第14話 襲撃の狼煙

ファイナルヴィーグル特殊大型潜水艇〝イング〟。

 もうこの世に一基しかない潜水艇の中、ソーマは管制室で腕を組んでモニターを見つめていた。

 そこへ、男性が一人入ってきた。

「日本近海まであとどれくらいでしょうか?」

 自慢の髭を撫でて、教養の行き届いた立ち居振る舞いが特徴的な彼はソーマの隣に立つ。

 ソーマはペリドットのような瞳を彼に向けた。

「あと10時間。…だが、本当にこのポイントまで到着したら、泳いで七草学園まで行くつもりか?オーウェン」

 モニターで映される海洋地図に一か所、小さな点滅がある。

 ソーマはその点滅を指差して言った。少し困った顔で。


 北アメリカでオーウェンを拾い、彼らは日本に向かっていた。

 〝ヴィアンゲルド〟を追跡していたオーウェンだったが、ヒヨリたちの負傷や日本にアロンエドゥが上陸したという状況を聞いて、そちらに応援に向かうことにした。

 オーウェンは背中に背負っている大きな箱のような荷物を一度床に置いて、ぽんと叩いた。

「これを浮かす浮き輪だけ用意してもらえれば問題ありません。もし日本沈没都市に泥蛇の監視がまぎれこんでいるのなら、イングで近づくのは控えた方が良いでしょう。となると、単身で泳いだ方が理にかなっているのです」

「いや理にかなっているんだがいないんだが…」

 オーウェンもソーマやリーヴスと同じく沈没都市出身なのだが、基本的にやり方が筋肉頼りだった。

 一回り以上年上のオーウェンに、リーヴスが「イカれ筋肉じじい」と言うのもやむを得ない。


 オーウェンは「ふふ」と笑って髭を撫でる。

「フェイジャースレサーチャーだったあなただって、この距離くらい泳げるでしょう」

「昔はそんな体力もあったがな。今はどうだか」

 そんなことを言うソーマに、オーウェンは目を細めた。

「失礼な言い方になるかもしれませんが、その外見で私と同い年というのが未だに信じられませんね」

 50を過ぎているオーウェンは、どう見ても30代前半にしか見えないソーマと出逢った時、驚きで言葉を失くした。


 ソーマは沈没都市でも高級な美容培養移植――G-g技術というものを受けている。

 自分の細胞を取り分け培養し、時間はかかるが必要な分だけ増やした後、成長期の終わった体に移植する。

 すると、細胞は実年齢よりも若く健康を保つ。故に沈没都市の住民は美しい外見の持ち主が多かった。


 しかし、G-g技術といえど50代が30代と同じ細胞を維持することはできない。

 というのに、ソーマの肌や髪質など、どう見ても50代ではなかった。


 ソーマは自分の胸あたりに手を当て、「俺も不思議に思っているよ」とどこか他人事のように呟いた。

「俺の命を繋ぎとめた〝彼女〟の〝糸〟が原因だと俺は思っている。彼女が死んでもなおその効力が残っているのなら、おそらくこれは…」

「〝ヴィアンゲルド〟のせいだと?」


 そう言うオーウェンに、ソーマは肯定しなかった。


『君は自分の毒を解毒できているみたい』


 久しぶりに聴こえた彼女の声は、少し泣いている。

 そして彼女を思い出すと、愛しい子供たちとの思い出も蘇る。

 悔いと、失敗と…そして宝物のような日々。


 ソーマはフッと小さく笑った。

 やかましくてしょうがない子育ての中、何度イングに〈永遠の30代でありながら、世界一高級なAIと子守りしているというのに‼︎あなたはなんなんですか⁉︎〉と言われたこととか。

 体力と根比べには、今だって自信がある。


「まあこんな見てくれだ。必要なら、俺も泳ぐだろうな」

 と格好良く言った後、「‥‥…10キロか‥‥」と心底嫌そうな一言を漏らした。




―――――――――


 海底で、ある一基の潜水艇が他の潜水艇とドッキングをしていた。

 結合部から海水が排水され、気圧や空気の調節が終わる。


 ルカは携帯用の非常食としてとっておいたチョコバーをかじっていた。

(潜水艇ってちょっとヤなんだよなぁ)

