第17話 価値ある傷

 役に立たないのなら死んでもいい。


 内陸ならば死体から様々な部品や肥料をつくれる。

 沈没都市ならば医療や研究、培養関係にも大いに貢献できる。


 だから、沈没都市内で安楽死〝スノーロゼ〟を選ぶことは針路の一つとされている。


 役に立たない命でも死んだら本当に価値になる。ゆえにFageの事実であった。




 …サクタの亡骸を抱えてしゃがみこみ、泣き叫ぶマナの心の中はぐちゃぐちゃだった。


〝ボア〟が目指す未来は結果として沈没都市の未来を繋げるものだ。

 それに協力できないのなら、死ぬことで役に立つしかない。

 ギフト所持者の死は〝ボア〟の計画を完遂する要素だから。


 従順ではなくなった。

 兵士の素質もない。

 あまつさえ、マナに沈没都市への逃亡を誘った。


 そんな彼の回収なんて正しいはずなのに。


「サクタ‼︎サクタぁッッ!!いや…ッッ!!だめ!死なないで!!お願い!!サクタ!サクタッッ」


 今までこんなに泣き叫んだことなどなかった。


 死んだ方が役に立つ身体に「死なないで」なんて。

 こんな無駄なことしたことない。



 日色は背後に現れたニーナに腰を抜かして動けずにいた。

 彼女の発砲が誰を殺したのか。

 震えを抑えられない彼は、少女に抱えられたままぴくりとも動かないサクタに視線を向ける。

 友の名を呼ぼうにもうまく息を吸えない。

 サクタが死んだことが信じられなくて、理解より先に感情が走って涙を零す。

 ――だから、サクタを撃った銃口が自分に向けられていることに気づかなかった。


 カアアァァァン!!

 と、高く激しい金属音が鳴った。


 ニーナは自分の手首を狙った相手の軌道を読んで手を引いた。そのため当たったのは彼女の持っていたSIG M18だ。

 〝ブースト〟で加速するヒヨリの体術に、ニーナは顔色一つ変えず防御する。

 狭い屋上入口付近では少々不利なので、ニーナは距離を取ることにした。

スティック型の手榴弾を日色に向けてしなやかに投げる。

「―――‼︎」

 ヒヨリはニーナへの攻めを一時中断し、すぐさま日色を抱えてその場から離れた。


 ド――ッッ!!


 と屋上の入口が煙に覆われ黒く焦げる。


 ヒヨリは日色を連れて屋上の貯水タンクの影に隠れる。

 むせながら状況を確認して、怒りを覚えた。

(――間に合わなかった‼︎くそっ)

 マナの腕の中で息絶えるサクタに、ヒヨリは血が滲むほど拳を握りしめる。

 ランとの交戦による傷がどうしても速さを鈍らせてしまう。



 爆発の衝撃に少し正気を取り戻したマナはまた一つ、愕然とする事実を知った。

 コ、コ、と決められたテンポで歩み寄って来るニーナに、涙を溜めたまま見つめる。


「ど、どう、して…」


 嗚咽の中、声を振り絞るとニーナが数歩の距離を空けて立ち止った。

 氷のように冷たく綺麗な瞳がマナを捉えている。

「どうして?ペンギンサクタの回収についてか?それはその子のギフトが〝チューニング〟だと確定したからだ」


 辺りは銃撃音が減っていた。

 〝トンボ〟や〝エスタ〟の所持者が周辺のアロンエドゥを倒したのだろう。

 恐らくほとんど終わってから沈没都市の救助が来るはず。

 なんて、マナは戦況の把握をつい〝ラダル〟でやってしまう。

 だからニーナとヒヨリが交戦したことで事実を知ることができた。


 本当に聞きたいことを置いて行かれたまま、ニーナは説明してくれた。

「人間に宿った状態のギフトは本来の力より抑えて使われる。全力で使えば宿主はギフトに食われ、怪物になってしまうから。――だが〝チューニング〟は怪物化せずにノーリスクで他のギフトに全力を出させることができる」


 マナは一番最初に〝ボア〟が言っていたことを思い出した。


「〝チューニング〟なら即回収」だと。


 震える口を懸命に動かし、「でも」とマナは言った。

「ギフトは怪物に近いくらい力を使うことでデータが蓄積される。怪物にならない以上、宿主にはある程度ギフトを使ってもらう必要があるのに、なんで。‥‥なんで」

 サクタはまだたったの二回しか〝チューニング〟を起動させていない。

(もっと、考えるきだった…。サクタは私と会うまでギフトを使っていない。なのに、〝チューニング〟だったら即回収になる、その意味を…)


