5-4 クリストフの叱責

 第一隊、第四隊の猛攻に、魔界軍もようやく体勢を立て直し始めた。ヨルダン山脈の二万、潜伏していた飛行部隊三万、エイダム森際の三万で三方から第三隊を攻撃していたのに対し、エイダム森際全軍を第一隊、第四隊迎撃に変えたようだった。魔界兵たちは矛先を変え、繰り広げられる戦いはより凄絶なものとなった。だが第三隊が圧倒的に不利な状況には変わりなく、合流を目論むクリストフ達は次々に襲い来る魔界軍に苛立ちを感じざるを得なかった。魔界人を、異形の者を、斬り伏せ、薙ぎ倒し、焼き払い、一刻も早く合流すべく前へ前へとひたすらに進んで行く。

 第三隊との距離は大分縮まったものの、合流するまでにはまだだいぶかかる。そして先頭が到達したからと言っても、魔界人との生きるか死ぬかの地獄絵図が繰り広げられている後方が到着しないのでは意味がない。クリストフは舌打ちをしながら煌虹レイディアントを一気に横に薙いだ。生じた衝撃波ごと魔界人を数人真っ二つに斬り飛ばされ、飛び散った衝撃波に巻き込まれてあちこちで悲鳴が上がった。

スパルク!」

 クリストフの掌から、煌虹レイディアントから生じるものより遙かに強烈な衝撃波が迸った! 巻き込まれた魔界人たちは一瞬にして水蒸気のように消え去り、掠った者も酷く藻掻いている。クリストフは彼らを黒馬で跳び越え、向こうから突進してきた魔界人と剣を交えた。

 第三隊はもう大分近付き、その気になれば彼だけならば第三隊に飛び込むことが出来そうだ。頭上には飛行部隊が迫り、クリストフにも攻撃を仕掛けてくる。だがそのことごとくは彼の神速の剣戟に叩き落とされ、あるいは彼が放つ炎や衝撃波に焼き落とされた。

 第三隊はもうすぐそこだ。魔界人さえいなければ黒馬で一気に駆け寄れる辺りに、ディアネイラ達が戦っている。

「ディアネイラ!」

 クリストフが叫ぶと、ディアネイラは気が付いてこちらを向いた。だがその手は一瞬も休まず、またディアネイラも注意を逸らしたのはほんの一瞬のことで、すぐに頭上に迫り来る虎に翼が生えたような生き物を凍てつく心臓フロズンハートで叩き落とした。すぐ横から飛びかかってきた魔界人を一刀両断し、返す刀で隣まで迫った者の喉元を掻き斬る。

「ディアネイラ!」

 今度はディアネイラは振り向かない。金髪を靡かせ、凍てつく心臓フロズンハートを振るい、戦場に降り立った地獄の覇者の如く戦い続ける。

 クリストフは顔をしかめ、手から迸る衝撃波でディアネイラと自分の間にいる魔界人を薙ぎ払った! 生き残った者を斬り伏せながらディアネイラの白馬の横まで馬を寄せる。

「ディアネイラ!」

 叫びざま、クリストフはさすがに振り向いたディアネイラの手から強引に凍てつく心臓フロズンハートを奪う。自分の煌虹レイディアントごと凍てつく心臓フロズンハートを投げ捨て、何が起こったのか理解できずに紫の瞳を見開いたディアネイラをぐいと引き寄せる。自分の馬に乗せてしまい、何か言おうとしたのを手で遮った。

 丸腰と見て取った魔界人たちが嬌声を上げ、一気に二人に群がる。クリストフは一瞬冷徹な瞳で魔界人を一瞥したかと思うと、片手を地面へとかざした!

