天使の羽根の落ちる音 ~拾った銀髪盲目少女が世界最強の殺し屋でした~

村山朱一

第1話 迷子

「ほえほえ……」


 なんかいる。

 と、『橋原はしばらなごみ』は思った。

 寂れた田舎。駅前のバスターミナル。一日に数本しかバスが来ないバス停で、なんだか、よく分からない生き物がうろうろしていたのだ。


 夕焼けを受ける銀の髪。

 つばの広い麦わら帽子。

 白っぽく染まった、綺麗な瞳。

 白いワンピースで、肌もびっくりするほど白い。

 天使みたいな、儚げで、現実とは思えないほどに透き通った雰囲気。

 日本人離れした美貌の、あどけなさの残る……十二、三歳くらいの少女。


「ほえ……」


 あっちにうろうろ。


「……ほえ」


 こっちにうろうろ。


 手に白い杖を持って、ふらふらと、その辺を歩き回っている。

 バスターミナルの点字ブロックの上を、杖を振ってうろうろしている。



 かれこれ、二時間。



「……あの、どうかしましたか?」



 なごみは店を出て、その少女に声をかけた。

 一瞬と肩を跳ねさせて、ゆっくり少女が振り返る。


「ぇ、えっと。あの」

「はい」

「バスが……こないんです」

「はい?」


 肩からかけた可愛らしいポーチを開けて、銀髪の少女はがさがさと何かを取り出す。ぼとぼと、とポーチの中から本が落ちる。

 100


「わっ、あわわ、なんかおちた……まぁいいや……」

「……え、っと」

「あ、あった。ちず。ちず……」


 スマホで地図アプリを開き、少女はそれをなごみに見せた。

 画面は上下逆さ。


「『猫鳴岬ねこなきみさき』にいきたいんです」

「……ねこなき」

「はい。にゃんにゃん」


 その地名を、なごみは知っていた。いやな意味で。

 だ。

 崖である。

 海に突き出した崖で、下には日本海の荒波が年中荒れ狂っている。眺めは凄まじくいいが、一度落ちれば海流の関係で死体もあがらないため、年に六人は飛んでいる。それがニュースで取り上げられたせいで、ここ数年はその数も増加傾向にあった。


 『完全自殺読本』。

 『自殺の名所』。

 『いきたい』。


 なごみの脳が警鐘を鳴らしていた。


「えっと、スマホさんが、じこくひょーの文字をよんでくれなくて。

 それで、えっと、じかんわからなくなっちゃって。

 つぎのばすって……」

「……あー……猫鳴岬、ですか……」

「はい。ぇと、あの。ゆうひがきれいだって、てれびで」


 嘘ではない。

 もうそろそろで夕日が沈む。

 猫鳴岬はものの見事に海に突き出しているので、その眺めはたいへん素晴らしいものがある。のだ。が。


「……あの、失礼ですが」

「はい?」

「目、見えてないんですよね」


 っと、銀髪の少女が反応する。

 白くて綺麗な頬を伝う汗……分かりやすすぎる冷や汗。


「ほえ……」

「……あの……もしかして、なんですが……」

「みえ、みえてます。ばっちりです。しりょく100.0です」

「みえみえの嘘」

「ぅうう……!」


 誤魔化すのが下手すぎる。

 なごみは理解した。のだ。この、なごみが暮らす猫鳴市に。珍しい話ではない。だが、頭の痛い話だ。


 他人のことである。

 他人のしたいことである。

 だが、なごみはそういったものを見逃せない人物だった。


「……今日はもう、最後のバス。出ちゃいまして」

「ぇっ」

「ほら、田舎ですから」

「ほえぇ……」


 銀の髪がしんなりする。

 なごみは嘘をついた。


「……こまっちゃいました」

「困っちゃいましたか」

「ぅう……どうし……ぁ」



 きゅぅ、と。



 可愛らしい腹の虫。

 銀の髪の少女の白い頬が、さぁっと赤く染まる。


「……あの。私、なごみって言います。橋原なごみ」

「あ、ぅ?」

「近くでラーメン屋、やってるんです。その……来ませんか?」







 連行は成功。


「わぁ、らーめん。いいにおい」


 ぽやぽや、と手を叩いて喜ぶ少女を席に座らせ、ラーメンを出し、なごみはカウンターの裏に隠れた。少女に気取られないよう、息を潜める。

 

 明らかな自殺志願者を、引き留めてしまったのだ。

 それも、中学生になっているかどうか微妙なラインの女の子。

 なごみは十七歳になる。自分よりずっと小さい女の子が、死のうとしている……状況を見るにほぼ百パーセント……とても放っておけることではない。放っておいたほうが間違いなく楽だろうが、なごみは放っておけないタイプだった。


