後日談

「記録者」

 廃校マニアの間で、ひとつの噂がある。


 > 「夜の旧城東中学校で“音”を録音すると、何かが映る」


 誰が最初に言い出したのかはわからない。

 けれど、ネットのオカルト掲示板では確かにそう書かれていた。

 **“オルゴールの旋律が聞こえたら、決して録音を止めるな”**と。


 その警告を読んで、

 「面白そうじゃん」と笑ったのが、俺――**佐伯諒(さえきりょう)**だった。


 動画投稿者。

 廃墟探索チャンネル『異界ノート』の管理人。

 フォロワー数十万人。

 怖い話を集めて生きている。


 「次は“壊レタ教室”で決まりだな」


 そう言って、カメラを肩にかけた。



 午後11時47分。


 夜の旧校舎は、まるで水底のように静まり返っていた。

 入口のフェンスを越えた瞬間、湿った風が頬をなでる。


 ――カチ。


 靴底がガラス片を踏む。

 それだけで、胸の奥がざわついた。


 懐中電灯の光を向けると、壁に残る文字。

 『音を返せ』


 「うわ、リアル……」

 俺は独り言を録音に残す。

 カメラは回っている。マイクも良好。


 だが、不思議なことに、

 録音した自分の声が、わずかに遅れて返ってきた。


 「……る……」


 まるで、誰かが“後ろで復唱した”みたいに。


 俺は振り返った。

 もちろん、誰もいない。



 午前0時3分。


 教室棟に入る。

 廊下の天井は剥がれ、壁にはカビ。

 足元には無数のチョーク片が散らばっていた。


 目指すは三階の3年C組――“壊レタ教室”。


 掲示板に載っていた写真では、そこに古いオルゴールがあったという。

 誰かが置き忘れたのか、誰かが戻していったのか。


 「いたら撮れるかな……“音”の主」


 俺は笑った。

 緊張と興奮が混じり合っていた。



 扉の前に立つと、空気が変わった。

 腐った木の匂いに混じって、甘い香り――香水のような、女の子の匂い。


 「……は?」


 夜の廃墟に、そんな匂いがあるはずがない。

 なのに、確かに感じる。


 俺はカメラを構えたまま、ドアノブに手をかけた。


 ギィ……


 音を立てて扉が開く。


 そこに――机が並んでいた。

 整然と、まるで授業がまだ続いているように。

 だが、生徒はいない。


 黒板には、チョークで書かれた一文。


 『ようこそ、記録者さん』


 息が止まる。

 誰かが俺を待っていた?



 カメラを回し続けながら、ゆっくり部屋の中へ。

 中央の机の上に、木箱がひとつ。


 埃をかぶっていない。

 まるで、今置かれたばかりのようだった。


 オルゴール。


 俺は手袋越しに触れた。

 冷たい。だが、微かに震えている。


 カメラの液晶に「ノイズ検出」の表示が出た。

 音が、拾われている。


 ――カチ、カチ、カチ。


 来た。


 「聞こえる……これか……!」


 俺は思わず声を上げる。

 だが、マイクの波形に自分の声が二重に映った。

 一つは自分。

 もう一つは、まるで“少し前の俺”が話しているように。


 録音が追いかけてくる。



 突然、カメラが自動でズームした。

 誰も触れていないのに、レンズが勝手に動く。


 フォーカスの先――黒板。


 そこに、新しい文字が浮かんでいた。


 『録らないで』


 同時に、耳の奥で“カチ、カチ、カチ”が爆発的に響く。

 ノイズが暴走し、カメラがフリーズした。

 映像が一瞬、暗転。


 ――そして、聞こえた。


 「返して」


 子どもの声。

 女でもあり、男でもある。

 その曖昧な響きが、教室全体を包み込む。


 次の瞬間、ライトが消えた。


 暗闇の中で、オルゴールだけが光っていた。

 その歯車が回転し、

 ふと、俺のマイクの中で“別の音声”が再生された。


 『ありがとう もう眠るね』


 それは、この学校の黒板に残っていた最後の言葉。



 意識が遠のく。


 どれくらい時間が経ったのか、わからない。

 気づくと朝だった。

 俺は校庭の中央に倒れていた。


 カメラは無事。

 録画時間、約3時間。


 家に帰り、すぐに映像を確認した。

 ――そこには、俺が知らない場面があった。


 俺が教室の中央に立ち、

 何もない空間に向かって話しかけている。


 > 「先生、もう大丈夫です」

 > 「僕が、記録しておきます」


 その“俺”の背中から、黒い影が広がっていた。

 カチ、カチ、カチ……。


 最後のフレーム。

 俺の顔が、カメラにゆっくりと振り返る。


 ――笑っていた。



 投稿はしていない。

 誰にも見せていない。

 ただ、その映像データは削除できなかった。


 削除しようとすると、

 ファイル名が勝手に変わるのだ。


 “yuki_ren_record_001”



 今も夜になると、あの音が鳴る。

 パソコンのスピーカーから、かすかに。


 カチ、カチ、カチ――。


 きっと、彼はまだどこかで“録っている”のだろう。

 音を、記憶を、そして罪を。

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