18 頼りになる人

 ライオネルも「この場にいる者達は、信頼していい」と言ってくれる。


 ディアナは、少しだけためらったあと、覚悟を決めて話し出した。


「実は、私の父であるバデリー伯爵が、愛人の子に爵位を継がせようとしているようなのです」

「それは……」


 グレッグの表情が硬くなる。


「詳しくお聞きしても?」

「はい」


 ディアナは、幻覚の蝶で知ったことは話さないように気をつけながら説明する。


「私は一人娘なので、本来なら婿養子をとるはずだったのです。そして結婚後は、バデリー伯爵を継いだ夫を支えられるように、ある程度の当主教育を受けてきました」


 しかし、二年前に父が結んできたのは、ディアナと同じく一人息子のロバートとの婚約だ。


「父が言うには、『デイバー伯爵家は歴史が浅く侮られやすいので、どうしても高位貴族との繋がりがほしい』と。私は父のその言葉を、これまでずっと信じていました」


 もし、父の心の声を聞かなければ、きっと一生信じていただろう。


「でも、それは邪魔な私を追い出して、愛人の子どもに家を継がせるための策略だったのです。父は爵位が高い男性であれば、私の相手は誰でもかまわないようでした」


 ライオネルは、「だから、バデリー伯爵は、俺のような仮面をつけた男が、娘の婚約者になることを反対しなかったのか」と納得している。


 ディアナは、ライオネルに頷いてから話を続けた。


「私は、父をもう家族だとは思えません。家を出てしまいたいのですが、母は父と別れる気はないようなのです」


 これまで静かに耳を傾けていたグレッグは、「ディアナ様が置かれている状況は分かりました。それで、僕に相談したいこととは?」と尋ねた。


「もし、父が愛人の子を跡継ぎにした場合、私の母の立場はどうなるのでしょうか? 家から追い出されてしまいますか?」


「それは状況によるとしか……。通常ならば、愛人の子を跡継ぎにしても、ディアナ様のお母様が、一方的に追い出されることはありません。しかし、伯爵夫人として相応しくないと証明されてしまえば、離婚されて追い出される可能性があります」


 グレッグは、指を三本立てた。


「この国では、一方的に離婚を突きつけることができるパターンは、大きく分けて三つあります」


 一つ目、相手から命にかかわるような暴力をふるわれた場合。もしくは、故意に命の危機にさらされた場合。


 二つ目、五年以上、相手の生死が分からない場合。


「これによって、戦場から戻らず死体すら帰ってこない夫に対して、妻が離婚届けを出すことができます」


 一つ目と二つ目は、ディアナの両親には当てはまっていない。


「問題は、三つ目ですね。貴族としての義務をはたしておらず、これ以上夫婦関係を継続できないと裁判官が認めた場合、離婚が成立します」


 ディアナは「貴族の義務」と呟いた。


「なんだか、最後だけざっくりとしていますね」

「そうなんです。ディアナ様のお母様が、もし追い出されるとしたら、これでしょうね」


 ライオネルがグレッグに「具体的には、何をしたら三つ目に当てはまるんだ?」と質問した。


「それが、様々でして……。今までの事例でいうと、子どもを作ることに協力しなかったとか、仕事を別の人に任せて一切していなかった、とかですね」


 その言葉に、ディアナは引っかかった。


「そういえば、昔は母が家のことを取り仕切っていたのですが、数年前から父の提案で優秀な者を雇い、代わりにしてもらうようになっています」


 そのとき父は、母に向かって「これからは、好きなことだけして、ゆっくり過ごしてくれ」と微笑みかけていた。


 グレッグは「あー、それはまずいですね」と眉をひそめる。


「どうしてですか?」

「だって、それだとディアナ様のお母様がいなくなっても、バデリー家は、まったく問題がないじゃないですか。サッと夫人と愛人を入れ替えるだけで済んでしまいます。それに仕事をしていないというのは、貴族としての責任をはたしていないとも言えますし」


「でも、それは父の提案でそうなっているんですよ?」

「そうだとしても、その記録は残っていませんよね? 裁判では、きちんとした記録や証拠しか認められませんから」


 もし、ディアナの父が『母は長年、仕事を放棄していた』と発言した場合、「それは違う」と証明することは難しい。逆に、父は母の代わりに人を雇っているので、母が仕事をしていないことを簡単に証明できてしまう。


(これも、父の策略だったのかしら?)


 用意周到な父に、ディアナはゾッとした。ディアナの見つめるライオネルの蝶は『心配だ』と囁いている。しかし、ライオネルの口からは別の言葉が出てきた。


「命令だ。グレッグは、ディアナ嬢の母が追い出されないように策を講じろ。カーラは、俺がいいと言うまでディアナ嬢の護衛につけ」


 グレッグとカーラは、そろって「はい!」と敬礼する。


 戸惑っているのはディアナだけだ。


「そんな、殿下や皆さんに、これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいきません」


 ライオネルは、不思議そうに瞬きした。


「あなたは、これから俺の婚約者になる。困っていたら助けるのは当然だ」


 きっぱりと言い切られて、ディアナはそれ以上、何も言えなくなった。じんわりと心が温かくなっていく。


「……ありがとうございます」


 滲んだ涙を隠すように、ディアナはソファーから立ち上がった。すると、すぐにライオネルも立ち上がり、ディアナに手を差し出す。


「馬車乗り場まで送ろう」


 大きくゴツゴツしているその手を、頼もしいと感じる。


(このご恩は、決して忘れません。私も必ずあなたのお役にたってみせます)


 ディアナは、ライオネルの手に自分の手をそっと重ねながら、ニッコリと微笑んだ。

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