消えたひかり

浦松夕介

前編

 計画停電が始まり、午後八時以降の街は麻酔薬を打たれたように眠りに就く。


 昨今の電力不足解消のために始まったことだが、かれこれ一カ月が経ってもこの停電は続いていた。


 夏に向けての消費電力を鑑みると、暖かくなってきたこの春先頃に電力を溜めておきたいそうだ。マスコミや野党は政府の見解に疑義を表していたが、結局はずるずるとこの停電が続いている。


 そしてこの計画停電は一週間後に終えると、昼間のニュース速報で流れた。


 それを見て、俺は背中に嫌な引きりを覚える。理由は二つあった。一つは母親だ。


 停電は街の区画ごとに実施され、俺の街では20時から24時に停電となる。その時間、母は電気が生きている他の地区に行くのだ。どうせ男のところだろうが、帰って来るのは24時を過ぎてすぐだったり朝方だったりする。つまり、24時までは絶対に帰って来ない。


 学校はおろか、ちょっとした散歩での外出も禁止されている俺からすれば、この一カ月は楽しかったのだ。夜な夜な家を抜け出しては、暗闇の街をブラブラと歩いた。それだけで楽しかった。


 ちょうど一年前に、母と交際中だという男にしつこく殴られ続け、俺の左腕は折れた。


 寝ていれば自然に治るといわれたが、結局俺の腕はカマキリのように曲がったままになった。額や頬にタバコの根性焼きも入れられてしまい、黒い火傷痕が消えないまま残った。母が俺に外出を禁止したのはそれからだ。


 学校には、俺は父方の祖父がいる岡山県に転校したと伝えたらしい。俺がここから通える学校はなくなった。それからずっと、俺は家にいることを命じられた。


 本当なら、今月から小学三年生になるはずだった。カーテンを開けることも許されない自分の部屋で、俺は今日も暗い朝を迎える。買い物をのぞいて、家事のすべてが俺の仕事だった。


 今朝はスクランブルエッグとフレンチトーストを作る。料理だけはまだ楽しい。腕が上達していくのが自分でも感じられるし、たまに母が褒めてくれるからだ。そうして機嫌がよくなってくれれば、俺も無駄に叩かれたりしなくてすむ。


「ユウト、明日からしばらくお母さんの晩ごはんいらないから」


 ある日、母にそう言われた。理由はテレビのニュースが説明してくれていた。


【明日より、計画停電が開始されます。政府によりますと、お住まいの地域での停電時間をご確認いただき、それに準じた備えをしていただくよう……】


「わかった」


「あとあんた、あたしがいないからって勝手に外出るんじゃないよ。もし出たら、またジュンさんに言うからね」


「わかった」


 ジュンさんとは母の交際相手で、俺の左腕を折った人だ。あの人にだけは逆らってはいけない。俺もそれくらいはわかっている。


 だけどやっぱり、外に出たかった。計画停電が始まって一週間ほどして、母の行動パターンは大体わかった。


 そしてその日の夜、母が使わなくなった腕時計をひっつかんで外に出た。俺が履いていたスニーカーはすでになかったので、母のサンダルをつっかけて外出した。







 約一年ぶりの外は、真っ暗でも風が気持ちがよかった。


 ふと上を見上げると、星が綺麗だった。涙しそうになった。人は誰もいなかった。


 元々が住宅街で、繁華街からも離れている。夜は静かな街だった。それでも時折車が通ったりするので、俺の脚は自然に人目に付きにくい裏路地を選んでいた。


 その途中で俺は思い出していた。裏手の小山には、近所では“お化け屋敷”と呼ばれている廃寺があることを。


 俺は一度も行ったことはなかったが、一年前にクラスの連中がその話をしていた。まだあるならば、そこに行こうと思った。


 俺はもうこの街にいないことになっているのだから、誰かにばったり会うことは避けたい。噂が広まってそれが母の耳に入れば、またジュンさんに殴られる。街をビクビクとほっつき歩くよりは、その廃寺とやらでゆっくりしたかったのだ。


 雑草が生い茂った小道を歩いた。月が出ていたおかげで、転ぶことなく山を登れた。


 そうして着いたのが、この廃寺だった。


 本堂は屋根瓦が半分崩れ落ちていて、けいだいも石畳がでこぼこに隆起している。いしどうろうも折れ、二匹の狛犬も頭がない。噂は本当で、人の気配など微塵もない廃墟だった。


 俺は本堂の中を覗いてみる。しかしさすがに真っ暗闇で何も見えなかった。そう思っていた時だ。


「何してるの?」


 背後から声をかけられ、俺は飛び上がりそうになった。慌てて振り向くと───


「泥棒? ここには何もないよ」


 俺と同じくらいの女の子が、三日月を背に笑っていた。 


 俺は半分安堵しつつも、もう半分は恐怖していた。恐る恐る返事をした。


「誰だお前は、いつからいた?」


「あなたが教えてくれたら、教えてあげる」


「頼む、俺がここにいたことは内緒にしてくれ」


「嫌」


 少女が首を横に振り、俺は焦る。


 もしこの子が俺が通っていた小学校の生徒なら、俺の存在がばれるかもしれない。そうして俺の母親がそれを知ったらジュンさんを呼ばれる。俺は泣きそうになった。どうにかして俺のことを内緒にしてほしいと、頼み込もうとした時だ。


「あたしがここにいること、内緒にしてくれたらそうしてあげる」


「え……」


「ねぇ、遊ぼうよ。一緒に遊ぼう」


 少女は俺の手を取った。そして言った。


「あなたの名前は? 教えてくれたらあたしも教えてあげる」


 そうして俺とヒナが仲良くなるのに、時間はかからなかった。夜の四時間だけ会える、俺の友達だった。


 計画停電が終わると困るのは、それが二つ目の理由だった。


 ヒナと、会えなくなるからだ。


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