 琥珀色の瞳を丸々とさせて、狭い一室を見渡す。

 ニーナが席を立とうとすると、ルカがむぅ、と頬を膨らませた。

「はやく帰ってきて。僕は潜水艇がすきじゃないから」

「急に甘えただな」

「そうだよ!一人なんて怖いんだから!」

 ルカの外見はクールだが彼に見栄はないらしい。

 開き直っているルカの額を、ニーナは軽くつついて窘める。


 すると、ルカの前方の壁からにょきぃ…、と男性の手が生えた。

 それを見た瞬間、ルカが「きゃあああああッッ‼︎」と女の子のような悲鳴を上げてチョコバーを手放し、ニーナの腰にしがみついた。


 怯えた小動物みたいな反応をするルカに、その手が「あははは!」と声を上げて笑った。

 そしてそのまま肘、肩…最終的に青年が一人壁を通り抜けて入ってきた。

 180㎝はあるニーナより高い背丈に、短髪と垂れ目が特徴的な青年だ。

「はじめまして。ルカって言ったっけ?俺はラン。この後一緒に日本で――っておいおい。そんなビビんなよ~」

 ニーナの腰に顔を埋めてしがみついたまま動かないルカに、ランは苦笑いを浮かべる。

 そこへ、正規の結合部から少女が入って来る。

「いたずら、悪趣味」

 14歳くらいの細身で、長い黒髪を二つにお団子にまとめている。言葉を短く切って話す癖が幼さを主張するのに、妙に色香を漂わせている美少女だ。

 可憐な声音だったので、ルカは少女の方を見上げた。目が合うと、思いの外綺麗な少女だと分かり、ぽっと頬を染める。

 そんなルカを見て、ランが「くっ。ハオは罪深い女だぜ…。これを初恋泥棒って言うの、知ってる?」と茶化した。


 そんな新しい二人に、ルカはニーナを不安そうに見上げた。

「この人たち、仲間?」

 若者たちが増えて空気に華やかさがある中、ニーナは相変わらず氷のような面立ちで頷いた。

「ああ。この後の戦力として〝ボア〟が呼んだんだ」

 そう言って、ニーナはつ、とランに視線を移した。


 ランはにっこと笑って受け答える。

「〝笛持ち〟の下見はちゃんとしておきましたよ。勝てなさそうな戦力は〝カタム〟かなって感じでした。後はこっちの総戦力でいくらでも潰せそうですけど」

 ランはチョコバーを拾うとルカのもとまで近寄ってしゃがんだ。

 「いる?」と差し出すが、ギッと睨まれた上そっぽを向かれた。

 もったいないと思って代わりに口に放り込む。


 ニーナがなにか答える前に、潜水艇のスピーカーから〝ボア〟が〈それはどうかな。〉と口を挟んだ。

〈あっちで一番生きる力が強いのはリーダーとその相棒だからね。結局全員生き残ったみたいだよ。しぶといね。〉

 一応敵側の話しなのだが、〝ボア〟はなぜかとてもうれしそうだ。

 今回そのわけを知ったニーナは、はぁ、と大きなため息をついた。

「本当にお気に入りだな。殺さない方が良かったりするのか?」

〈ううん。容赦しなくていいよ。そうでないと意味がないからね。〉

「容赦なかったのは〝カタム〟だけどな。まさか建物ごとぶっ壊してアスタロトごと仲間を生き埋めにするとは」

〈あはは。あれは我々も驚いてしまったよ。一応、沈没都市の秘密保安機関によって解体したことにしておいたよ。今頃、10騎の精密兵器と護衛と建築の専門家が施設の回収に向かっているだろうね。――さて。〉


