第32話 「演出者」


―2021年7月31日―夕方



■公安庁・第六課・田辺のデスク


蛍光灯の光が、

書類の端を白く照らしていた。

田辺は、報告書の末尾に署名しようとして、

手を止めた。


(……この文言、俺が書いた覚えないぞ)


報告書の中に、見覚えのない

“接触記録”が挿入されていた。


「龍・沙河氏との非公式接触。

     瀬貝カヲルに関する発言あり」


(……は?)


その瞬間、内線が鳴った。

「田辺主任、監査室までお願いします」

声は冷たく、機械的だった。


田辺は、ゆっくりと立ち上がった。

その背中に、

都市のノイズが静かに絡みついていた。



■公安庁・監査室



部屋は無機質で、壁には何も貼られていない。

机の上には、

白いファイルが一冊だけ置かれていた。

その向かいに座っていたのは――黒崎透。


「お久しぶりですね、田辺主任」


田辺は椅子に腰を下ろすと、

足を組み腕を組んだまま睨みつけた。


「……で、俺を呼び出した理由は何だよ。黒崎」


黒崎は、相変わらず無表情でファイルを開く。

「あなたの報告書に、いくつか、

かみ合わない点”齟齬”(そご)がありまして」


「齟齬?……なんだそれ。キモいなお前。

ああ、そういう言い回し、好きだよな。

お前は昔から“言葉”で人を締めるタイプだった」


黒崎は微笑む。

「私はただ、秩序を守っているだけです」


「秩序ねぇ……その秩序で、何人潰してきた?

現場の人間がどれだけ血を流してるか、

お前の机じゃ見えねえだろ」


黒崎は、ファイルを指でトントンと叩いた。


「あなたは、瀬貝カヲルの居場所を知っている。

そして、それを公安外事の天城と共有している。

この事実、どう説明されますか?」


田辺は鼻で笑った。

「説明? お前にか?

すると思うか?この俺が?

頭の回転が悪いんだか、良いのか。

お前に説明したところで、

どうせ“記録”にされて、

誰かの首を締める材料にされるだけだろ」


「これは“処分”ではありません。

ただ、あなたの“記憶”を整理するための時間が必要です」


「はあ? 記憶を整理? キモいねー

何様のつもりだよ。

お前、いつから人の頭の中まで

“監査”するようになった?」


黒崎は、静かに言った。

「ふふ。

本日付で、あなたは停職処分となります。

理由は“情報漏洩の疑い”。

復職の条件は

――“世界秩序への協力”です」


田辺は、椅子から立ち上がった。


その目は、黒崎を真っ直ぐに射抜いていた。


「協力? お前の“秩序”にか? 悪いけどな、

俺が信じてるのは、お前の頭の中の『構造』じゃねぇ。


この国の現場で、毎日汗水流して生きている、


名もなき人々の『ノイズ』だ。


お前らが、ごちゃごちゃ弱者に寄り添って?


秩序だ?平和だ?とかいいいながら


やってる事は、わざと弱者作って、支配だろ?!


お前らが、余計なことやるからなー


この国の人間が、危機管理なくなるんだよ!!


自分の身も、家族も守れなくなっちまった。


そんなんでもなー


頑張って知恵を振り絞って生きてんだよ!!


それでも、幸せだねって生きてる奴だっているんだよ!!


お前らの支配構造かなんかで、


邪魔すんじゃねーよ!!


お前の“演出された正義”なんざ、


日本人には通用しねえよ」


黒崎は、ふっと鼻で笑った。


「……“ノイズ”、ですか。

相変わらずですね、田辺主任。

あなたはいつも、そういう“詩的な言葉”で

現実から目を逸らす。脳内お花畑とは

この事だ。何にも分かっちゃいない。

ふっふっふ」


田辺の眉がピクリと動く。


「ノイズは、ただの“未処理の感情”ですよ?

我々は、それを“演出可能な素材”に変える。

あなたの言葉で言うなら

都市の声も、都市の痛みも

――我々の編集次第です。

あなたが“感じる”と言うその揺らぎも、

我々にとっては

“制御可能な変数”にすぎない」


黒崎はゆっくりと立ち上がり、机越しに田辺を見下ろした。


「あなたは、まだ人間の“自由”を信じている。

だが人間は、もはや“自由”を持たない。


"トリカゴの中の秩序"が、

自分達の自由と勘違いしている


持っているのは、

我々が与えた“設計図”だけです。

ノイズ? 感情? 共鳴?

それらはすべて、

我々が“演出する側”にとっては、

ただの“素材”にすぎないんですよ」


田辺は拳を握りしめた。

だが黒崎は、さらに畳み掛ける。


「もう一度言いましょうか?

あなたは、

まだ“人間の自由意志”を信じている。

だが、我々はもうとっくに

“意識の設計”に成功している。

都市の感情帯域? 共感指数?

それらは、我々が“調律”している。

あなたが“感じている”

と思っているものは、

すでに“供給された幻想”かもしれない」


田辺は、ついに声を荒げた。


「うるせぇ!!てめぇ…ふざけんなよ……!

お前らがやってるのは、ただの“支配”だろうが!

人の感情をいじくって、記憶を削って、

それで“秩序”だと? 笑わせんなよ!

今の日本は日本じゃねー、

お前らみたいな奴らのせいでなー

変わっちまったんだよこの国は!!」


黒崎は、まるで子どもを諭すように言った。


「支配とは、恐怖で縛ることではありません。

“選ばせること”です。

選択肢を与え、選ばせたように見せる。

それが、最も美しい演出です。

人工的な民主主義」


田辺は、言葉を失った。

黒崎は、最後にこう言い放った。


「あなたは、ノイズを信じる。

私は、構造を信じる。

そして構造は、常に――勝つ」


田辺は、ドアに向かって歩きながら、振り返った。


「……黒崎。お前、昔から変わらねえな。

人間の皮被った、バケモンだな。

人の心を"構造"でしか見れねえ奴だ。

だがな――人間は、

そんな単純なもんじゃねえ。

なめんなよ!こらっ!

お前が演出してる“秩序”の裏で、

俺たちは、しっかり“現実”を見てるんだよ!

いちいち邪魔するな」

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