第7話 私だけに言ったやつだよね?
教室に向かう廊下を歩くとき、私は小声で言った。
「便利だよね、その言葉」
「でしょ?」
「自慢げに言うなよ」
「だって便利なんだもん。彼氏? って聞かれないんだよ? 神アイテムじゃない?」
「それをアイテムって言うのやめて」
さっちょんは明るい声で笑った。
その笑い方は、たぶんクラス全員が知ってるいつもの五十嵐沙月の声で。けど、そのすぐあと、私の方だけに聞こえるくらい小さい声で、さらっと落としてくる。
「でも、お昼はほんとに二人がいいから」
心臓が、ドクっと跳ねた。
その感じ、昨日の夜とまったく同じ。私専用の方のさっちょんだ。
教室バージョンじゃなくて、堤防バージョン。切り替え反則すぎ。
「……別に、いいけど」
「いい子」
って言って、さっちょんはまた私の袖をつまんだまま、教室のドアをスライドさせた。
教室は、いつもの朝の匂いがする。
チョーク、ヘアスプレー、昨日の掃除の残りのオレンジ系洗剤、あとわずかに潮。
窓からの光が白くて、黒板の右上には「現代文プリント 本日提出」って大きく書かれてる。
あーそうだ、それ。出さなきゃいけないやつ。
忘れてた。生きることに必死で宿題のこと忘れてた。
「きらり〜。現代文のやつ持ってる? 今日出すやつ!」
前の席の子に呼ばれて、私はカバンの底からくしゃくしゃになったプリントを引っ張り出した。
A4だった紙が、なんかB6サイズくらいまで縮んでる。
「あるし。ちゃんとあるし。ほら」
「しわっしわだな……」
「味わいってやつだよ。味わい深いプリントだよこれ」
「先生に渡す前にそこらへんで一回アイロンかけてきなよ」
「アイロン室とかないから」
そうやってどうでもいい会話してる間も、耳はちゃんと横のほうを拾ってた。クラスの真ん中あたり、ギャル寄りのグループのとこ。
「あのさつっきー、日曜カラオケ来れる? さつきもマジ来なよって〜」
「え〜日曜? んー、まだ決めてないってばぁ」
「彼氏と? 彼氏〜⁇」
「いないし〜。いないの知っててそれ聞くの性格わるいよ〜」
「いいじゃんいいじゃん。沙月来ないと盛り上がんなーい」
あー、これ。
聞きたくないジャンルのやつだ。
別に、さっちょんが他の子に誘われるのは当たり前。
ていうかそりゃそう。あの子コミュ力バケモンだもん。
中心で笑ってても全然イヤミに見えないタイプの人間。
いるよね、そういうど真ん中にいて許されるやつ。さっちょんがそれ。
分かってる。頭では分かってる。
でも胸の奥が、ちょっとだけキュってなる。
昨日の取られたくないからが、喉の裏側で、勝手に再生される。
ねえ、それ、ほんとに私だけに言ったやつだよね?
限定版だったよね? コンビニ限定とかじゃなくて私限定だよね?
量産型じゃないよね?
私がプリントを伸ばすふりをして、自分の机に視線を落としたタイミングで、さっちょんがふとこっちを見た。
一瞬だけ。一秒とか、そのくらい。
でもちゃんと目が合う。
クラスの真ん中で笑ってる顔のまま、こっちだけ確認するみたいに、目線を寄越す。
大丈夫だよ、っていうわけじゃない。
でも、それにかなり近い。
いるよって言われた気がして、胸のキュっは、それ以上ひどくならなかった。
ずるい。いつのまにそんな使い方覚えたの。誰に習ったの。
誰にも習ってない顔して使うのやめて。
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