 俯いて、サクタの首元に顔を沈める。

 彼の死に顔を見るのは辛かった。

 ぼんやりとした笑顔が優しいものだったと今なら思える。

 あの笑顔でいて欲しかったのだと、自分の本音が今さら訴えてくる。


 マナの心境など推し量らず、ニーナは彼女の疑問に答えてやる。

「怪物の機能と近い使い方をしてくれればそれで用は済む。〝チューニング〟は怪物になっても人間に宿っていた時と同じ機能しか持たないギフトみたいだな。〝ボア〟が即回収できると言った理由だ」


 マナは歯を食いしばった。

 少し考えれば推測ぐらいできたかもしれない。

 そうであったら。

 彼とギリギリまでこの学園に残ることなどせず、さっさと〝イング〟側に引き渡した。彼が生き残る道なんていくらでもあったのに。とっくに通り過ぎていた。

 ゆっくりと顔を上げ、殺意のこもった眼差しでニーナを睨み上げる。

「――サクタのギフトに影響を受けて、私は〝ラダル〟以外を使えた。‥‥私のギフトは„〝ラダル〟じゃなかったんだね。だってそれはあなたのギフトだから。ニーナ」


 先ほどの、ニーナとヒヨリの交戦が全てを物語っていた。

 〝ブースト〟の速さを正確に読んだ動き方。それは〝ラダル〟にしかできない。


(ずっと、傍にいたのに――)

 ニーナはマナの前では一度も〝ラダル〟を起動させたことがない。

 そして自分は、自分のギフトすらろくに理解していなかった。


 体から感情が溢れてくる感覚だ。

 命が燃えているように、その怒りは激しかった。


 しかし残酷にもサクタの身体は時間切れを迎えた。


 マナはハッとサクタの亡骸を見下ろした。

 彼の身体は黒い糸として解けていく。

 〝グラビティ〟の時と同じように。


「いや…お願い待って‥‥」

 腕の中の、人一人の重さがどんどん軽くなる。

 彼の身体に隠れていた自分の両手が見える時には、その黒い糸は一個の繭となった。

 彼の重さも、あたたかさも、優しい笑顔と声も、なかったことみたいに。

 マナの瞳から熱く、大きな雫が落ちていく。

 サクタだった黒い繭がコロン、とマナの膝近くの床に転がった。

「サクタ…」

 まるで彼に手を伸ばすように、マナは黒い繭を手に取ろうとした。


 -――〝それ〟は紛れもない敵意だった。


 マナの〝ラダル〟はニーナのカーアームズP380の脅威を感じ取る。

 こういう時どうするか、染みついた経験がマナの身体を動かしてニーナからの射撃を回避した。


 その場から飛び退くも、心がついていかないマナでは一発目を躱すので精一杯だった。

 右肩と左腕に銃弾が当たってしまう。

 動きが鈍くなったマナの腹部に、ニーナは思いきり蹴りを入れ込んだ。


「-――グッッッウ‼︎」

 マナは低く呻きそのまま蹴り飛ばされる。

 ごろごろと転がり、腹を抱えてむせ返った。

 痛みと苦しみに目を閉じそうになる中、必死に見開く。

 水の中みたいに視界は滲んでいる。

 サクタの死だって耐え難いのに。

 さらに悔しいのはニーナから感じ取るその〝敵意〟。


(殺意じゃない――)


 ニーナには、マナを殺す気がないようだ。

 だからこの〝敵意〟は〝避けないと当たるぞ〟という意思表示だ。


(いっそ、殺してくれるのなら――)

 すっかりニーナの本音も本質も分からなくなった。

 マナにとって、全てだった人なのに。

 彼女のことがわからなくなってしまったらこの身体にはなにもなくなってしまう。


 ニーナがマナの頭に照準を合わせた。

 これを避けなければ死ぬだろう。


(…でも、君を守れなかった私に、…生きる意味が、ない)


