記憶喪失の女冒険者を拾った村人の少年

@dekamilk

第1話 少年と女冒険者

 村の近くにある森は、いつも少しだけひんやりしている。

 夜露が残る草の匂いと、木々の葉の間からこぼれる光が好きだ。

 鳥のさえずりに耳を澄ませながら、僕はしゃがみこんで薬草を摘み取る。

 籠の中で緑の葉が重なり合うのを見て、僕はひとつ息をついた。


 これで今日の分は十分かな。


 腰を伸ばすと、背中の小さな布袋が音を立てて揺れる。空を見上げると、枝の隙間から差し込む陽の光が眩しくて目を細めた。

 森の外れに流れる川へ向かって歩き出す。水筒に水を汲んで帰れば、今日の仕事は終わりだ。

 川辺に着くと、さらさらと流れる水面が陽を反射してきらきらと輝いていた。

 僕は膝をつき、水筒を川に沈める。冷たい水が手を包み、心地よい感触が広がった。

 その時だった。


 ん?


 下流の方で、なにかが流れてくる。

 最初は木の枝か何かだと思った。けれど、光を反射するそれは妙に形が整っている。


 鎧……?

 

 目を凝らすと、人だった。

 銀色の鎧に身を包んだ女性が、ゆっくりと川面を漂っている。

 顔は水に濡れ、瞼は閉じられていた。息をしていない。

 僕は慌てて靴を脱ぎ、川へ飛び込んだ。冷たい水が足から一気に腰までかかる。

 必死に手を伸ばして彼女の腕を掴み、岸へと引きずり上げた。


「……大丈夫ですか!? あの、聞こえますか!」


 返事はない。

 濡れた髪が頬に張り付き、唇が青白い。

 心臓の音も感じられなかった。

 頭の中が真っ白になる。

 でも、すぐに思い出した。


 母さんが教えてくれた、命をつなぐ方法……。


「……えっと、こういうときは……」


 母のことを思い出しながら、彼女を仰向けに寝かせる。

 そして、僕は息を整えた。

 何度か繰り返し、息を吸い込む。

 女性の顔が近づく。

 僕は一瞬だけためらった。


 女の人、だ。しかも綺麗……。


 けれど、迷っている場合じゃない。

 震える唇をそっと重ね、息を吹き込む。

 胸が少しだけ上下した。


「お願い、目を覚まして……」


 胸当てを外し現れた豊かな胸の間に両手を重ね、力を込めて押し込む。

 もう一度、人工呼吸を繰り返し胸を圧迫する。

 その瞬間――。


「……っ、けほっ!」


 女性の体がびくりと跳ね、口から水を吐き出した。

 僕は思わず後ずさる。


「よかった……! 本当によかった……!」


 胸の奥が熱くなって、涙がにじんだ。


 女性はかすかに目を開ける。

 薄い金色の瞳が、朝の光を受けてきらりと光った。


「……ここは……?」

「森の外れにある川です。あなたが、流されていたのを僕が見つけて……」


 声が弱々しい。体のあちこちに擦り傷があり、鎧もところどころへこんでいる。

 僕は手をかざし、母から教わった回復の呪文を小さく唱えた。


「ヒール」


 淡い光が女性の体を包む。

 小さな傷がゆっくりと閉じていくのが見えた。


「どうですか? 少しは楽になりましたか」


 女性はぼんやりと僕を見つめ、そして小さくうなずいた。


「え、ええ。……えっと、あなたは?」


 「僕はアルです。ここから近くの村に住むただの村人です」


「アル……。私は……」


 彼女は眉を寄せて、困ったように笑った。


「ごめんなさい。名前は……フィオナ、だったと思う……。でも、それ以外のことが……」


 記憶を失っている……。


 僕はそう直感した。


「無理に思い出そうとしないでください。今は休んだ方がいいです」


 僕は彼女の手をそっと握る。冷たい指先が少しだけ動いた。


「あの。よかった僕の家、来ませんか? ここにいても寒いですし、濡れたままだと風邪をひきますから」


 立ち上がって手を差し出すと、フィオナと名乗った女性は小さくうなずいた。


「……ありがとう、アル」


 その笑顔は、どこか儚くて、そしてとても綺麗だった。


 川面の光が揺れる。

 僕はその手をしっかりと握り返し、森の小道をゆっくりと歩き出した。

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