第3話 静かな水面下

〈アイアムマイミィ、アイアムマイミィ。ウルトラマイミィ、ハイテクマイミィ。ドロップボディ、ベストプリティ。ルルルンルン、ルルルンルン。〉


 海底・ファイナルヴィークル特殊大型潜水艇〝イング〟

 その中で奇妙な物体が小声で歌を歌い、独自のダンスを踊っていた。

 大きさは大人の手の平程度。赤茶色の液体が雫の形を作り、銀のお面を着けている。

 小さな手足を器用に動かして踊ると、雫の丸みがお尻のようにプリプリと動いた。


 潜水艇の管制室にはその奇妙な物体と、もう一人男性がいた。

 柔らかな金髪に黄金がかかったペリドットのような瞳。おとぎ話の王子様を再現したような顔立ちだ。

 年齢は30代程度に見える外見だが、落ち着き払った雰囲気と物憂げな眼差しは初老のような印象を感じさせる。


 彼は足元で、くるっ、ぷりっ、フリフリフリッ、と動く物体には慣れっこのようで、普通に話しかけた。

「イング、ペンギンサクタ少年のギフトが起動しないのはなぜだと思う?」

〈もしかしたら自分がギフトを持っていることに気がついていないのかもしれません!というか随分かわいらしいお名前ですね!ジェラシィです!〉

 高い所から着地したようなポーズで止まり、イングと呼ばれた物体はそう答えた。

 男性はイングの解答に首を捻る。

「そんなことあり得るのか?どういった経緯で宿ったか知らないが、ギフトは宿れば自然と使い方が分かるとみんな言っている。ギフトを持っているかどうかすら分からないなんて」

〈もしくは、少年のギフトの機能のせいかもしれません。限定的な条件下に置かれてはじめて起動する可能性があります。泥蛇がそれを狙っているのだとするなら、やはり少年は早急に我々が保護するべきですよ!〝フラム〟だったらどうするんですか、ソーマ!〉


 イングはソーマの足元からよじ登り、彼の肩に座った。

 ぺん、と短い手がソーマの頬に当たるが、ソーマはやはり気にせずサクタの周辺情報を映すモニターに目をやる。


「…この子が〝フラム〟だったとしても起動しない原因は確認した方が良い。それに、この子は沈没都市の移住試験を控えている。もし合格するのならば沈没都市の強力な庇護を受けられるだろう。この子の未来を潰さず、泥蛇の計画を阻止できる一番良い手だ」

〈しかし彼らがエンドレスシーに介入できるとなると正直沈没都市も安全ではないといいますか…。まぁ少年を沈没都市に匿わらせて、その間に泥蛇をやっつけてしまえば、確かに最良とはいえますが…。〉

 不安材料の多いソーマの方針に、イングは言い淀む。

 イングの意見は決して間違いではないので、ソーマは柔らかく頷く。

「ヒヨリにも言ったが、最悪は少年の人生を狂わせてでも保護する。あとフレイアの方は――」


 別件の話しを切り出した時、管制室の扉が開いて30歳前くらいの男女が入って来た。

「ソーマぁぁぁあ!ルカが!ルカを感じるってサラが言ってるらしいな‼︎やったな‼︎やっとルカが見つかるかもしれない‼︎」

 よく日に焼けた肌にブレイズヘアを一つにまとめた男性が歓喜と感動の声を上げる。


 勢いのままソーマに抱き着いたので、ソーマの肩にいたイングは〈おぅっと⁉︎やめて!落ちちゃうでございます!!(注意喚起の笛)〉と、慌ててしがみついた。ついでに〈ブピピピピィ!!〉と笛の音を鳴らす。