 警察が来るまで、少女を引き留める。

 がんばる。

 なごみは一世一代の決心をした。


 110。ただその数字を押して、冷静に説明するだけの簡単なお仕事。なごみはスマホのボタンを押し……


 鳴る入店のチャイムに、思わず顔をあげた。




「かっ! 金出せッ! 金だよッ! 分かるよなッ! 金ッッ!!」




 覆面を被った男が、バールで食券の券売機を殴りつけた。


「……わ……」

「らーめんおいしい」

「金ッ! 金……あぁん!? 何見てんだガキッ!」

「やばっ」

「らーめんおいしい」


 目が見えないのでは店内を歩くのは大変だろう。と気遣って、なごみは少女を入口近くの席に座らせていた。その真横に、強盗である。

 覆面をつけてバールで食券機を殴る男。

 強盗以外のなにものでもない。

 強盗だろう。


「ずるずる……」


 ガンッ! ガンッ! と券売機を殴る音と、少女がラーメンをすする音だけが響く夕暮れ駅前のラーメン屋『なごみ』。

 なごみは自分の名前が載った店に強盗が来るとはなぁ、とか。

 テレビで見たことあるなぁこういうの、と思っていた。


「……クソッ! 開かねぇ!」

「あ、はい……えっと……?」

「らーめんおいしい」

「――あぁん!? ガキ! 何ケータイ持ってやがる! じゃねぇよなァ!!」

「わぁ」


 まさにその気であった。

 もう呼ぶ。

 呼ぶしかない。

 スマホを叩く女子高生・なごみの指。瞬く間に画面に映る110。


 コールボタンを押す寸前――銃声が、なごみのスマートホンを貫いた。


「ふぅ゛ーッ! ふぅうう゛ー……ッ!!」


 強盗の血走った目が、なごみを見ていた。

 その手に握られていたのは、拳銃。

 拳銃だ。

 現代日本らしくない、しっかし白い煙をあげる、拳銃。

 なごみの手には――大きく穴が開いて、割れたスマートフォン。


「次は顔面ぶち抜くぞッ! オラッ! 券売機の鍵持ってこいッ! 金ッ! 金を出すんだよッ! あくしろッ!」

「ひ、ひぅ……っ!」

「……らーめんおいし」


 ガンっ、と。

 蹴り飛ばされるテーブル。

 ずり落ち零れる食べかけのラーメン。

 男の大きな腕に掴まれ、引き寄せられる――銀の髪の少女。


「こいつ殺されたくなかったらよォ! 速くすんだよッ!!」

「……らーめんどこ……?」


 厄日だ。

 すごい厄日だ。

 両親がいない日曜日に限って、こんなことが起こる。

 現代日本で拳銃を見せられるなんて、それをこめかみに押し付けて少女を脅す大人なんて……そんなもの、お祈りしたって見れないだろうレアな場面。こんなレアな場面見たくなかった。


 警察は呼べない。固定電話は遠い。

 取りに行っている間にあの少女が撃たれたら?

 というか、取りに行く途中になごみ自身が撃たれたら?


「……わかった。わかったから落ち着いて。鍵もってくから」

「あくしろ!」


 終わった後、こいつが消えてから警察に通報すればいい……なごみはそのように判断した。日本の警察は優秀だ。銃を持った強盗なんて、血眼になって探してくれるだろう。現代日本なのだから。

 なごみは油断していた。

 普通の女子高生だから。

 近寄り、食券機の鍵を開けた瞬間……



 銃口が、自身の後頭部に押し付けられるとは、思っていなかったのだ。



「……あの、おじさん」

「目撃者は殺すッ! 殺す殺す殺すッ!」


 がちゃり、と拳銃のパーツの動く音。なごみは思わず目を閉じた。











 銃声。









 なごみは目を開いた。

 ちょっぴり泣いていた。

 だって、本当に死んだと思ったのだ。

 でも目を開けることができた。後頭部は痛くない。


 ぎこちなく、振り返る。


「――っがぁああぁあ!?」


 手から血を流し、拳銃を取り落とす強盗。

 そして。

 回転式拳銃リボルバーを構える、銀の髪の少女――夕日が、それを照らしていた。



 構えられる、西部劇の映画に出るような古めかしい雰囲気の拳銃。

 白く染まった、焦点の合わない綺麗な瞳。

 がちゃり、と音を立てて回る弾倉。

 白い煙をあげる、銃口。


「……銃刀法」


 なごみが呟く。

 強盗が取り落とした拳銃をもう片方の手で拾い上げる――寸前、またもや銃声。



 遠く弾き飛ばされる強盗の拳銃。

 穴が開いて、もう使えないだろうことは、なごみの目にも明らかだった。



「かえって」

「ひ、ひぃ……ッ!?」

「もうころさないので。だから、はやく」

「――ぶち殺してやる!」


 食券機を破るようのバールが、拾い上げられ、振るわれる。

 その先は銀の髪の少女。

 目の見えない、銃を構えた少女。

 腰だめに拳銃を構えなおし、少女は静かに――一発の銃声。



 千切れる、鉄製のバール。



「ひ――わぁああぁ!!!」


 強盗が逃げだす。

 銀の髪の少女が、リボルバーからのぼる白煙をふっと吹き、ワンピースのスカートの下へ……細い太股に備え付けられたホルスターへ、しまう。


「……なごみさん」

「は、はい……?」


 一部始終を見終えて、なごみは、夢を見たような気持ちになっていた。

 

 現実離れして可愛らしい、銀の髪の少女。銃を持った強盗。

 それを追い返した、リボルバー使いの少女。



 きゅう、と。可愛らしい腹の音が鳴った。



 夕日と一緒に赤く染まる、少女の頬。




「……ちゃーはん、ありますか?」

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