第21話:非論理的な優しさと、秘密の共有

 佐伯悠真は、野々宮会長との電話の後、行動の最適化を図った。


 彼の最初の行動は、非効率の極みだった。


 翌日、彼は藤崎心が進級制作で必要としている絶版本を、市内の古書店街を巡って探すことにした。通常、悠真ならインターネットのデータベースを駆使して一秒で検索を完了させる。しかし、彼は敢えて、足と時間という、最も非効率な資源を投じた。


 三軒目の薄暗い古書店で、埃をかぶったその本を見つけたとき、悠真の心に、予期せぬ喜びが生まれた。


 夕方、悠真が藤崎にその本を差し出すと、彼女の瞳は大きく見開かれた。


「え、うそ!?なんでこれ知ってるの?どこで見つけたの、悠真くん!」


「論理的な検索範囲を、デジタルからアナログに拡張しただけだ。君が探していると聞いたから」


 悠真は、あくまで冷静に答えたが、藤崎の太陽のような笑顔と、彼女の口から零れる感謝の言葉は、彼の心というデータベースに、高エネルギーな幸福データとして記録されていく。


「ありがとう!これ、本当に助かる!悠真くんって、本当にすごい論理の持ち主だね。でも、人の気持ちまで計算できるなんて、ちょっと怖いよ?」


「僕は、今、愛着資本という新しい論理を学んでいる最中だ」悠真は、正直に答えた。


 藤崎は、本を抱きしめながら、ふと真面目な顔になった。


「ねえ、悠真くん。私、論理的な人って、ちょっと苦手だったんだ。でも、悠真くんの論理は、誰かのために使われている気がする。なんか、優しくて、切ない匂いがする」


 彼女の言葉は、悠真の心の深層を貫いた。「切ない匂い」。それは、詩織の愛が遺した、消えることのない痕跡だった。



 二人の距離は、急速に縮まった。悠真は、藤崎といる時間を、もはや「非効率な時間」とは呼ばなくなった。それは、「人生の質を高めるための、絶対に必要な時間」へと定義が変更されていた。


 ある夜、キャンパスの図書館が閉まる直前。


 悠真と藤崎は、自習室で勉強をしていた。ふと、藤崎が、口を開いた。


「ねえ、悠真くん。私ね、一つ、誰にも言えない秘密があるんだ」


 悠真は、驚かなかった。


「言ってごらん。僕の論理は、秘密の厳守を最優先する」


 藤崎は、深く息を吐いた後、真剣な眼差しで悠真を見つめた。


「私、小さい頃から、たまに死んだ人が見えることがあるの。正確には、『成仏できていない、後悔を抱えた魂』」


 悠真の心臓が、激しく鼓動した。彼の完璧な論理が、即座に停止した。


「……それが、君の秘密なのか」


「うん。でもね、その人たちは、私に話しかけてこないんだ。ただ、悲しそうにそこにいるだけ。だから、私、誰かに優しくすることを、すごく大事にしてるの。いつ、誰がいなくなっても、後悔しないように」


 藤崎の瞳は、詩織と同じ、真実の光を宿していた。


 悠真は、胸の内ポケットに触れた。猫のピンバッジの冷たさが、彼を冷静に引き戻す。


悠真は、決意した。彼自身の最も大切な秘密を、彼女に明かすことが、詩織の愛への最大の証明であり、藤崎への最大の信頼になる。


「藤崎。僕にも、一つ、誰にも言えない秘密がある」


 悠真は、ゆっくりと、話し始めた。亡き幼馴染、立花詩織のこと。彼女が幽霊として僕の前に現れたこと。夜の図書館での秘密の逢瀬。後悔の連鎖、そして、詩織が消滅する瞬間に伝えた、僕の「愛してる」。


 藤崎は、最後まで一言も発さず、ただ静かに、涙を流しながら聞いていた。彼女の涙は、同情ではなく、共感の証明だった。


 悠真が話を終えると、藤崎は、静かにハンカチで涙を拭った。


「悠真くん…ありがとう。そんなに大切な、切ない秘密を、私に話してくれて」


「君が、僕の論理が理解できない領域を知っていると思ったからだ。君の**『非論理的な優しさ』は、僕の愛の論理**にとって、最も必要な補完データなんだ」


 藤崎は、微笑んだ。その笑顔は、詩織の影を追うのではなく、藤崎心自身の、力強い光だった。


「詩織さんは、本当に悠真くんを愛していたんだね。だから、悠真くんを新しい愛の場所へ送るために、頑張ったんだ」


「ああ。彼女の最後の願いは、『生きて、笑って、恋をして』だ。僕は、その最後の課題に取り組んでいる」


 藤崎は、悠真の頬に、そっと手を伸ばした。彼女の手は、触れられる、確かな温もりを持っていた。


「恋ってね、悠真くん。論理じゃないよ。それはね、『この人の笑顔を、未来でもずっと見ていたい』っていう、非効率だけど、絶対的な衝動のことだよ」


 彼女は、静かに目を閉じた。


「私ね、悠真くんといると、ずっと笑っていられる気がする。そして、悠真くんの優しくて切ない論理が、私を幸せな気持ちにしてくれる」


 悠真の心は、激しく揺さぶられた。


「藤崎。僕は…君に恋をしているようだ」


 悠真は、何の論理的な計算もなしに、ただ衝動だけで、そう告げた。彼の人生で、最も非論理的で、最も正直な告白だった。


 藤崎は、目を開き、少し驚いた後、太陽のような笑顔を再び見せた。


「うん。私も、非論理的に、悠真くんのことが好きだよ」


 図書館の閉館を告げるアナウンスが響く中、二人の間に、新しい、温かい愛の論理が、確かに誕生した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る