 もう一人の女性はくすんだ赤毛と両頬にそばかすが多く、自信のなさが伝わってくるような出で立ちだ。

 そろそろとソーマに近づいて涙を拭った。

「今回は今までで一番ルカを近くに感じるんだって。あの子が見つかったら今度こそ、みんなで合流できるよね?」


 二人に反して、ソーマはあまり浮かない表情だ。

 ひとまず二人を落ち着かせようと口を開きかけると、ないがしろにされていたイングが男性の頭に飛び乗り叱りつけた。

 ペンペンペンペン!と何度も男性の頭を両手で交互に叩く。

〈全くあなたたちどうして!そんなに浅はかな人⁉︎まだまだ油断なりません。奇妙なのです。日本のギフト相手に泥蛇が送りだした戦力がたった一人なんて!逆に誘き出されてコアたち〝笛持ち〟組がやれてしまう可能性を考えて下さい‼︎(注意喚起の笛)〉

「あててってててっ。うるせっ。ええぅ、そんなぁ…」

 男性の喧嘩っ早そうな目尻がしゅーんと下がり、頭を叩き続けるイングをつまんだ。

「でもさあイング。コアたちには4人もギフト持ちがいるんだぜ?このまま一気に攻めても勝てるんじゃねぇか?」

〈カヴェリ、アイアムマイミーがこうも慎重なのは、フレイアの観測情報とサラの感知度を聞くに、少し違和感があるからです。〉

「AIって違和感を感じたりすんの?まじで?」

 カヴェリと呼ばれた男性はソーマに尋ねる。

 ソーマは肩を軽く上げ、「イングは特殊なAIだから」と適当に答える。


 イングはつままれた部位を軸にして、鉄棒のようにくるんと体を反転させた。

 カヴェリの手の甲に乗ると、バッ‼︎と短い両手を上げて注目を集めさせる。


〈特殊ではありません!超すごーちぃAI、イングにございます‼︎キャプテン亡き今、アイアムマイミーがAIの頂点と言っても多少嘘があるくらいで過言ではありません‼︎〉


 やんややんやとうるさいイングに圧倒され、涙ぐんでいた女性は俯いてしまった。

 そんな彼女の肩を軽く手を置き、ソーマは柔らかい声音で諭した。

「エレナ。俺達にとって不利なのは、泥蛇にとってルカの命は囮でしかないことだ。…早計に動いてもあの子が危なくなる」


 優しい物言いでも、彼の言葉には目を背けたくなる事実もちゃんと含まれている。

 エレナは少し頭が冷えて顔を上げる。


 と一番長く戦ってきたのはソーマだ。

 感情だけで行動を決めるべきではないのだと、エレナは思い直した。

 エレナはぐっ、と口を結び、涙を全て拭いた。

「私、相変わらず頭が悪いから、すぐ浮かれてしまって…。日本にはヒヨリもカマもリスクを背負って戦ってるのに…ルカだけ助ければいいわけじゃないこと、すぐ忘れちゃう」

「いいんだよ。君は一番にルカのことを考えていい。俺が無理を言って君とカヴェリをここにいさせているようなものだ。…すまないな」

 今度はソーマが俯いてしまった。

 エレナは敬愛するソーマに申し訳なく感じ、慌てて訂正しようとすると、イングがソーマの頭部に張り付いた。

 カヴェリの時とは異なり、ゴシゴシゴシ!と全身でソーマの頭を撫でまわす。

〈元気を出して下さい相棒‼︎ソーマの人員配置は最善を尽くしています!エレナとカヴェリは非戦闘員ですから、コアたち〝笛持ち〟組にいても足手まといです‼︎〉

「…容赦ねぇなこのAI…」

 思わずカヴェリが呟く。


 エレナは苦笑いを浮かべつつも、「私も納得している」と言った。

「イングがフレイアを作ってくれたおかげで、あっちは以前より安全に動けているもの。だからソーマ、謝らないで…。いつだって、あなたが一番に、私たち全員のことを考えてくれていること、ずっと前からわかってる」

