第7話  「公安の男」

■ 「黒い影」


外の光が陰り、ポツリ、と窓ガラスを叩く音がした。


「また雨か……」


アパートのチャイム

その音は、妙に静かだった。

けれど、龍の心臓には鋭く突き刺さった。


(……来た)


息を呑み、ゆっくりと立ち上がる。

足元が少しだけ震えていた。

ドアの前に立ち、覗き穴を覗く――が、

そこには“何か”が立っているだけで、

輪郭が掴めなかった。


(……誰だ?)


恐る恐るドアノブに手をかけ、

ゆっくりと開ける。

ギィ……という音が、やけに大きく響いた。

そこに立っていたのは――

身長190cmを優に超える巨躯。

黒のスーツに身を包み、

濡れたコートの裾がわずかに揺れている。

鋭い眼差し。

スーツの上からでも分かる、圧倒的な存在感。

その男は、

まるで“都市の重力”そのもののようだった。


「公安外事第4課、天城悟だ」


低く、腹の底から響くような声。

その瞬間、龍の脳裏に昨日の光景が蘇った。


――横浜みなとみらい爆破事故。


――混乱の中、自分を助けた“あの男”。



横浜から、あの日タクシーで

  一緒に帰った男が、ドアの前いた



「……⁈、あ、あんた……!あの時の!」


龍は驚愕の声を漏らした。

言葉が喉の奥で詰まり、

うまく出てこない。

天城悟は表情を変えず、

名刺を差し出す。

その動きは無駄がなく、

まるで“手続き”のように正確だった。


「少し、お話を聞かせてもらおう。沙河龍」


名刺の文字が、視界の中で滲んで見えた。

公安外事第4課――その肩書きが、

現実感を一気に引き裂く。

龍は完全に腰が引けていた。


「なんで……俺の名前、知ってんだ……」

声が震える。


息が浅くなり、喉が渇く。

天城の目は、そんな龍をじっと見つめていた。

その眼差しは、怒りでも威圧でもない。

ただ、動かない。揺るがない。

まるで“都市の監視カメラ”のようだった。


(公安サイバーの逆探知……

ヴィーナスゾーンの影……そして、

爆破事故の現場で出会った謎の男――)

すべてが、一本の線でつながり始めていた。

だが、それは“偶然”ではなかった。


都市が動いた。


秩序が、龍という個人に“手を伸ばしてきた”のだ。

天城は一歩、部屋の中へ足を踏み入れた。

その瞬間、空気が変わった。

まるで、部屋の重力が変わったかのように。

龍は、ただ立ち尽くすしかなかった。


■ 公安の眼


室内。

天城は背筋を伸ばしたまま椅子に座り、

じっと龍を見つめていた。

その眼差しは冷静そのもので、

威圧感というより

「揺るぎない壁」のようだった。

龍はソファの端に腰を下ろし、

ノートPCを抱えたまま固まっていた。


部屋の空気は重く、

時計の秒針の音がやけに響いていた。


「――ひとつ聞こう」

天城の声が、静かに空気を切り裂いた。


「お前は、何のために調べている?」


龍は一瞬言葉を失った。

(……なんか、全部知ってるぞ、

         この人……っ!)


ノートPCを抱える手がじわりと汗ばむ。

「な、何のためって……俺はただ……

 その、興味があって……」


「興味?」

天城の瞳が細くなる。

「今の時代、“興味”は最も危険な動機だ。

理解しているか?」

龍は口をつぐんだ。

その言葉は、冗談でも脅しでもなかった。

ただ、事実としてそこにあった。


天城は淡々と続けた。

「俺たち公安は、

ただテロを未然に防ぐために存在している。

……横浜にいたのも同じだ。

発電所が、RAZEEM”ラジーム”という

テロリストに爆破される可能性があった。

だから、そこに俺らはいた。

幸い被害は小さく済んだがな」


「……!」


龍は目を見開く。

あの爆破事故は、ただの“落雷”ではなかった――。

「それにな」

天城は机の上の書類に指を置いた。


「ヴィーナスゾーンの22億紛失事件、

もちろん我々も捜査している」


龍の喉が音を立てた。

過去の記憶が、脳裏にフラッシュバックする。


無人の会議室。消えたデータ。

カヲルの背中。


「この国は今、境界が曖昧になっている。

情報も、人も、思想も。

誰が敵で、誰が味方かなんて、もう誰にも分からない。

しまいには・・

危機管理能力まで無くなっている。

ある日突然、

普通の人間が活動家に仕立て上げられ、

人生を失う」


天城の言葉は淡々としているのに、

重さがあった。

龍の胸の奥に、見えない鉄球が沈んでいく。


「だからこそ聞いている。

お前は――なぜそこまで調べる?

