第36話 うん。そゆこと
冬休み明けの教室は、独特の賑やかさがある。廊下の床がまだ冷たいままなのに、この賑やかさだけは春っぽい。
「どこ行った?」「誰と初詣?」「告られた?」みたいな単語が、そこかしこで同時に飛ぶ。色々な恋バナがストーブの上のやかんみたいに勝手に沸いて、勝手に湯気になってる。
年が明ける前までは遠くでやってる人間観察、くらいの距離感だった。
でも今年は、ちょっと違った。
その話題は、もう私たちに向くというのに、察しがついていた。
実際、カバンを机に置いた瞬間、私の予想どおりの声が聞こえた。
「さつき、正月何してた?」
声は明るい。悪気はない。ただの興味。彼女たちは、楽しいところを引き出そうとしてるだけだ。
それでも、私の肩はすっと緊張する。
さっちょんは、机に頬を乗せて、片目だけ上げて笑った。気怠いときの笑い方。見慣れてるはずなのに、見るたび毎回ちょっと胸が鳴る。
「いとこと初詣行ったー」
「えー、なんだー」
「なんだーってなに」
「だってさつき、ぜったい誰かと行ってる説あったんだよ?」
「ないない」
「えーほんと?」
「嘘は言わないよ」
「じゃぁ、クリスマスは?」
「それは……うん。そゆこと」
少し火照って答えるさっちょんに、周りから小さな歓声が上がる。
このノリ、ありがたいのは分かる。これがあるおかげで、私たちは教室で殴られずに済んでる。
でも、今日は少しだけ刺さった。
かわいいネタみたいに扱われるのが、都合よく使われてる感じがした。
前にも同じようなことがあったのに、何故か今日はそれが凄く嫌だ。
あの日は、私の首元にマフラーが巻かれて、私の指先に手が重なった夜なんだけど。
それを、こうして笑い話の棚に並べられると、そこに私の気持ちごと置かれてるみたいで、なんかムっとする。
嫉妬、なのだろうか。
そうだとしたら、私はそこで初めて、嫉妬って人だけに向くんじゃないんだって知った。
人じゃなくて、場とか空気とか、軽く扱われることにも向くんだ。
続けて、別の声が飛ぶ。
「ていうかさつきさ、コンビニで男子と話してたの見たよ〜? あれなに〜?」
その一言で、私は指先まで冷たくなった。
聞き捨てならない単語が、今さらっと混ざった。
さっちょんは少しだけ目を細めて、あっけらかんと返す。
「あー、たまたま会ったから喋ってただけ」
「えー、でもさつき笑ってたじゃん~」
「え、笑ってた?」
「笑ってたよ〜。私たちにも笑顔の分け前ちょうだいよぉ」
分け前っていう単語に、体が反射で反応した。
何もされてないのに、胸の中に熱がぶわっとわく。
分け前ってなんだ。
さっちょん、分け前で配られるタイプのものじゃないんだけど。
人を物みたいに扱って、意味が分からない。
その瞬間、胸の奥にある縄みたいなものを誰かに掴まれた。
椅子を引く音が思ったより大きく鳴って、私は立ち上がっていた。
自分でもびっくりした。
そんなつもりはなかった。
「……トイレ」
それだけ言って教室を出た。ほとんど逃げるみたいな歩幅だった。
廊下の空気はまだ午前中の冷たさが残ってて、その冷たさを肺に無理やり押し込んで、気持ちを落ち着かせる。
怒ってる。
こんなふうに怒るんだ、私。自分のくせに、全然把握していなかった。
分け前なんて、笑いのノリなのはわかってる。
「みんなのさつき〜」っていう冗談なのもわかる。さっちょんが人気者なのも別に今に始まったことじゃない。
でも、今の私は、そのみんなの部分に噛みつきたかった。
みんなの? 違う。
私のだよ、って。
あれ、私……何に怒ってるのだろう。さっちょんをバカにされたから? いや違う。
私、あの子のこと“私の”だと思ってるんだ。
怖。
いやでもそれが本音なんだからしょうがない。しょうがないけど、怖。
階段の踊り場で立ち止まって、壁に背中をつける。指先がまだ熱い。
感情がこんなスピードであふれると、逆に言葉が追いつかなくなる。これまで私が“なんでもない”って笑って隠せてたのは、ちゃんと感情にラグがあったからだ。
今は、それがない。ダイレクトで胸の真ん中に差し込まれてる。
足音が近づいてきて止まった。
「きいちゃん」
そして呼ばれた。
来るだろうなとは分かってた。
それでも少しだけ、心臓がはねる。
正直、この呼び方を聞いただけで、少し怒りの角が取れて丸くなってしまう。
「どうしたの? いきなり出てったじゃん」
「別に」
口が勝手に、いつもの防御の形をとる。「別に」。
でもそれは、熱い飲み物をストローで吸おうとするみたいな無理がある。隠れてなさすぎる。
「別にって顔じゃないけど」
「顔の話しないでよ」
「じゃあ、普通に話す?」
さっちょんは一歩近づく。私との距離が一段と縮んで、制服と制服の間の空気がひとつになる。
階段ってこういうとき不便だ。逃げ場がない。いや、逃げたくないから私はここで止まったのかもしれない。
息を吸って、吐く。
吐いた空気が白くならないのは、校舎の中だから。
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