 今度はエレナがソーマの肩に手を置いた。

 ソーマが顔を上げると、エレナはそのまま彼を抱擁した。

 イングに乱された髪を整え、ソーマは目を伏せてエレナの抱擁に応えた。


「ちょうど、フレイアを通してコアたちと連絡を取ろうと思っていたところなんだ。エレナ、サラも君と話したいだろうから、ここにいてもらっていいか?」

 抱擁を少し離し、ソーマが言うとエレナは嬉しそうな笑顔を浮かべた。



―――――――――――――

日本ウォームアース所属七草学園


 沈没都市の支援のある学校の一つだが、学校といっても旧式のものとは異なる。

 総勢40人ほど。保護者のいない18歳までが対象で、この学園に通う子供たちは寮で暮らしている。

 

 勉強の他にも、農業や林業、リユースするための修復技術などを学ぶために校外学習を行うこともある。

 沈没都市に移住するための勉強と、叶わなかった時、内陸で生きる術を学ぶ学校だ。



「この牛舎みたいなのが教室」

「もともと牛舎なんでしょ?」


 サクタはマナのために学校案内をしていた。

 ちなみに二人の間には誘拐されていたもう一人の生徒、6歳の少女もいた。

 少女はゆりんという名前で、誘拐したワンボックスカーから一番に助けてくれたマナに懐いていた。

 内陸での暮らしのせいで両手の小指がないがたくましく元気の良い子供だった。

「この教室の地下はね、沈没都市が作ってくれたシェルターがあるんだよ!危ない人たちが授業中に来たらここに入るんだよ!」

 ゆりんが教室に入って床に取り付けられた扉を指差した。

 休日の誰も居ない教室にマナも入って行き、ふぅんとその扉を見下ろす。

「ってことは、これは壊さないように気を付けないとね」

「そうだよ!壊したらこの学校にいるトンボにやっつけられるんだって先生が言ってた!」

 ゆりんがめっと人差し指を立てた。

 マナとゆりんの物騒な会話に、サクタは「いやこのシェルターを壊せる火力って学校吹き飛んでるだろ…」と眉を寄せた。


 

 牛舎を改造してつくった教室は大開口窓で、今日のように天気の良い日は解放される。校庭で遊んでいる子供たちの声もよく聞こえ、それぞれ楽しそうに休日を謳歌していた。

 マナがシェルターを閉めると、ゆりんは「次は職員室ね!」とマナの腕を引っ張る。


 職員室には教師が一人いた。

「あぁ、いらっしゃい。マナ。学校はどう?」

 当直はあの時誘拐されていたもう一人、河童流未という若い女性教師だ。

 この学校には彼女を含めて9人の教師がいるがこの流未は少し特殊な立場の教師だ。

 マナは「こんにちは」と愛想笑いを浮かべて、流未を観察する。


 艶やかな黒髪を一つにまとめて、凛とした雰囲気がある。

 勝気な顔立ちも相まって怒ると怖そうだが、三人を迎えた笑顔は母性的なあたたかさがある。


 彼女は沈没都市の住民でもある。

 支援活動とは異なり、単独で内陸へ支援を行う慈善活動だ。

 個人の活動であるため沈没都市の恩恵はほとんど使えないのだ。例えば、護衛のために軍人を雇えない・沈没都市から資材を貸し出すことができない…などの制限がかかる。

 そのため沈没都市で最も推奨されない職務といわれている。


(わかんない人)

 朗らかな表情の下、マナはひどく冷めた気持ちで流未を見る。

「ここの子たちはみんな親切ですね。来て良かったです」

「こっちもあなたのおかげで助かったわ」

「あぁいえいえ。私は車の追突に出くわして様子を見に行っただけですから」


 あの時の誘拐は結局、誘拐犯の自滅として片付けられていた。

 周囲にいた人間はとにかく危険なところから逃げることを優先していたので、誰もマナの行動を証言する人はいなかった。

 おかげで「七草学園に向かう途中で偶然出くわしました」が通用した。


 流未と会話を交わしながら職員室内にも目を配らせる。

(沈没都市の支援があるから、パソコン電子機器もある。恐らく、戦闘用無人小型機〝トンボ〟もここに安置されているはず)