デルイン!」

 クリストフの掌から白い稲妻が迸り、地面を揺るがしながら一気に周囲に、空中に広がった! 神界人には全く何も起こらなかったが、それに触れた魔界人たちは悲鳴を上げる暇もなく、蝋燭の炎が消えるようにかき消えてしまった! それを見た魔界人は驚愕に目を見開き、慌ててクリストフから距離を取った。

 クリストフは油断なく周囲を見回しながら、腕の中のディアネイラに囁いた。

「余は最後尾が到着するまでここにいる」

 クリストフが右手を空中にかざし、小さく呪文を唱えた。すると、遙か先に転がっていたはずの煌虹レイディアントが彼の手の中に現れ、クリストフはその柄をしっかり握り締める。

「そなたは第三隊と先発を率いて退却しろ」

「嫌です」

 即座にディアネイラは答えた。僅かに顔を歪め、だが触れたら切れてしまいそうなほど鋭い美貌で、クリストフを見上げる。

「私も戦います」

「ならぬ」

 クリストフは視線を合わせることすらしなかった。先程の魔法を怖れてか、じりじりと迫り来る魔界人たちとじっと睨み合っている。周囲では通常の戦闘が繰り返されていたが、クリストフ達の周囲だけ異様な沈黙に包まれていた。

「退け」

「嫌です」

 ディアネイラの口調は先程よりも強い。

「私も戦わせて下さい!」

 ディアネイラはクリストフの剣を握っていない方の腕にしがみついた。クリストフは顔をしかめ、その手を振り解く。手綱を引き、馬の向きを変える。

「ならぬ」

「何故です! 私はまだ戦えます!」

「ならぬ」

「傷も負っていません! 疲れもありません!」

「そなたは邪剣に呑まれておる」

「呑まれていません! もしそうだとしたら、私はとっくに死んでいます!」

「呑まれておるのだ」

「……呑まれていても構いませんから、私も戦わせて」

「退けと言うておるのが分からぬか!」

 不意にクリストフは怒鳴り、ディアネイラの頬を叩いた。

 乾いた音に、頬の衝撃にディアネイラは一瞬呆然とする。

 クリストフはしかめた顔のまま、ディアネイラを見つめている。

 ディアネイラは呆然としていたが──唇を噛み、サッと自分の白馬に飛び移った。手綱を強く引くと馬はいななき、風のように駆け始める。みるみるうちにその姿は小さくなり、やがて幾多の騎馬に紛れてその姿は見えなくなった。

「…………」

 クリストフは面差しを引き締め、周囲の魔界人たちを見回す。異様な沈黙の中で、紅蓮の髪が風にさらさらと靡く。

「どうした。かかって来ぬか?」

 黒馬が魔界人たちに近付くと、魔界人はササッとその場から逃げ出す。遠巻きに恐怖と憎悪の入り交じる目で見上げている彼らを見て、クリストフは嘲笑を浮かべた。

「ならば、こちらから行くぞ!」

 馬を飛び下り、次の瞬間には手近な魔界人たちの中に飛び込んでいた! 振るう煌虹レイディアントが唸りをあげ、周囲にいた魔界人たちを薙ぎ倒し、引き倒し、斬り倒し、地面に叩き付ける! 魔界人たちははっと我に返り、咆哮しながら次々とクリストフに襲いかかった! 繰り出される剣を、槍を、斧を、鈎爪や触手を、クリストフは煌虹レイディアントたった一本で裁き、確実に相手の急所を貫いていく。絶叫するものは新たに飛びかかるものに踏み倒され、血潮が周囲を染め上げていく。クリストフは決して倒れることなく神速の戦いを続ける。だが、不意に──銀色の瞳を見開き、ばっと頭上を見上げた!

「気付かれたか! さすがは神界長!」

 嘲笑しながらバサリと空気が翼に打たれる。あと僅かでクリストフが間合いに入る辺りの空中で、背から黒い翼の生えた魔界人がにやにやと笑っていた。

 右の者を斬り倒し、左の者の首の骨を砕きながら、クリストフは相手を見上げる。

 黒い翼。黒い腕。

「……魔界将軍、バルケスか」

「おやおや、俺を知っておられるとは光栄至極」

「こうして言葉を交わすのは初めてであるな」

「ああ、そうとも……俺の名前を知っている奴は幸運だ」

「何故だ」

「死んだ時に、誰に殺されたか分かるからさ!」

 バルケスの顔が毒々しい笑みの形に歪んだかと思うと、その掌から黒い稲妻が迸った! クリストフは咄嗟に煌虹レイディアントを構え、彼に呼応した煌虹レイディアントの刀身から、目も眩むような白い光が放たれた。凄まじい衝撃が一帯を駆け抜け、どおん、と腹に響く衝撃音が轟く。クリストフは煌虹レイディアントの光が稲妻を退けたので無事であったが、周囲で直撃した魔界人、神界人達は黒焦げになって悶えている。