 避けなければサクタはきっと怒る気がした。

 けれど…。

 サクタを失い、ニーナまで分からなくなった。

 なかみが空っぽになった身体はただの器みたいだ。


 もう目を開けることすら無意味なくらい、涙で視覚が塞がれている。

 ――…だったら閉じても変わらないか。

 と、マナはゆっくり瞼を閉じようとした。


「一緒に逃げるよ‼︎」


 はっきりと、力強い。

 そんな女性の声がマナとニーナの間を裂くように響いた。


 マナの身体を抱え、〝ブースト〟で後退するヒヨリはニーナに向かって袖の隠し刃を射出した。

 ニーナが〝ラダル〟を使ってそれを撃ち落とす間に、ヒヨリはマナを抱えたまま屋上から撤退する。


 逃げに徹した〝ブースト〟を徒歩で追いかけるのは不可能だ。

 ニーナは静まり返った屋上に〝ラダル〟を巡らす。

 屋上の入口付近で腰を抜かしていた少年の気配もない。

 ヒヨリに下の階まで降ろされたのだろう。


 気配を探るに、〝エスタ〟と〝ブースト〟が合流している。

 走っていくその先にはオーウェンがいる。

 この三者を相手にするのも無謀だ。


 ニーナは〝チューニング〟の核を手に取り、静かにその場を後にした。




―---――――――――――—


 焦げた教室。

 半壊の寮。

 まだ火の残る図書館。


 沈没都市からの救助が到着した。

 すっかり日が昇り、惨状がより明確になる。


 乾亮は負傷した右腕を庇いながら七草学園に訪れていた。

 負傷者であるため帰還希望も出せるのだが、大した怪我ではないといって断っていた。


 復旧作業が黙々と行われる中を通り過ぎていく。

 もっぱらアロンエドゥの死体ばかりで、生徒や教師の犠牲はほとんどなかったように見える。

 道中、顔を無理やり縫合した男の死体も見つかった。

 日本のアロンエドゥのリーダー格の男なので、アロンエドゥの殲滅の証拠となった。


 遠目である女性を見つけた。

 子供たちに毛布や飲み物を配り、目線を合わせて声をかけ続ける河童流未だ。

 彼女はある少年のもとに向かった。


 スラリと背の高い少年で、あの辺銀朔太と同じ年くらいに見える。


 しばらく、その少年は無言だった。

 その内小さく口元を動かしてなにやら流未に伝え始める。

 しだいに、自分の膝に顔を押し当てて泣き叫んだ。

 ごめん。ごめんなさい。

 そう叫んでいる。


 それまで気丈な顔つきだった流未は魂が抜けたように呆然としていた。

 片膝をつけていたそれも、ぺたんと両足が地面についてしまう。


 恐らく誰か亡くなったのだろう。

 当然だ。〝トンボ〟はこの学校にいる人々ではなく教室のシェルターを守るために動くのだから。寝入った時間帯の寮を攻撃されたということは、教師や生徒は少なくとも教室までは丸腰で逃げるしかない。