 さきほどゆりんが話していた〝トンボ〟とは、直径30㎝から50㎝のトンボ型のロボットのことだ。

 攻撃型や偵察型など4種類のタイプがありサイズも異なる。ここにあるのは即戦力になる50㎝の攻撃型のはずだ。

(いざとなったら〝ボア〟にハッキングしてもらって都合の良いように使わせてもらおう)

 てきとうに会話を終わらせ、次は図書室へ…という流れになったが、窓の外からゆりんと年齢の近い子供が3人ほど声をかけてきた。


「ゆりーん!縄跳び大会しようよ!」

 ゆりんは縄跳びが好きなのか嬉しそうな顔をした。でもマナのために学校案内もしなければ…と友人とマナを交互に見ている。

 行動に感情が出るあたり、ルカに似ているとマナは思って少し笑った。

「いいよ、ゆりん。あとはサクタに案内してもらうから」

 隣のサクタから小さく「え?」とか聞こえたが、ゆりんはパッと笑顔になって頷いた。


 元気よく外へ出て行ったゆりんを見送って、マナはサクタに催促する。

「図書室、どっち?」

「‥‥こっちです」

 女子と二人きりが気まずい…そんな声がはっきり聞こえそうな顔で、サクタは案内を続行した。


 七草学園にある建物は大きく分けて四つ。

 食堂つきの寮。

 牛舎のような教室。

 電子機器を備えている職員室。

 そして二階建ての建物。一階に図書室。二階が体育館だ。

 図書室に入ると、時折上からダム!ダム!とボールの跳ねる音が聞こえる。恐らく上で遊んでいる生徒もいるのだろう。

「サクタもみんなと遊びたかった?」

「答えにくいよ…。前は、遊ぶ友達が一人いたんだけど…」

 言い淀んだサクタに、マナは「もしかして死んじゃったの?」と内陸あるあるを尋ねた。

 サクタは空笑いをして「ちがうよ!」と否定したが、首を捻って「今はわかんないけど」と切り出した。

「なんか、内陸の方で生きたいって言って、出て行っちゃったんだよね。同い年で男子だったから、すごく残念だった。そいつとはいっぱい遊んだよ。…今でも忘れられないくらい、大事な友達なんだ」


 マナは本棚に沿って歩き出し、「それは寂しいね」と彼が感じているであろう感情を言葉にする。

 サクタは素直に頷いてマナの後ろを歩いた。

「サクタはその時、ついて行こうとか思わなかったんだ」

「実はそいつに誘われてはいたんだ。ちょっと悩みもした」

 けれど、ついて行かなかった理由がサクタにはあるらしい。

 無意識に、マナはそれを聞かない方が良いと感じ取った。

 対象の心情に踏み込み過ぎるのは判断を鈍らせる。

 話題を移そうか考えていると、サクタの方から「こ、これは―!!」と感極まった声が上がった。


 足を止めて振り返ると、彼は一冊の本を手に取って震えていた。

 マナは歩み寄って表紙を覗きこむ。

「〝Fageの未解明伝説!総〟?…なにこれ」

 マナは胡散臭い本に目を座らせる。

 サクタはくっと強く目を閉じてなにかを噛みしめていた。

「知らないなんて人生損してるよ。Fageですら解明できない謎を集めた知識と想像がおさめられた…魔法書といってもいい。この本のシリーズは〝開〟〝部〟〝総〟の4部作になってて、その中でも〝総〟は他三部作全てを詰め込んだ宝の本だよ。この学校ではこの一冊しかなくて、みんなに人気で中々順番が回ってこない伝説の一冊なんだよ。偶然に置いてあるなんて奇跡だ…」

「ふぅん。初めて読むからそんなに嬉しそうなの?」

「あらゆる手を使って3回は読んでる」

「‥‥じゃあ他の子に貸してあげなよ…最年長者が大人げない…」

 ぎゅ、と宝物を抱きしめているようなサクタに、マナは一層目を座らせる。


 サクタはおもむろに本を開いて、マナに見せてやった。

「いやいや、ホントに面白いんだって。所謂、てきとうな都市伝説を集めているわけじゃないからさ。実際に確認されたものを科学的に分析したら…っていう現実に基づいて編集されているんだ。第一章〝ラクスアグリ〟。34年前の幻の島とか、マナも知ってるでしょ?」