 掠り傷すら負わぬ神界長を見て、バルケスはニヤリと笑った。

「さすがは神界長。一筋縄で逝くようなタマじゃねえか」

 クリストフはその言葉には応じず、周囲をぐるりと見回した。

「余の声が聞こえる中で、魔術が使える者よ!」

 叫びに応じて、所々からおおおお、と雄叫びが帰ってくる。

「余の合図と共に、フレアをあの男に向けて放て!」

 おおおおお、と応じる。何騎かはクリストフの元に駆け寄り始める。

「無駄だ! 俺にフレアは効かねえぜ!」

 バルケスが爆発せんばかりの嘲笑を浴びせかけたが、クリストフは応じなかった。

「行くぞ! 三! 二! 一!」

フレア!』

 あちこちで魔術を唱える言葉が唱和し、バルケスめがけて迸る幾筋もの火柱が生じた! だがバルケスは腕を組んだままにやにやと笑っているばかりで逃げようともしない。現に炎は彼の身体に触れてもその肌や翼を焼けただれさせることなく、何事もなかったかのように通過していく。

 炎の中でバルケスが何か言おうとした瞬間、唐突に、彼の全身から血が噴き出した!

「なにっ!?」

「余もフレアを唱えたと誰が言った」

 淡々と呟いたクリストフの煌虹レイディアントを握っていない方の手には、魔術の名残である風の渦がまとわりついていた。自分の体から噴き出す血潮とクリストフを見比べ、バルケスは苦々しく舌打ちする。

フレア風刃シルフィードをを混ぜたのか!」

「そなたも一筋縄ではいかぬようなのでな」

 にや、とクリストフは唇の片端を上げた。

「幸運であった。余の名くらいは知っておるであろう」

「面白い!」

 落下しかけた身体を翼で支えながら、バルケスは高らかに笑い声を上げた。

「いいじゃねえか神界長! お前に免じて今は退いてやろう! ザコ共を引き連れて何処へでも帰るがいいさ! いいか、忘れるな、負け犬みたいにみっともなく尻尾を巻いて帰るがいい!」

 クリストフは表情をぴくりとも変えない。それが非常に可笑しいようで、バルケスは傷を気にもせずにひゃはははははは、と腹を抱えている。

「テメエ等! 退却だ! 作戦を練り直す!」

 バルケスの声に、おおおお、と魔界人たちが不満げな声を上げる。だがバルケスが一喝すると、渋々と退却を始めた。翼ある者もない者も、仕方なさそうに、非常に残念そうに退却していく。魔界軍は潮が引くように周囲からいなくなり、荒野と化したダレン平原に、クリストフは一人立ち尽くす。何騎かの騎兵がこちらへと駆け寄ってきて、わああああ、と喜びの雄叫びを上げた。

「クリストフ様!」

「ご無事で!」

「やりましたね!」

「魔界軍共、我らが神界長さまに怖れをなしたか!」

「クリストフ様、そのままとどめを刺してしまえば良かったのに!」

「馬鹿、クリストフ様には深いお考えがあるんだよ」

「ああ、そうか」

「魔界軍め、ざまあみろ!」

「神界は俺達のもんだ!」

「次は壊滅してやる!」

「首を洗って待ってろよ!」

「そうですよね、クリストフ様!」

 クリストフは頷いてやりながら、ダレン平原を見回す。かなり離れたところに、草と血潮にまみれた凍てつく心臓フロズンハートが転がっていた。

 クリストフは凍てつく心臓フロズンハートに歩み寄り、無造作にそれを拾い上げた。僅かに顔をしかめただけで、それ以外には何の変化も見られない。

「行くぞ」

 クリストフは煌虹レイディアントを鞘に収め、凍てつく心臓フロズンハートを手にしたまま黒馬に跨った。

 風が吹き抜け、緋色に輝いた刀身から、ぽたりと血の雫が滴り落ちた。






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