好きになっちゃった、親友のくせに

もんすたー

第1話 親友だからね


 放課後の坂道は、夏より短い。

 前はもっと長かった気がするのに、今はすぐ海に着く。

 たぶん気温のせいだ。


 十月の風って、さっさと歩かないと指先から冷えてくるから、だらだらしていられない。


「きいちゃん、手、出して」


 隣で歩いてたさっちょんが、なんの前ぶれもなくそう言った。

 私は反射的にポケットから手を引っこ抜いて、「なに」と返すより先に、伸びすぎたカーディガンの袖口をつままれる。

 親指と人差し指で、むにっと。


「これ。ほつれてる。あとで縫う」


「お母さんかよ」


「親友だからね」


 親友、って便利な言葉だと思う。こういうとき。


 さっちょんこと、五十嵐沙月(いがらしさつき)とは中学一年生から親友を続けている。

 私、後藤きらり(ごとうきらり)の一番の理解者だ。


 さっちょんの指はあったかい。私のよりちょっとだけ小さいくせに、妙に器用で、ちょっと引っ張っただけで私の腕ごと引き寄せる。

 気づいたら歩幅までそろってて、肩が軽くぶつかる距離になってる。


 わざと、とまでは言わない。

 けど偶然でこうはならないでしょ、ってくらいには近い。


 坂の向こうに海が見える。

 日が落ちるのが早くなったから、もう空はオレンジとかじゃなくて、金属みたいな色。鉛筆の芯の色をうすくひいたみたいな灰色と、水色の残りかす。

 街灯が反射して、波がちょっとだけ光ってる。


 潮の匂いが鼻に入ると、今日も一日おつかれって感じがする。

 学校で吸った黒板消しの粉っぽい匂いとか、体育館のワックスのにおいとか、そういうのが全部リセットされるのがわかるから、私たちはいつもここに下りてくる。

 ほぼ毎日。


 帰宅部のくせにわざわざ寄り道して、結局遅く帰って親に「暗いんだから気をつけなさいよ」って言われるまでがセット。


「寒い?」


「まあね。ていうか風冷た。顔寒っ」


「顔は手じゃ隠せないねー。手なら温めてあげよっか?」


「いらん」


「冷たっ。ひどっ」


 ふざけてる声。

 口ではそう返すけど、ほんとはちょっとドキっとしてる。

 さっちょんが「手繋ご」って言いそうになったのか、ただの冗談なのか、判断つかないラインを投げてくるとき、私の心臓は勝手に仕事を増やす。放課後なのに残業。


 海までの最後の横断歩道を渡るとき、信号が赤に変わりそうで、さっちょんが私の袖をまた引っ張った。

 今度は本気でぐいっと。


「ちょ、ちぎれる!」


「きいちゃん歩くの遅いもん」


「さっちょんが早いの」


「うちらってさ、歩くスピード合わないのに、よく一緒に帰ってるよねー」


「合ってるから一緒に帰ってんでしょ、普通は」


「んー? じゃあ合わせてくれてるってこと? 優しぃ~」


「調子乗んな」


 口ではそう言う。

 言うんだけど、実際は合わせてるのは私のほうで、私はそれをわざわざ指摘する必要はないと思ってる。


 別に、合わせるのってそんなに大変じゃないし。

 むしろ、さっちょんと同じ速さで歩くのが、今日一日の内いちばん落ちつく時間だったりする。


 こういうことは、言葉にした瞬間に急に重くなるから、言わないほうがいい。

 たぶん。


 堤防のコンクリートは昼間のぬくもりがまだ少し残っていて、座ると制服のスカート越しにほんのりあたたかい。

 十月の終わりって本当はもっと寒いイメージだったけど、この街は海があるぶんだけ、秋がゆっくり進む。

 冬の入り口手前で引っかかってる感じ。


 私がいつもの位置に腰を下ろすと、当然みたいな顔でさっちょんも隣に座る。間、一枚分の教科書も入らない。


 ほんとにそれぐらい、ぴたっとくっついてくる。

 肩と肩が当たる。髪が触れる。


 この距離って、私たちいつからこうだっけ。

 考えて、思い出そうとする。だけど曖昧だ。


 中一のとき、初めて一緒に帰った日は、こんなに近くなかった気がする。

 むしろちゃんと間を置いてた。


 ちょっとでもぶつかったら「あっごめん」ってすぐ離れるみたいな、そういうまだ余裕のある距離だった。

 今は、ぶつかっても離れない。

 というか、当たってるのに当たってないふりを、お互い同時にしてる。


 息を吸うと、さっちょんのシャンプーの匂いがする。フルーティー系ってやつ。

 名前は知らないけど、なんか透明なピンク色のボトルに入ってそうな匂い。

 私のより甘い。私のはドラッグストアの少しだけお高いやつ。


「今日さ、現代文の篠原まじで寝てたよね」


 さっちょんが、私の肩にあごを乗せるみたいにちょっと体重をかけながら、当たり前みたいなテンションで話し始める。

 私は視線を海に向けたまま返事する。


「寝てたね。いびきしてた」


「だよね⁉ 私だけじゃなかったよね⁉ あのブヒってやつ!」


「女子の前でブヒはまあまあ致命傷だと思う」


「ねー。かわいそう。でもちょっと録音したかった」


「最低」


「ジョークですよ、親友」


 その言葉は、たぶんふつうにいいことなんだろう。

 プリクラに「親友♡」って書くやつ。


 おそろいのキーホルダー買って、他の子にはあげないやつ。

 放課後にどっちの家に行くかで揉めるやつ。

 そういう、女の子同士のかわいいやつ。


 だけど、私たちの「親友」は、もうちょっとちがう形をしてる気がする。

 指先とか、呼吸とか、そういう生きものっぽいところまでゆっくり絡んでる感じ。どこまでが私でどこからがさっちょんなのか、たまに引きはがせなくなるくらい、混ざってる。


 それを親友って呼んでいいんだっけ、っていうのが最近ずっと喉の奥につかえてる。

 でもそれを言葉にした瞬間、たぶんもう今までと同じには戻れない気がして、私はまだ何も言わない。


 黙ってる間に、さっちょんは自分の指先を私の袖に入れて、勝手に私の手の甲をあっためはじめた。あたりまえみたいな顔で。

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