「まぁね。火山の噴火と共に現れた資源豊富な島のことだよね。Fageの異常気象に囲まれた島だったからエンドレスシーの信号観測も難しくて、島の成長に関してはほとんど分からずじまいだったっていう」


 思いの外さらっとマナからラクスアグリ島について語られたので、サクタは少し嬉しく思った。

「それそれ。気象の類も信号を生むから、本来であればエンドレスシーで観測して数値予報を作れる。でも異常気象は特殊な信号波を出しやすいから乱れるんだってね。それでもなんとかシミュレーションが作れるぐらいにはエンドレスシーでの観測がうまくいって、調査隊もこの島に行けたんだよ」

「誰も帰ってこなかったらしいけどね」

「…そうだけど、なんでそんなこというの…」

 もっと盛り上がるところを語ろうよ…と言いたげなサクタの視線に、マナは悪戯に微笑んだ。

 そして辺りの本を見渡す。

(…沈没都市の移住を考える子たちのいる学校だものね。ゆりんもそうだけど、内陸出身者とはいえ賢い子が多い。工学関係はもちろん、こういった娯楽の本でさえ内容は科学分野がいくつも関わっている。せっかく保護対象になっても、こうした環境についていけない子が蒸発するって話し、よく聞くけど納得だ)


「あ…」

 サクタが不意に声を上げたので視線を戻すと、彼はサッとページをめくった。

 へたくそな隠ぺいに、マナはサクタの手に軽く指でひっかけてページを戻させた。

 そのページには〝Fage以降発見された新種の花〟と書いてあった。

(ああなるほどね)

 マナは申し訳なさそうな顔をしているサクタににっこりと笑いかけた。

「私が一年前の大火災から避難してきたって話し、気を遣わせちゃった?大丈夫だよ」

 表向き、マナは北アメリカからの避難民として扱われていた。

 サクタはマナのあっけらかんとしている表情のせいで彼女の心情が分からず、本を閉じて困った表情を浮かべた。

「でも、このオーバークォーツのせいでしょ?アロンエドゥが起こした爆弾にはこれが使われていたっていうし」

「原料がお花ってところは中々興味深いと思うよ。内陸で一番火力のある火薬だし、火災があったのは西アジアでもそうだもの。一々トラウマみたいに気にしてられないよ」

「…そっか。でも日本にはアロンエドゥはいないし、オーバークォーツの花も入ってきてないらしいから、きっと大丈夫だよ」

「う、うん…」

 大火災で傷ついた心をひた隠している…と思われているようだ。

 さすがにマナもいつものように朗らかに笑う、という手が使えず狼狽えた。


 鈍感なサクタはそんなマナには気づかず、本棚からなにか探し始めた。

〝Fageの未解明伝説!開〟を見つけ、なぜかそれをマナに差し出した。

「これはまだオーバークォーツの花のページがないものだから、読んでみてよ。ちなみに他に人気の娯楽本は〝沈没都市のテクノロジー宝庫・大解説大冒険〟だけど、どっちが良い?」

