過去

 「……どうして。なんでこの手紙、持ってるんだよ」


 震える声で問う博人に、優紀は少し肩をすぼめながら答えた。


 「電車で……私、博人さんにぶつかりましたよね。その時に落とされて。

 本当はすぐ届けるつもりだったんです。でも、急いで行ってしまったから……」


 優紀は胸の前で手を組み、息を整えるように一度目を閉じた。


 「……気になることが書いてあったので。読んでしまいました。ごめんなさい」


 その言葉は逃げも偽りもなく、まっすぐだった。


 博人の胸はざわりと揺れた。


 「だから……場所が分かっていたのか」


 ぽつりと呟くと、優紀はうなずいた。


 「はい。でも……知ってしまった以上、放っておけませんでした。

 博人さんが、どうしてそんな気持ちになったのか――理由を聞かせてもらえませんか?」


 その問いは、責める響きではなく、ただ寄り添おうとする温かさだけでできていた。


 博人はしばらく目を伏せ、テーブルの木目をじっと見つめた。

 胸の奥に積もっていた何年分もの重りが、ゆっくりと音を立てて動き出すようだった。


 やがて、小さく息を吸う。


 「……学生時代に、ずっといじめられてた。

 それが原因で性格も歪んで、まともに人の言葉を信じられなくなった」


 優紀は黙って頷き、言葉を挟まない。


 「社会に出ても結局うまくいかなかった。

 会社も……リストラされた。俺だけ。理由もよく分からないまま」


 握りしめた拳が小さく震えている。


 「それがきっかけで、両親とも仲が悪くなった。

 何を話しても否定されて、最後には家にいること自体が息苦しくなったんだ」


 そこまで言うと、博人は唇を噛みしめて黙り込んだ。

 語るほどに、胸の奥から熱と痛みがあふれ出してくるようだった。


 優紀はそっと言った。


 「……そんなつらいことがあったなんて、知らなかった。

 でも、話してくれてありがとうございます」


 その声は小さく、しかし確かな温度を持っていた。



 博人はテーブルの向こうで優紀を見つめた。

 胸の奥で何かがざわつきながらも、声には迷いがなかった。


 「……声をかけてくれたことには感謝してる。

 でも、俺の意志は変わらない。もう、俺には関わらないでくれ」


 その言葉を聞いて、優紀は目を伏せたまま小さく息を吸う。

 そして、決意を固めるように顔を上げた。


 「それなら……その前に、聞いてほしい話があります」


 博人は一瞬眉をひそめたが、言葉を待った。

 優紀の瞳には、真剣さとわずかな悲しみが宿っていた。




 「私……学生時代、大会前に同級生たちが集団でタバコを吸っているのを見たんです」

 「その人たちは実力もあって、誰も逆らえなかった。後輩をいじめることもあった」

 優紀は声を震わせながら続けた。


 「その時、親友のクラスメイトが、部室でタバコの吸い殻を見つけた。

 犯人捜しのとき、後輩に押しつけようとしたんです。

 でも親友は、同級生たちがやったと証言した。

 バックも確認して、真犯人を突き止めたんです」


 「その同級生たちは、タバコだけでなく大会出場停止や停学処分になった」

 優紀の声にわずかに怒りが混じる。

 「でも、反省なんてしなかった。毎日のように親友に誹謗中傷して……」


 言葉が途切れ、優紀は目を伏せたまま、震える手を机の上で握った。


 「親友は……何も言ってくれなかった。

 一人で抱え込んで……亡くなってしまったんです」


 静寂が、カフェの柔らかな光の中に降りた。

 博人はその告白を、息をのんで聞いていた。

 誰にも話せず、背負い続けた痛み。

 それが、彼女の表情の奥に隠されていた。




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