14 守られていた日常

 父の浮気が発覚した次の日の朝。


 ディアナの目の前には、いつも通りの朝食の風景が広がっていた。母は、昨日取り乱したのが嘘のように、すました顔で食事をしている。


 ディアナは、小さくため息をついた。


(あの後、両親の関係に気がつかなかった自分を責めたり、今からでも何かできることはないかと一晩中悩んだりして眠れなかったわ)


 昨晩のうちに、父はまた愛人の元へ向かったようで、使用人達のピリピリした空気が和らいでいた。


「ディアナ。今日の食事も美味しいわね」

「はい、美味しいです」


 そんなたわいもない会話をしながら食事を終える。いつもはここで母と別れて各自で過ごすが、今日は母に呼び止められた。


 母から灰色の蝶が出てきて『不安だわ』と囁く。それでも、母はディアナに優しく微笑みかけている。


「昨日は、感情的になってしまってごめんなさいね」

「いえ。大丈夫ですか?」

「ええ、もう大丈夫よ」


 近くで見た母の顔には、化粧では隠し切れないほどの疲労が浮かんでいた。目だって、よく見たら赤くなって腫れている。


(大丈夫なわけないわ……。平気な振りをしているのね)


 母がこうして、何事もないように過ごすことによって、ディアナの日常は守られてきた。もし、母が父の浮気に耐え切れず別れていたら、父に邪魔だと思われているディアナも何かと理由をつけて一緒に追い出されていたかもしれない。


 そうなっていないのは、母がこの場で踏ん張ってくれているおかげだ。


(私は、『裕福なバデリー伯爵令嬢』という肩書きとその生活を、お母様に守ってもらっていたんだわ)


 母がこれまで、陰でどれだけ涙を流してきたのか、ディアナは知らない。本当なら今すぐ母を連れて、こんな家から出て行ってしまいたいが、本人がそれを望んでいない。


 それに、料理人のジョンやメイドのアンなど、ここには気のいい使用人がたくさんいる。彼らと完全に縁が切れてしまうのも悲しい。


(私は、お母様やこの家のために何ができるのかしら?)


 母の蝶は『不安だわ』を繰り返している。ディアナは、安心してほしくて母の手を両手で包み込んだ。


「お母様。跡継ぎの件ですが、お父様が動くのは私が嫁いだ後だと思います」


 父の蝶があれほどディアナを『邪魔だ』と言っているのに、父はそのことを必死に隠している。


「おそらく、お父様は『跡継ぎである一人娘が嫁いでしまったから、苦渋の決断で愛人の子を養子として引き取った』という状況を作りたいのではないでしょうか? 私の結婚相手が、名家であればあるほど『跡継ぎを取られても文句が言えなかったのだろう』と周囲は思うでしょうし」


 これなら、父の評判もそれほど下がることはない。


 母はフッと鼻で笑った。


「好き勝手浮気した挙句、面子も守りたいだなんて、あの人らしいわ」

「一度、法律に詳しい方に相談したいですね。お母様のお知り合いにいらっしゃいませんか?」


 母は力なく首を左右に振る。


(私の知り合いにもいないし困ったわ)


 その瞬間、ディアナはライオネルが別れ際に言った言葉を思い出した。。


 ――困ったことがあれば、いつでも俺を頼ってくれ。


(殿下なら、法律に詳しい方を紹介してくれそうだけど、本当に頼っていいのかしら?)


 しかし、他に頼れる人がいない。

 そうしているうちに、母が名案を思いついたかのように、急に表情を明るくした。


「そうだわ! ロバート様にご相談すればいいのよ! あなたの婚約者だもの、きっと助けてくださるわ」


 ディアナは『絶対に嫌です!』と叫ぶ代わりに、ニッコリと微笑む。


「お母様。私の知り合いに専門家がいるので、そちらを頼ってみますね」

「そう? まぁ、ロバート様は優秀だけど、法律専門ではないものね」


 納得している母を残して、ディアナはライオネルの元へ向かう決心をした。

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