「‥‥…………こっちでいいよ」

 サクタなりの親睦を深める行為なのか分からないが、マナは笑みが引きつらないように気をつけて、彼のおすすめの本を受け取った。



―――――――――


「ねえヒヨリ。ここがイングのおすすめ物件じゃなァい?」

 女性的な口調で、その男性はある一軒家の玄関を蹴破った。

 その一軒家にたむろしていた10人くらいの男たちが一斉に腰を上げ、お手製の武器を手に取る。


 玄関を蹴破った男性は180㎝は超えている高い身長に、細長い手足が相まって豹のようだ。

 しかし火傷のせいで垂れ下がった耳は羊のようで、肉食なのか草食なのか、性別をも惑わせる。


 男性の後ろから「カマ。お邪魔しますって言わなきゃ。日本ではみんなそう言うよ」と呑気な女性の声が聞こえた。

 日本人らしい黒髪と瞳に、アジア人の女性にしてはすらりとした高身長だ。


 ヒヨリがカマの隣に立つと、男たちの表情が変わった。

 男たちの中から一人進み出た。

「おい。女おいていくならそっちのオカマは見逃してやるよ」

 数人が武器ではなく、ロープに持ち替えていた。


 苦しいほどの緊迫感だが、カマは「エェン⁉︎」と黄色い声を出した。

「な、なんでアンタ、アタシの名前を知ってんの⁉︎も、もしかして、アタシの元カレにいたかしラ?」

「あああ⁉︎」

 男の一人が頬をひくっとさせて怒鳴った。


 カマの隣にいたヒヨリは自身に迫る危険を差し置いて笑った。

「ちがうちがう!ちょっと日本語の手違いが起きてるだけだよ。――ほら。とっととこの家、譲ってもらおう」

 ヒヨリのはっきりとした宣言に、カマのせいで調子が狂った男たちは最初の顔つきに戻った。


 金属バットや両口ハンマーなど、殺傷力の高い長物を持つ者が4人、カマへ振りかざした。

 ガンガン‼︎ゴッ!――ゴン‼︎

 とカマに当たる前にそれら武器は男たちの手から弾かれて四方八方に飛んでいった。

 理解不能な衝撃が手を痛ませ、男たちは怯んだ。しかしすぐに拳を握って突き出す。

 カマが「せっかちに手を出したら一回転しちゃうわヨ」と警告すると、彼の足元から黒い帯が彼の身体を包むように回転して現れた。

 突き出した拳を止めるには間に合わず、その黒い帯に当ててしまう。

「あっ、ああああ‼︎」

 殴りつけた男が悲鳴を上げて転がった。

 一回転どころではない捻じれ方をし、腕の光景と痛みで我を忘れて泣き叫んでいる。


「さ、先に女を押さえろ!」

「あれ、女がいない…」

 男たちの動揺がさらに広がった時、後ろで縄を持って待機していた二名の両手の腱が切り裂かれた。

「ぎゃああああああ‼︎」

 後方からけたたましく叫んだ二名に他の男たちが振り返った。

 そこには両手に諸刃の短剣を装着したヒヨリが、刃についた血を振り払っていた。


 パニックではあったが、それでも弱い方から倒そうと思考が働き、男たちはヒヨリの方へ向かった。

 しかしまた、ヒヨリの姿を見失う。

 目玉を動かす時にはすでに、両手の腱を断絶されていた。


 容赦ないヒヨリに続き、カマは動けなくなった男たちを引っ掴んで外に連れ出していた。

 長い足に黒い帯を纏わせ、男を一人一人蹴り飛ばしていく。

 強烈なバネのような力がカマの足で働き、男たちはボールのように遠くへ飛ばされていく。

 ヒヨリが男たちを戦闘不能にし、カマが家から物理的に放り出す…それを何回か繰り返して、その一軒家を占拠できた。


「接近戦でヒヨリに勝てるギフト持ちっているのかしら。動きを加速させる〝ブースト〟って便利よネ」

 カマはふぅ、と一仕事を追え、ヒヨリのギフトについて発言した。

 ヒヨリはきょとんとして、次いでカマのくるくると動いている黒い帯を見て笑った。

「えっぐいのはそっちだけどね。だってそれ、銃弾も跳ね返せるんでしょ?」

「銃弾が見えるわけじゃないから、その辺は勘ヨ。こうやって腕や足に纏わせて使った方が実用的だし、ぶっちゃけ前方の対象にしか効果を発揮しないから、いつだって真っ向勝負ヨ。アタシの〝エスタ〟は」

 カマは自分の刈り上げをさすり、〝エスタ〟を停止させた。黒い帯がゆっくりカマの足元の影へ消えていく。

 


