょですぐに行ける状態ではない。懐いているコアに頼まないということは異性であることを認識しているのだろう。
エディは仕方なくサラの手を取り、サッとコアに手で彼女のトイレに付き添うことを伝える。
察しが良く配慮もできるコアは黙って頷いた。
拠点から林は少し距離がある。
もともと廃村だったのでしっかり切り開かれていた。
サラは速足でエディを引っ張り、急いで斜面を降りる。エディは慣れない犬の散歩をしているみたいだ。サラに翻弄されながらついていく。
ようやく、サラは拠点から完全に見えない木を見つけた。
「そこにいてね!」
木陰にサラがすっぽりおさまり、エディは解放された手で額を拭った。
(…いやね。子供一人にこんな居心地の悪いきもちになるなんて)
さきほどまでサラに握られていた手の平を見下ろす。
暖かくて柔らかい、弱々しい手。
否応なく思い出させる。
暖かいまま、忌み嫌った。
「きゃぁああああああ‼」
闇のような沼の記憶に沈みかけていたエディは、サラの甲高い悲鳴でハッと我に返った。
「サラ⁉」
木陰を覗くとそこにサラはいなかった。
草陰で見えなかったが、その後ろは急斜面になっている。用を足したサラが土をかけようと足を動かしたのだろう。どこかの一歩が急斜面に落ちたのだ。
急斜面に自分も滑らないよう注意し、身を乗り出す。
そこに必死に地面を掴んでいるサラの手が見えた。
「え、エディ…ッ」
「動いたらだめよ!待ってて」
足を引っかける位置はえぐれている。宙ぶらりんとなった状態で子供が上がってくることは困難だ。
「ロープを持ってくるまで頑張れる?」
「…ッ、むり、むりだよ!落ちちゃう!」
エディは地面に腹這いになってサラの手を掴もうとする。
触れた一瞬、サラの握力が限界になり手を離してしまった。
「サラ‼」
エディが叫ぶも、サラの悲鳴は遠くへ流れていく。
サラはゴロゴロと転がり、少し大きめの木にぶつかって止まった。
なんとかまだ目に届く範囲にサラがいる。エディはホッと胸を撫でおろすが、サラが更に悲鳴を上げて立ち上がっていた。
「サラ!どうしたの⁉待って、今コアたちを――」
「やああああ‼蛇‼やばい蛇‼噛まれたら死ぬタイプの蛇いいぃぃぃぃ‼」
内陸育ちならそういった種類はすぐ分かるのだろう。
ゆえにサラは泥だらの身体で走りだしてしまう。パニックになっているようだ。
「だめ‼サラ‼そっちに行かないで‼」
怒鳴るように叫ぶも、パニックになっている子供に届くわけがなかった。
サラはもと来た道の斜面は上がれないと、そこは理解したのだろう。そのせいで反対側に走っていく。
エディは――コアたちに伝えに行くその時間で彼女を見失うと判断し、苦渋の決断でサラを追いかけた。
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