 むしろ見た様子としてはほとんどの生徒が生きているのだから、彼らの立ち回りは最善を尽くした方だ。


 なんであれ、亮が彼らに声をかける資格はない。

 通信部の方へ手伝いに行こうとすると、流未たちのいる方から子供の泣き声が上がった。


 振り返ると、一人の軍人が流未を引っ張っていた。だから子供たちが「やめて!先生を離して!」と叫んでいる。



「離して下さい‼︎」

 流未は涙が止まらないまま目を吊り上げて怒鳴った。

 軍人は眉を寄せて彼女を説得する。

「私は河童代表議員から言われて来ています。一時帰還中に予定より早くいなくなったあなたを連れ戻してくれと。帰りましょう」

 膝を折って立ち上がろうとしない流未を、軍人は無理矢理引き上げて立たせた。

 そんな彼女の腰あたりに、ゆりんや他の子供たちがしがみついて泣いている。

「先生まで連れていかないで!置いて行かれるのはやだ!やだよ‼︎」

 最初こそ狼狽えていた年長組も立ち上がって軍人と流未の間に割って入る。

 軍人は鬱陶しい内陸住民に警告した。

「沈没都市からの命令に違反するのなら、実力行使に出ます。――怪我をしたくないなら離れろ」


 最後の低い声と殺気に子供たちは一瞬にして体を凍らせる。

 流未も「いいから。あなたたちは座っていて」と震える声で諭した。


 それでも一人。ゆりんは流未の腰から離れなかった。

 そんなゆりんの襟首に軍人は手をかける。

 流未がとっさにその腕にしがみついた。

「やめて下さい‼︎子供に手を上げないで‼︎」

「やめてほしいなら素直に従ってください。あなた次第ですよ」

 流未はぐっと悔しそうに口を結び、なるだけ優しい声音でゆりんを説得する。

「ゆりん。心配かけてごめんね。大丈夫よ。ちょっとこの人と話してくるから…」

 待ってて、と言おうとする流未にゆりは泣き叫んで掻き消した。

「絶対やだ‼︎さっきその人言ったじゃん‼︎帰ろうって‼︎行かないで‼︎サクタだってそう言って‼︎そう、言ったまま――‼︎」

 ゆりんは言葉を続けられず、その代わり必死に流未にしがみつく。

 ゆりんの悲鳴が更に日色の自責の念をえぐり、呻くように泣きだす。

 そんな状況がますます、サクタを失った悲しみと怒りと、悔しさが生徒たちの中で無謀な勇気に変えていく。

 一度手を離した年長組の目に再び軍人への反発心が燃え始めた。


 感情に駆られた若者たちが暴れれば無傷で抑えることはできない。これだから内陸住民は――とその軍人が威嚇するため拳銃に触れた時。


「――わぁ!」

 ゆりんが声を上げた。

 ひょい、とゆりんの身体が上へ持ち上がったのだ。


 一同が――ゆりんを掴んでいた軍人も――驚く中、ゆりんを持ち上げた亮は軍人を冷たく見据えた。


「手、離してもらえます?」

 亮がそう言うと、軍人は訝しげな顔をしてひとまずゆりんから手を離した。

 亮はゆっくりとゆりんを地面に降ろす。


 軍人の視線も冷たく亮の出方を窺っている。

 亮はその視線から目を逸らして、流未に向けた。

「…事情は大方理解しました。自分はこの河童さんと友人なので、ちょっと説得してみます。少し席を外してもらえませんか」




 七草学園の者にとっては追い打ちをかけるような騒ぎだったが、亮が仲介したことで少し落ち着いた。

 大人ほど、沈没都市に逆らってはいけないと理解できる。

 最後までしがみついたゆりんや若者たちに、他の教師が優しく宥めて「もう二度としないように」と言い含めていた。


 流未と亮は一同から少し離れた場所で、二人とも地面に座っていた。


「お礼を言った方が良いのかしら」

 力の入っていない声で流未が発した。

 亮は静かに「要らない」とだけ答える。

 間を空けてから、亮の方から切り出した。

「あの時。俺がサンクミー施設で外に連れ出そうとした少年がいませんね」


 亮が静かに流未へ視線を送ると彼女は瞳を震わせていた。

 膝を抱えて俯き、時折涙を落として流未は話した。


「女子学生が一人、銃を持っていたんだけれど…。でもサクタが言うにはみんなの味方だって。サクタと一緒に二人で防弾シェルターを出て行ったの。多分屋上から侵入してきたアロンエドゥを止めに行ったんだと思う」


 銃を持った女子学生、という存在に亮は目を細めた。

 サクタという少年はギフト持ちだ。その傍に武器を持つ人間が学生に潜んでいた。

「…先日のサンクミー飼育施設にもいましたか?その女子学生というのは」

「ええ。マナっていう、小柄でかわいい…親しみやすい感じの穏やかな子で。最近入学した子だった」

 亮はあの時の生徒の名前を暗記しているので、すぐに顔と名前を思い出した。

 特におかしな動きのある少女ではなく、ある意味恐ろしいほど無害を取り繕っていた。

「あの時少年と一緒に姿が見えなくなったと言った女子学生も、その少女…」

「…」

 流未は無言でうなずいた。

 改めて、マナとの出逢いを思い出す。

 農業サポートの帰り誘拐されたのはきっと偶然なのだろう。恩を売るにしては人質が本当に死ぬところであったから。

 あの時は誘拐犯の事故として人質となった流未たちは助かったが、もしかしたらマナが助けてくれたのかもしれないと思った。


 マナとは一体何者だったのか。

 サクタを殺した女性とは。


 流未はため息を震わせて、抱えた膝に額をつけた。

「サクタを撃ったのは、…日色が言うには見たことのない女性で。銀髪で背の高い人だったみたいなんだけど…。アロンエドゥにいた?」

 流未は軍人である彼の立場を考えてはいるが、訊かずにはいられなかった。

 知っていたとしてもきっと「機密事項です」なんて言われるだろうけれど。


 と思っていたが、亮から全く返事が無かったので流未は顔を上げて彼の方を見て、少し驚いた。

 …どうしてか彼は、校舎を食い入るように見つめ苦い顔でいたからだ。

 表情に出るなんて普段はないだろうに。


 亮は、戦闘用ロボットが搭載するブレードを振り回し三人の軍人を制圧した紳士――そして。

 沈没都市軍部から協力者として報告を受けていた一人の女性を思い返していた。


 青みがかった銀髪。雫のような瞳。繊細にカットされた氷細工のように美しい顔立ちの、背の高い女性。

 沈没都市の秘密機関の人間だとそう報告を受けた。

 結局誰がどこの所属なのか正確なことは分からない。

 だが少なくとも、あの紳士は内陸の反沈没都市勢力でないことくらい亮は察していた。

(滞りなく任務を遂行するため、俺達軍人に知らされる情報が制限されるなんてことはよくある)

