第6話 追憶/Easefulな過去
「で、これからはどうする?」
低い声だった。
「蓮。さっきの“あいつは段取りしてた”って、どういう意味。手榴弾まで、冬牙が流してるってこと?」
「ああ。熊がこんなもん独力で持てるわけねえ。人間のルートを知ってる熊が一匹いる。それが冬牙だ」
「教えて。あんたと冬牙のこと。今なら血も撮れてる。状況証拠もある。話が一番入りやすい」
「……分かった。昔話に少し付き合え」
蓮はそう言うと、作業着の胸ポケットから、焦げたままのボタンを取り出した。焼けて黒くなっていても、元が女物のコートのものだと分かる。彼はそれを、弟と姉の間に静かに置いた。
「それ、誰の」
「椿さんの。俺を拾ったヤクザの女。あいつと冬牙を一緒に育てた女だ。もう死んでる。だからここに置いても“繋がる”やつはいねえ」
「ヤクザの女が人と熊を一緒に? ……順番に聞くわ。あなた、何歳で拾われた?」
「四つ。椿さんは十六。まだ姉ちゃんて歳だったけど、一家を背負ってた。拾われたのが俺だ」
「冬牙は?」
「もっと前からいた。小さいころに山から拾ってきて、家でストーブ焚いてやって、みかんも剥いてやって、一緒にテレビ見てた。人間みたいにしゃべらねえけど、言ってることは理解してた。椿さんは“冬ちゃん”って呼んでた。熊相手に」
「だったら、冬牙からすれば——」
「そう。家にいた座敷犬のポジションが、途中で“ちゃんと喋る人間のガキ”に奪われた。俺だ」
蓮は座卓に肘をつき、指を組む。さっきまでドスを握っていた手だ。爪の間にまだ毛が残っている。
「それで冬牙は考えた。『人間になればいい』『人間の時間を手に入れればいい』ってな。椿さんは優しいから、最初は金を出してやった。熊を長生きさせるための本とか、研究者を家に連れてくるとか。だが、あいつは途中で方向を変えた。今度は“人を熊に寄せる”んじゃなくて、“熊を人に寄せる”手術をやり始めた。俺らが今見てる喋る熊は、その系統だ」
「じゃあ、今夜の三体も、その系列」
「そうだ。で、次にあいつは俺にもやらせた。『椿さん、一人で人間を育てるの大変でしょ。だったら、強いのにしましょう』ってな。俺は子どもだったから従った。結果、狼になれる。三分だけな」
「……で、十八で椿さんが殺された」
「ああ。現場にいたのは俺と冬牙だけ。冬牙は人の姿だった。誰が信じる。『熊が人の姿で姉御を食った』って証言をよ。だから俺はダイナマイトで吹っ飛ばした。爆薬はあった。現場に転がってたのは“人間の死体”。俺は人殺し。冬牙は行方不明。——全部、あいつが組んだレールだった」
千景はレコーダーをちらと見て、ランプが点いているのを確認する。
「つまり、椿さんは“熊を人にするルート”を家の中に通した。そのルートを冬牙が丸ごと奪った。で、人を熊に食わせる側に回った」
「そういうことだ。椿さんは家族を増やしたかっただけだ。けど冬牙は“自分の方が愛されなきゃ嫌”だった。だから俺を刑務所に送り込んだ。邪魔だからな」
「変身できるようになったのは……」
「塀の中だよ。元から合った技術を試すのに、俺がちょうどよかった」
外でサイレンが近づく音がした。警察だ。近所が通報したのだろう。蓮は一瞥して、勝手口の鍵を外す。
「俺の顔は出すなよ」
「分かってる。出すのはあいつ。あんたじゃない」
「それでいい」
蓮は最後に、倒れた姉と仏壇をもう一度だけ見た。二十三で死んだ弟。弟を信じると言っていた姉。どっちも殺された。
「……それじゃあ俺は先に消える」
そう言って、蓮は風の冷たい裏口へと消えた。千景はレコーダーを止め、血で濡れた座敷を一枚だけ撮ってから、警察を迎えに玄関へ向かった。
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