もとからマニアか?

……それともテロリストに関与しているのか」


「.....え!、ちょっ....な、そんな訳ないでしょ!!

....勘弁してくださいよー!」



天城は一拍置いてから言った。

「じゃあ~

お前が、以前いたヴィーナスゾーンの22億紛失事件か?」


「……っ!!?」

龍の顔から血の気が引いた。

「な、な、な……なんで知ってるんだよ!!」

声が裏返る。

龍はソファから半ば跳ね上がるように立ち上がった。


天城は微動だにしない。

「今の時代は、すべて筒抜けだ。何処にいて、

何をやっているのか、すぐに分かる。

それが日本の公安だ」


龍は冷や汗をだらだらと流しながら、

必死に口を開いた。

「ま、待ってくれ!俺は……俺は何も悪いことしてない!

ただの調べ物だ!陰謀とか好きで、

ネットで追っかけてただけなんだよ!」


天城の目が一瞬だけ笑ったように見えた。

「調べすぎなんだよ、お前は」

「ひぃぃぃ……!!」

龍は頭を抱え、

まるで泣きそうな子供のように叫ぶ。

天城は腕を組み、冷ややかに告げた。

「……公安にマークされてんぞ」

その一言が、龍の脳天を直撃した。

部屋の空気が凍りつく。


“休日”のはずの午後は、

もはや完全に“取調室”だった。


天城は一瞬、間を置いてから龍を見据え、

一言だけ言った。

「……瀬貝カヲル」

龍の喉がひくりと動いた。

「……は? なんで、あいつのことを……」

「やっぱりな」

天城は鼻で笑う。

「おまえの元いたヴィーナスゾーンで

“22億紛失”が起きた時、

裏で動いてたのは瀬貝カヲルだ。

今は名前を変え、別の財団に出入りしている。

公安も追ってるが、奴はどこにでも顔を出す。

国際会議、研究所、さらにはネクサス・フォーラムにも」


龍の手が震え、膝の上で拳を握りしめる。

「……カヲルが……まだ、裏で生きて動いてるってのか……?」


「生きてるどころじゃない」

天城は低く言い放った。

「奴は今、この国に戻ってきてる。

おまえが嗅ぎ回ってる情報のいくつかも、

瀬貝が意図的にばら撒いてる可能性が高い」


龍は頭を抱えた。

休日のはずが、

過去の亡霊が突然目の前に蘇り、

息が詰まりそうだった。

天城はしばらく黙り込み、深く息を吐いた。

「……龍。正直に言う。おまえはいずれにせよ、

瀬貝カヲルと関連性が高い。

だから公安の監視対象なんだ」


龍の目が鋭くなる。

「……監視対象? 俺が?」

「そうだ」

天城は目を逸らさず答える。

「俺の任務は瀬貝カヲルの追跡だ。

だがな、奴に繋がる線は少ない。

その数少ない線のひとつがおまえだ。

だから――協力して欲しいとは言わない。

ただ……おまえを監視するしかないんだ」


龍は苦笑を漏らした。

「……悪く思うな、って顔して言うなよ。

俺に選択肢ねえじゃん」

「その通りだ」

天城は小さく笑った。

「だが、誤解するな。

俺はおまえを敵だと思ってるわけじゃない。

ただ、この国じゃ“関わった”だけで引きずり込まれるんだ。

だから、おまえを守るためでもある」


龍は黙って天井を見上げ、長い息を吐いた。

「……守るため、ね。便利な言葉だよ」

天城は肩をすくめる。

「そう思ってくれて構わん。けど俺は任務を果たす。

それが瀬貝カヲルを追うこと、

そして……おまえの行動を見張ることだ」

部屋に重い空気が流れる。

だが、天城はふいに表情を緩めて立ち上がった。

「――それと、今度髪切ってくれ。

そろそろ伸びてきた」

龍は思わず吹き出した。

「おいおい、

このシリアスな流れから、いきなり散髪の予約かよ」

「まあ、監視対象の美容師を指名するのも、

悪くないだろ?」


天城は口元に笑みを浮かべ、

軽く手を振ってドアへ向かった。

龍は背中を見送りながら、

拳を膝の上で握り締めた。

「……クソ。俺は本当に、

ただの休みの日だったはずなのに」

だがその拳は、

“ただの市民”のものではなかった。

 

 

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