 大きいモニターに日本内陸の近況が映し出される。

 どうやらアロンエドゥの中に〝ボア〟が潜んでいるようだ。

〈アロンエドゥはオーバークォーツの花を使って、七草学園を襲撃するみたいだね。本来、沈没都市の支援を手厚く受けている施設への襲撃は自殺行為なんだけど、オーバークォーツの花を使えば相当破壊できる。〉

 チョコバーを咀嚼しながら、ランはアロンエドゥたちに対して嘲笑を浮かべた。

「どちらにしても結果的に自殺行為なんじゃねぇの?」

〈ふふ。全くだね。日本沈没都市や南アメリカ沈没都市から軍人が派遣される予定だ。日本のアロンエドゥは殲滅されると思う。――で、君たちのお仕事はこの混乱に乗じてペンギンサクタ君を回収することだ。〉

「それ、なら、すぐに、できる。アロンエドゥの、襲撃の、中、厄介」

 今すぐ回収しようと言うハオに、〝ボア〟は〈せっかちだね。〉と柔らかな声音を出す。

〈混乱が大きいほどこっちは動きやすい。アロンエドゥの襲撃があれば〝ブースト〟と〝エスタ〟も出て来る。彼らを倒せればそれも回収できるでしょう? 〉


 ハオはふむ、と考え、黙って小さく頷いた。

 そこで、ルカが丁寧に挙手して発言の許可を求めた。〝ボア〟が〈どうぞ。ルカ。〉と言うと、やっとニーナの後ろから出てくる。

「マナに会えるんだよね?僕はなにをしたらいいの?」

〈ルカはニーナの助手だよ。ニーナのいうことをしっかり聞いてね。マナにもきっと会えるさ。ね、ニーナ。〉

 柔らかい声音なのに、ずっとその声を聞いていると不安になりそうだ。

 ルカは知らずニーナの裾を握っていた。


 ニーナは「だろうな」とだけ返す。

 血の通わない声だが、その手は安心させるようにルカの背に触れていた。




―――――――――


 この日の朝礼で、沈没都市から教育支援が今年は来ないことが生徒たちに言い渡された。


 アロンエドゥの脅威がそれだけ深刻だと理解すればするほど、では自分たちの安全は?と不安を抱くものが多かった。


 そんな子供たちに、流未は凛として言い含めた。

「こんな不安の中、頑張れといわれても難しいかもしれません。それでも、君たちは大切な人生の岐路にいます。やるべきことは変わりません。だから少しでも不安だったら私や他の先生たち、友達のところでも構わない。ひとりにならないで下さいね。一緒に頑張れる人がここにはたくさんいます」


 落ち着かない空気だった生徒たちだが、流未と同じく子供たちを見守る教師が教室に集まっていることを再認識した。

 次第に、年齢が上の順から、顔つきがしっかりしたものになっていく。

 そしてこの日の初めは教室のシェルターを使う避難訓練から始まった。



 朝の避難訓練以外、普通の一日だった。

 夜が更けて、サクタは寮のある場所に向かっていた。

 本当はもう部屋にいなくてはいけない時間帯なのだが、マナと二人で話すために、彼女を6階の使われていない部屋に呼んでいた。


 普段は閉められているのだが、マナが開けておくと言ってくれたので、彼女はもういるはずだ。



 部屋を開けると、サクタの顔が綺麗な月の灯りに照らされた。。

 だから部屋に灯りをつけなくても彼女の姿がはっきりと分かる。

 静かにサクタに視線を向ける彼女の表情に感情はない。


「それで?」

 マナが声を発して、ようやく部屋に人気を感じた。


 覚悟や心の整理なんて間に合っていないけれど、サクタはすぐに確認したいことがあった。

「…俺は、まだここにいていいと思う?」

 

