35 愛人の子

 たどり着いた愛人宅前に、小さな子どもが両膝を抱えてうずくまっている。


(どうしたのかしら? それに、あの髪色……)


 子どもは遠目でも分かるほど、美しい金髪だった。それも、ディアナの母と同じような明るい金色だ。


(お父様の愛人もあの髪色って言っていたわね)


 ディアナは子どもを驚かせてしまわないように、そっと近づき優しく声をかけた。


「大丈夫?」


 ビクッと体を震わせながら、子どもが顔を上げた。その紫色の瞳を見た途端に、この子が自分の異母弟なのだろうと察する。


 なぜなら、ディアナの紫色の瞳は父譲りだ。それに、どことなくディアナの幼いころの絵と顔が似ている気もした。


(この子が、お父様が私を追い出してまで、当主を引き継がせたいと思うほど大切にしている子……)


 多少複雑な気持ちはあるが、怒りや嫌悪感は沸かなかった。それよりも血のつながった幼い弟がいることを嬉しいと思ってしまう。


「あなたは……」


 そう話しかけたディアナの手を弟が引っ張った。小さくて温かい手は、カサカサになっている。


「こっち!」


 弟を止めようとしたカーラに首を振って見せて、ディアナはそのまま付いていく。家からだいぶ離れたところで、子どもはディアナの手を離した。


「ここまで来たら大丈夫」

「何が大丈夫なの?」


 ディアナがそう尋ねると、「あそこで話していたら、お母さんに『うるさい』って怒られるから」と俯きながら教えてくれる。


 悲しそうなその表情を見て、ディアナは嫌な予感がした。


「お母さんは、怖い人なの?」

「ううん、お父さんがいるときは優しいよ。でも、お兄さんがきたときは……怖い」

「お兄さん?」


 不思議に思いながらディアナは、弟を改めて観察した。仕立ての良い服を着ているし、やせ細っている感じもない。


(でも、さっきは家の前でしゃがみ込んでいたわね)


 ディアナが「もしかして、家から追い出されていたの?」と尋ねると、弟は黙ってしまった。


 そのときグレッグが、ディアナの耳元で囁いた。


「家を間違えた振りをして訪ねたら、若い男が出てきました。雰囲気からしてベラの愛人かと」

「それって……。お父様の愛人は、お父様がいないときは、自分の愛人を家に置いているってこと?」

「おそらく。引き続き周辺住人の聞き取りをしてきます」

「お願いね」


 グレッグを見送ったあと、ディアナは弟に視線を戻した。


(ということは、お父様が家にいないときは、この子は家から追い出されているってことなの?)


 そのとき子どものお腹がぐぅと鳴った。ディアナは弟の前にしゃがみ込む。


「お腹がすいているの?」

「……大丈夫」

「食べさせてもらえていないの?」


 弟は「違うよ」と首を振る。


「ちゃんとお金はもらってる。これで勝手に食べなさいって。でも使ってない」

「どうして?」


 弟は、もじもじしながら教えてくれた。


「あのね、僕には、お姉ちゃんがいるんだって。お父さんがいつも『邪魔だ』って。『うっとうしい娘だ』って言ってる」


 父の本心を知っている今でも、ディアナの心が痛んだ。

 悪意のない弟の瞳は、キラキラと輝いている。


「それでね、僕もお兄さんが来たとき、お母さんにいつも『邪魔だ』とか『うっとうしい』とかって言われるから、僕とお姉ちゃんは同じなの。だから、仲良くなれると思うんだ」


 ディアナは胸がいっぱいになり、言葉に詰まった。


(あなたは、お父様からの愛をたくさんもらって、幸せに暮らしていると思っていたのに)


 弟は「内緒だよ」と言いながら、小さな革袋を見せてくれた。


「僕ね、お姉ちゃんに会いに行くために、お金を溜めているの。お姉ちゃんは貴族だから、貴族街に住んでいるんだって。そこはね、お金をたくさん持っている人しか入れないって言ってた。どれくらいお金を貯めたら、お姉ちゃんに会えるかなぁ?」


 ディアナは、流れる涙をそのままに、弟の小さな体を抱きしめた。


「……会いに来たよ」


 震える声でなんとかそう伝えると、弟はハッとなった。


「お姉ちゃんが、僕のお姉ちゃん?」

「そうよ」


 弟の瞳に大粒の涙が浮かぶ。


「お、お姉ちゃんは、僕が邪魔じゃない?」

「邪魔じゃないよ」

「うっとうしくない?」

「うっとうしくない」


 ディアナが「一緒に来る?」と泣きながら尋ねると、弟は少しも迷わずにうなずいた。


「僕、お姉ちゃんと一緒に行きたい」


 救いを求めるように、必死にしがみついてきたその小さな体を、ディアナは優しく抱きしめる。


「うん、一緒に行こうね。私はディアナよ、あなたのお名前は?」

「アレス。アレスだよ、ディアナお姉ちゃん」


 アレスと手を繋ぎ馬車へ戻る途中、お店でパンを買った。おいしそうに食べる弟を見て、ディアナの頬が緩む。


 お腹がいっぱいになったのか、アレスは馬車の中で眠ってしまった。ディアナはアレスに膝枕をしてあげながら、そのやわらかい金髪を優しく撫でていた。


 聞き込みから戻ってきたグレッグの報告は、おおむねディアナの予想通りだった。


 父の愛人ベラは、父に出会う前は美しい外見の純粋な娘だったそうだ。しかし、貴族の愛人になり、産んだ子どもが将来伯爵家を継ぐと言われ、ベラは変わってしまった。


 金遣いが荒くなり、父の目を盗んでは複数の若い男を家に連れ込んで遊んでいたそうだ。その度に、アレスは家から追い出されていたらしい。


(お父様はバデリー伯爵家に戻ってはきていないけど、貴族の付き合いがあるから、ずっとこの家にいたわけではないでしょうし……。その度に追い出されていたなんて)


 グレッグはさらに報告を続ける。


「近所に住んでいた気のいいおばさんが、雨の日に追い出されていた子どもを見かねて、自分の家に入れてあげたそうです。そうしたら、ベラが『誘拐だ! 慰謝料を払え!』と騒いだから、できなくなったと言っていました」


 さらにベラが裏では、父のことを「金づるジジィ」と呼んで嘲笑っていたことを聞いたとき、ディアナは深いため息をついた。


「お父様がどう言われようとかまわないけど、バデリー伯爵家を侮られたままにはできないわね」

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