第30話 二人きりの夜

「登録者数も増えてきましたよねー」


 雪緒はそう言いながら伸びをしてあくびをする。


「大丈夫か?」


「これはただのあくびです。単に朝早かったし、普通に眠くなっただけです」


「そうだよな。ちょっと早いけどもう寝るか」


 俺たちは並んで歯を磨いたあと、電気を消してそれぞれのベッドに横たわる。


「明日早起きして近くをお散歩しましょうね」


「いいな。そのあと朝風呂に入るか」


「このホテルは朝食も最高なんですよ。楽しみだなぁ」


 暗闇にまだ目が慣れておらず、わずかな月明かりの部屋は海の底のように見えていた。

 暗い部屋で二人きりだとドキドキするのかと思っていたが、予想に反して随分と穏やかな気持ちだった。


「このホテルに初めてきたのは小学校六年生の頃なんです」


 雪緒の声色がわずかに固くなる。

 表情が気になって雪緒の方を見たが、暗くて見えなかった。


「小学校の修学旅行が、この温泉地だったんです」


「修学旅行でこんな立派なホテルに泊まるのか? 東京の小学生はすごいな」


「いいえ。修学旅行はもう少し山の方にある自然の家的なところに泊まるんです」


 意味がわからず黙っていると、雪緒が話を続けた。


「修学旅行と体操の全国大会がぶつかったんです。それで私は修学旅行を諦め、大会に出ることを選びました。そりゃそうですよね。文字通り毎日手のひらに血を滲ませて練習してきたんですから。そちらを優先します」


「そういえば前に小学六年生のとき全国優勝したって言ってたけど」


「そうです。その時の大会です。私だけ修学旅行に参加できなかったんで、両親が同じ時に旅行しようって言って連れてきてくれたのがこのホテルなんです」


「そうだったのか。優勝祝いも込めて立派なところにしたんだな」


 俺と同じように、雪緒もこういうとき変に同情するような素振りを見せられるのを嫌う。

 だから俺は明るい声で返した。


「修学旅行を休んでまで大会に出たということは、クラスの皆に内緒にしてもらいました。なんか嫌じゃないですか、クラスメイトからしたら。そっち優先するんだって感じで。でも全国優勝しちゃったから、全校朝会で表彰されちゃいまして、結局バレちゃいました」


「それは気まずいな」


「私が病気で休んだと勘違いしてお土産を買ってきてくれた子は、その日から私を避けるようになっちゃいました」


 雪緒は乾いた笑い声を上げる。

 以前笑いながら辛いことを話す雪緒に注意したことを思い出す。

 今に思うとあれは深刻に話すと『眠れる森の美少女』に陥るから、笑おうと努力していたのだろう。


「教師も悪気はなかったんだろうけど、もう少し気を使って欲しいよな」


「ですよねー。どうせニュースとかになればいつかは誰かにバレて、そこから広がっちゃうんでしょうけど、せめて自分の口から話したかったですよ。って、まあ、自分から『全国大会優勝したよー』なんて絶対言えませんけど」


 目が暗闇に慣れてきて、雪緒の顔がぼんやりと見えてくる。

 とはいえ表情までははっきりと見えなかった。


「自慢してるとか思われるから?」


「それもありますけど、どっちかっていうと自分ががっかりしたくなかったからです」


「え? どういう意味?」


「人間って可哀想な人とか哀れな人に同情したり、寄り添うことは意外と出来ると思うんです。でも喜んでいる人に心から『おめでとう』『よかったね』って一緒に喜んでくれる人はあまりいない気がします。もちろんひと言くらいは祝福してくれると思いますけど」


 他人の成功を素直に喜べないというのは自分にもうっすらと身に覚えがあり、「あー」と納得して頷く。


「一応『おめでとう』とは言ってくれますが、明らかにその話はしたくない態度といいますか。仲が良いと思っていた子にそんなリアクションをされショックだったことがあります。それ以来体操の成績について自分から話さなくなりました」


「せっかく体操頑張ってたのに可哀想な話だな」


「でもそのおかげで学んだこともあるんです」


「何を学んだんだ?」


「失敗したり同情された方が愛されキャラになれるってことです。だから私はなるべく失敗した話をしたり、不運を嘆いてみせたり、おっちょこちょいな一面を見せることを心掛けました」


「ビジネス天然系かよ。あざといな」


「でも所詮は付け焼き刃のニセモノなので、わざとやってるって見透かされていたような気もします。可愛い子ぶってるって一部の女子からは結構嫌われてましたし」


 隣のベッドでモゾモゾと動く気配がして目を向けると、横向きになった雪緒と目が合った。


「まあ実際かわいいですし、私は」


 雪緒は悪そうな笑みを浮かべて嘯く。

「そういうところが嫌われたんじゃないのか?」と軽口を叩きそうになって言葉を飲み込んだ。

 そう思わなきゃやってられなかったのだろうと感じたからだ。

 自分だけは雪緒を理解したい、守ってやりたいという高ぶりで胸が熱くなる。


「ちゃんとツッコんで下さいよ。なんか感じの悪い子みたいじゃないですか」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る