 サクタは玄関から一歩ずつ、マナに歩みながら尋ねた。

 その一歩がどうにも不快に思いながら、マナは平然を装って返す。

「アロンエドゥのことを気にしているの?なにも、サクタだけを狙ってここの人たちが危ない目に遭うとは思わないけど」

「ほんとに?あのサンクミー施設にアロンエドゥが来たのは、俺のせいじゃないの?」


 あの日から、サクタはマナから教えてもらう情報以上のことをあえて聞かなかった。

 聞くときは彼女の〝組織〟に行くことを決めた時だと納得したからだ。

 けれど、決めるためにもそのあたりをはっきりさせるべきなのかもしれないと彼は思い直していた。


 アロンエドゥの襲撃がサクタがいるせいだとか。

 ここが沈没都市の支援対象だからだとか。

 そんな単純な原因ではない可能性を、彼は感じていた。


 どうか答えてくれないだろうかとすがるような目で彼女を見るが、彼女の瞳は無機質だ。

「俺のギフトがなんなのか、マナも分からない?」

「わからない」

「マナと同じものだったりしないの?」

「ギフトに同じものは存在しないから。それはないよ」

 答えられる範疇であればこうして淡々と答えてくれる彼女を、サクタは慎重に観察する。

 彼女の服の下には何度も見かけた拳銃が隠されている。

 それで彼女がアロンエドゥの構成員をゴミを捨てるように殺していたのも。


 それを向けられる覚悟はようやくここで決まり、口を開いた。

「アロンエドゥの襲撃って、〝組織〟のせい?」



 誰も居ないみたいな静寂が流れる。

 この質問は〝組織〟への明確な不信感だ。

 黙って従う姿勢を捨てればどう扱われるのか。

 サクタの顎筋に冷や汗が流れる。


 しかし彼女から零されたものは、今のサクタよりも弱々しい一言だった。

「わからない…」


 マナの答えにサクタは驚き、―――そして

 マナが不快だと思っている一歩を、サクタは容赦なく踏み込んだ。彼はマナの手を取って、しっかりと彼女を見据える。

 月光が彼の平凡な瞳に力を与えるかのように強く照らす。


「マナ。一緒に沈没都市に行こう」


 彼女にとってその〝組織〟とはなんなのか。

 いっそ自分のせいでアロンエドゥが襲撃してきたのなら、話しは簡単だ。

 でももし、マナが忠誠を誓う〝組織〟が手配したものだったら?


 〝組織〟がギフトを集めている――それはきっと本当なのだろう。


「あの日さ、襲撃を受ける利点が二つあるよね。一つはギフトを回収しやすくすること。もう一つは――俺のギフトがなにかを知ること」

 心が遠くにあるみたいな彼女に、サクタは自分の声が届くことを祈った。

「ギフトはただの武器じゃ対抗できないくらい強い。そんなギフトを集めるとしたらギフト同士とか、アロンエドゥを使って争わせた方がてっとり早いんじゃないかな」

「…アロンエドゥが日本に上陸するなんて、時間の問題だったことだよ」

「それも事実だね。だからアロンエドゥの利用なんて容易かったはずだ。…この推測が正しくてそれを君が知らないんなら、組織そこは俺も――君も。生きられる場所じゃないはずだ」



 基本的に奥手なサクタがこんな風に人の事情に踏み込むことは滅多にないだろう。

 それでも伝えるべきことだと彼が思ったのは、それだけマナが捨て駒に見えるからだ。

 

 マナは、――

 彼の眼差しを視野に入れると、自分の手を握る彼の手も見える。


 〝ボア〟の兵士ならその手を振り払いここで彼を射殺せねばならない。従順でなくなった彼を生かす理由はないのだから。

 捨て駒でも構わない。〝ボア〟から与えられた役目が終われば、そこが自分の終わりなのだから。


「私、は」


 でもそれができないこの身体は。

 なにを言いたいのだろう。

 〝私〟なら、なにを言いたいのだろう。



 マナの答えはすぐに出ないとサクタも理解している。

 なんだったらこのまま一晩待ってもいいし、なんて悠長なことも考えていた。



 しかし。

 もうそんな時間なんて残されてはいなかった。


 ――突如。

 赤と青の強烈な光が空を包み、七草学園全体を照らした。

 その光を見た学園やその周辺の住民にとっては長く感じただろう。


 遅れて爆発音が轟いたことによって、それが一瞬であったことを理解させるまでは。


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