第13話 ちょっとムカつく

「それってさ」


 喉が乾いて、声がうまく出ない。私は唇を一度舐めて、なんとか言葉を押し出した。


「それって……それ、もう彼女じゃん」


 自分で口にして、自分でビビる。あっ。いま、さらっと言った。やば。

 さっちょんは、そこでやっと、少し笑った。

 からかう笑いじゃない。息が漏れるくらいの、小さいやつ。


「うん。だからさ」


 彼女は、私の袖口をつまんでいた指を、そのまま手の中に滑らせた。

 昨日は、こっそり袖の中から。今日は、もう袖の外で。

 ためらいなく、指と指を絡める形になる。ちゃんと、手をつなぐ形。


「友達って言われるの、ちょっとムカつくんだよね」


 心臓が爆発した。

 比喩じゃなくて、本気で、胸の内側から何かがドンってぶつかってきた。反射で息が止まる。目の奥が熱い。


 どういう顔すればいいのかわからない。

 今、私じゃどんな顔してる? 赤い? 変? 泣きそう? 笑ってる? どれ?

 分からないから、海を見た。


 海は夕方の色になりかけていて、青でも灰色でもなく、銀の手前みたいな、一言で言えない色をしていた。波頭だけ白い。

 その白が、日暮れ前のうすい光を拾って、ちょっとだけキラキラしてる。


 私は、自分の口が勝手に動くのを、遠くから見ているみたいな気分で言った。


「……ねえ」


「ん」


「私、死ぬほどドキドキしてるんだけど。これ、普通に顔に出てる?」


「うん、出てる。めっちゃかわいい」


「かわいいって言うな。無理。死ぬ」


「死なないで。私のだから」


「そういう言い方やめてって言ってるでしょさっきから!」


「やだ」


 やだ、って、ほんと平気で言う。

 人の心臓を持って遊ぶ言葉を、平然と「やだ」で守ってくる。


 私は、もう笑うしかなかった。笑うっていうか、息を吐くしかなかった。

 逃げ道がないなら、降参するしかない。両手あげて白旗を振る、みたいな感じ。


「……じゃあさ」


「うん?」


「それ、私もさ。そういうふうに思っていいってこと?」


 沈黙。

 夕方の風だけが、制服の裾を揺らす。波の音だけが、頭の中で繰り返される。

 私のほうが先に視線をそらした。

 自分の問いが、予想よりずっとまっすぐだったことに、自分でびっくりしていた。


 思っていい? って聞いた。

 つまりもう、私はそう思い始めてるってことだ。それを本人に見せてしまったってことだ。


 戻れないな、って思った。ここ、もう戻れない場所だ。

 さっちょんは、ちょっとだけ笑った。今度は、安心したみたいな笑いだった。


「きいちゃんは、ずるいよね」


「なにそれ意味不明なんだけど」


「ちゃんとそういうこと言えるんだもん。かわいいのにずるい」


「かわいいって言うなって何回言わせんの」


「回数制限ないし」


「むり。ほんとむり。もうむり」


「むりでもいいよ。むりでも、きいちゃんは私のだから」


「だからそういうのほんとにやめて心臓が」


「心臓は大事にする」


「してないじゃん今!」


「してるよ。だから言ってるんだよ」


 彼女はそう言って、私の指を、もう一度ぎゅっと握った。

 ちゃんと力をこめて。落ちないように、とでも言うみたいに。


 それだけで、私の体の震えはすこし落ち着いた。

 さっきまで暴れてた心臓が、ちゃんと胸の中に戻ってくる。

 息も、ちゃんと吸える。吸った空気には潮の匂いが混ざっていて、その匂いが今、ここをはっきりさせる。


 これが、私とさっちょんの、友達じゃない位置。

 私は、やっと少しだけ笑えた。


「……分かった。じゃあもう、『親友だから』っていうの、あんま好きじゃないって顔、たまにしていい?」


「いいよ。ていうかそれ好き」


「好きって言うな!」


「言うし。毎日言うもん」


「うざっ」


「知ってる」


 海は、静かに寄っては返す。

 日が落ちきる前の光が、波の表面でちいさく弾けて、すぐに消える。


 私たちは学校帰りの制服のままで、手をつないだままで、何もなかった顔で並んで座っている。


 きっと、誰かが遠くから見たら、仲良い女子二人が夕方ちょっと寄り道してるくらいにしか見えないはずだ。

 でも、それはもう全部違う。それは私たちだけは知っている。


 夢のようなものを、徐々に現実にしてる。

 親友っていう安全な言葉に隠れながら、その安全をどんどん危険に書き換えてる。

 それが、今日の放課後までで分かったことだ。

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