 二人は拠点として選んだ家に入り、傷だらけでささくれ立ったテーブルに黄色の羽毛のボールを置いた。ヒヨリがべしょ、と手の平で潰すと〈ピヨピヨ!〉と音が鳴った。

 手を退かすと羽毛は膨らみ、両翼を広げて黄色のセキレイインコの姿に変化する。


〈この姿の時はどうぞアイアムマイミーのことを〝イングっ子〟と呼んで下さい‼︎〉


 流暢に喋るインコ…ではなく、イングが早々に呼び方を強要してきた。


 カマはイングの技術に驚きながらもインコ型のロボットをつついた。

「ちょぉっとぉ?言われた通りこの家に来たけど、ボロボロじゃナイ~。全面フローリングの家が良いって言ったのに。なんなの、この芝生。家の中に芝生があるんですケド」

「カマ。これはね、一応畳っていう床なんだよ。うん、裸足で歩けないくらいボロボロだけどね」

 畳みを芝生と形容され、ヒヨリはなぜか少し申し訳ない気持ちになってしまう。


 イングの分身――イングっ子は両翼をバサバサと激しく動かして抗議する。

〈七草学園の様子を双眼鏡で監視できる距離!いざとなれば10秒でヒヨリが助けに行ける距離!いざという時の逃亡のしやすさ!それを踏まえた上で最も適した隠れ家ですよ!全く!どうしてあなた!そんなに我儘な人⁉︎ぷんすかぷぷんのぷん!〉

 器用に両翼を組んでそっぽを向くイングっ子に、ヒヨリはよしよしと宥めて頭を撫でた。

「さっきの連中がいたおかげでこのあたり人気もないし、良い所見つけてくれたよ。ありがとね、イング」

〈もっと褒めてくれていいんですよー?あ、イングっ子って呼んでください。(ピヨッ)〉

「…語呂が悪いんだよなぁ」

 ヒヨリは小声でそう呟いて、「それでこの後の方針だけど」と切り出した。


「ソーマはやっぱり、サクタ君の沈没都市移住試験まで私たちには護衛に徹して欲しいって考えなのね?」

〈ええ。正直アイアムマイミーは推奨しませんが、上手くいくのであれば確かに悪い案でないのも事実です。試験に受かって沈没都市に移住するのなら、泥蛇は手を出しづらくなります。沈没都市の資源を傷つけることは泥蛇の本意ではありませんし、その性質上できるとは思えません。ギフトを回収するにはギフト持ちを殺害する必要があります。沈没都市内でならそんな騒ぎを起こすことはしないでしょう。〉


 沈没都市出身であるヒヨリはそのセキュリティの強さを知っている。いくら泥蛇がエンドレスシーに介入できると言っても、サクタを殺害するには沈没都市内では不都合が生じる。

〈しかしだからこそ。泥蛇はサクタさんのギフトを起動させることに注力するはずです。我々を誘き出してあちらの兵士と戦わせたり、情報操作をして内陸の人間にあの学校を襲わせる可能性すらあります。ギフトを使わざるを得ない状況を作り出して機能を確認後回収する。…移住試験までに。〉

 イングっ子の暗い一言に、カマの表情も苦く歪んだ。

「ちなみに、その移住試験っていつかしラ?」

〈3ヶ月後です。試験前には沈没都市の支援団体も来訪して、教育支援期間も設けるはずです。護衛の軍人も3人くらいは来るでしょう。〉

「沈没都市の命令を操作して私たちの敵になる可能性も出て来る。試験が近づくほど、護衛が難しくなるね」


 ヒヨリの提言に、イングっ子は首を縦に振る。

〈(ピヨッ)そういうことです。サクタさんにとっての最良は我々にとっても最善にはなりますが、ソーマの言っていた通り、最悪を回避するために、無理やり保護することも視野に入れておいて下さい。〉


 ヒヨリとカマは顔を見合わす。

 互いにギフトが宿ったことで人生が狂っている。

 それを年若い少年に負わせることに抵抗はあるが、それで死なせてしまうわけにはいかないと頷いた。




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