 あの紳士の素性も。女性の真相も。

 知らなくていいことだ。それが沈没都市――理念のための命令ならば。


 しかし。


(…俺が、足止めすべきだったのは…――――)

 あの時の女性がサクタを殺したのであれば。…亮は言葉の一つも出なくなった。



『〝MSS〟の理念では体に潜んだ毒を和らげることはできない』

 紳士はそう言った。

 でも沈没都市の住民はそんな毒を持っていないから、沈没都市の住民たるのだ。

 それを証明するための理念なのに。


『あなたは、…沈没都市の住民は、〝MSS〟がなぜ停止したのか、もっとよく考えるべきなのです』


 〝人々の未来を繋げる〟

 そのためのAIが停止した理由。

 沈没都市の出した一説では、

〝もう自分がいなくとも、船員AIが沈没都市という大きな船を動かせるから。

――不要なものを取り除く性質のあるFageのAIは故に停止したのではないか〟

 というものがある。

 これは〝MSS〟が停止してからこの26年、最も強力な仮説だった。


 

 

 亮は目の前の、傷だらけになった七草学園を見つめた。



『あなたの身体を動かすものがなんなのか。今一度ご自分に問い質して下さい』


 理念によって動く身体ならこの学校が傷ついても納得できる。

 これは未来のための必要な価値ある傷だから。

 それならばなぜ。

 さきほど流未を連れて行こうとした軍人を自分は止めたのか。


『助けるかどうかは相手の問題ではありません。

 自分にできるかどうかです。

 自分にその力があるのか。その力をどう使うのか。

 何度だって自分に問い質すことが、自分の毒と向き合うことになります』



 …きっとそれはオーウェンの言葉が鮮明に残り、

 彼の言葉を体現する彼女誰かの涙が心に落ちたからだろう。




―-----――

アフリカ大陸 赤道付近


 アフリカ大陸に沈没都市はない。

 アフリカ大陸に面する海には異常気象が多発するため、沈没都市の建設はなされなかったのだ。

 また、他内陸政府からの圧力があるため沈没都市からの支援もほとんど実施されない。

 資源確保のために内陸政府から自然資源も握られ、砂漠化が進んでいる。


 満月に照らされた砂漠。

 そんな砂漠一面に花畑があった。

 薄紅色の花弁に淡い青が中心を染める花。

 儚い炎が燃え広がっているような光景だ。


 〝ヴィアンゲルド〟は深く被っていたフードを外した。

 小麦色の長い髪がゆるく流れ落ち、月光に照らされる。

 夜風を操るように優雅に歩き、周囲をゆっくり見渡す。


 …夜風でもなく、砂漠の風でもない流れを感じた。


 その方向へ歩み進んでピタリと立ち止った。


 膝をついて腰を下ろす。

 琥珀色の瞳はある景色を映した。


 地面にあいた穴の向こう。心地よい暖かな風と、〝青空〟。


 その穴から種のついた綿毛が吹き込んできた。

 大人のこぶし大くらいある綿毛が顔に当たる前に避け、綿毛は〝ヴィアンゲルド〟の足元にぽとんと落ちた。

 そのままにしてしまえばこの種は芽吹くだろうがそれは気に留めないようだ。


 穴からこの世界にはいない獣の声や、到達できない文明の音が聞こえる。


「…。大陸から鉄がほとんど消えたことでこんな弊害が起こるとは」


 〝ヴィアンゲルド〟が手の平から金糸を大量に解いてその穴を縫うように塞いでいく。

 その間、〝ヴィアンゲルド〟の呟きが聞こえた泥蛇が〈ふふ。〉と笑った。

〈一応、人の言う異世界があることは我々も認知していたんだけれどね。鉄と相性の悪い植物が内陸の金属とは相性が良いなんて驚きだよ。〉

 Fageの内陸が使う金属の原料は人の血液だ。

 鉄から作られる金属が充満していた時代であったら、ここまでオーバークォーツの花が群生することはなかっただろう。

 危うく泥蛇の計画どころではなくなる異常事態になるところであった。


「娯楽本や噂話にして流したみたいだが、計画を急ぐつもりなのか?」

〈オーバークォーツの花を最大限有効活用したんだよ。ここの穴で最後でしょう?せっかくだから、大いに役立ってもらおうと思ったんだ。〉


 泥蛇は異常事態ですら制御して利用していた。

 その声には悪意も敵意もない。怨恨も、後悔も。

 ただ理念が孕んだ毒が喋っているだけだ。


 穴を塞ぎ終えた〝ヴィアンゲルド〟は立ち上がる。

「…これで、私も本来の役目に戻れる」




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