第三章 壊レタ教室・∞

沈黙するネット

 ネットの海のどこかで、ひとつの音声ファイルが見つかった。

 名前は 「ren_voice_007.wav」。

 長さは7分7秒。

 内容はただの“空白”。

 何も聞こえない。


 だが、再生すると──必ず、再生時間が8分に伸びる。

 そして終わる直前、わずかに“音”が入る。


 ――カチ、カチ。


 それだけ。



 ITニュースサイト「デジタル・フォークロア」のライター、

 相沢遥はその話を最初に聞いた時、

 オカルト的な都市伝説だと笑い飛ばした。


 だが数日後、複数のフォーラムで奇妙な投稿が相次いだ。


 > 「あの無音ファイル、削除できない」

 > 「再生するとPCの時計が止まる」

> 「音が聞こえたあと、デバイスの録音フォルダが増えてる」


 削除しても、

 別の名前でフォルダの中に“戻ってくる”のだという。



 遥は調査を始めた。


 解析ツールで中身を確認すると、

 音声波形は確かに無音。

 だが、ノイズの奥に埋め込まれていた“パターン”が異様だった。


 秒単位で並ぶ小さなデータの塊。

 それが、まるで人の声を模倣しているように見えた。


 解析結果のメタデータ欄にはこう記されていた。


 > AUTHOR: yuki_ren

 > COMMENT: record continues


 遥は息をのんだ。

 その名前を、どこかで見たことがある。


 ──数年前、

 「旧城東中学校 廃墟で行方不明になった動画配信者」。


 その名前が、佐伯諒。

 ネット上では“壊レタ教室事件”として知られる失踪だった。



 取材を進めるうちに、

 遥のSNSにも奇妙なDMが届くようになった。


 > 「あなた、録音してますか?」

 > 「返して。まだ残ってるはず」


 アカウントはすぐに消える。

 ブロックしても、別名でまた来る。


 DMの末尾には、いつも同じ一文。


 > “音は沈黙の中にいる”



 夜。

 仕事を終えてパソコンを閉じようとしたとき、

 モニターの中で何かが点滅していた。


 フォルダ名:

 record_∞


 開くと、中には7つのファイル。

 全て名前が違うが、拡張子は同じ──「.wav」。

 ファイルサイズはそれぞれ微妙に異なり、

 開くたびに一瞬だけ、ノイズが走る。


 だが、最後のひとつだけ違った。


 “you_are_recording.wav”


 その瞬間、マイクのランプが点灯した。

 操作していないのに。


 モニターに文字が浮かぶ。


 《録音を開始します》



 遥は息を止めた。

 しかし、録音ソフトが自動で開き、

 画面の波形が動き出す。


 ノイズの奥から、声がした。


 > 「忘れられたら、僕たちは消える。

  だから、誰かが記録してくれないと」


 その声は、少年のようで、少女のようでもあった。


 > 「君の声も、もう混ざってるよ」


 波形が乱れ、

 音声ファイルの長さが無限に伸びていく。


 【00:07:07】

 【00:08:00】

 【00:09:12】

 【00:10:59】……


 終わりがない。



 翌朝、遥のアカウントは活動を停止していた。

 ニュースサイトも、彼女の記事も削除されている。

 ただ、クラウド上に一つだけ残っていたファイルがある。


 ファイル名:

 ren_voice_008.wav


 再生すると、最初の七分は沈黙。

 だが、八分目で、微かな囁きが入る。


 > 「次は、あなたの声が聞こえる番」


 そして、音が止む。


 ……カチ、カチ。



 “壊レタ教室”はもう存在しない。

 けれど、音は消えなかった。


 世界中のどこかで、

 誰かがマイクを起動するたび、

 小さく鳴る。


 ――カチ、カチ。


 それが、沈黙するネットの呼吸。

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