第29話 楓の怒り

 楓が風紀委員に入ってから、2週間が経った。もう当番の日に先輩と見回りをするという習慣に慣れてきた。

 なってみてわかったことだが、本当にこの学校はいざこざが多い。血気盛んな年頃だという理由だけではないと思うが、遊んでいてもすぐに霊力を使い始める。


 さらに楓に向かって術が飛んでくることが異常に多いのだ。楓はそれに気配で気づいたことがわからないようにワザと避けずに当たり、当番の日には毎日ボロボロになっていた。武術ができない演技はなかなか難しく、避けてしまいそうになる。何よりわかっている攻撃にワザと当たるのが怖い。身構えないようにはしているが、怖いものは怖いのだ。何とか今までは誤魔化してきたが、いつバレるかもしれないと心臓に悪過ぎる毎日だ。


「はぁ……」


 実技室で課題をやっている他の生徒たちを眺めて楓はため息を吐いた。


 今は6時間目、実技の授業だ。楓には課題が課せられず、見学をさせられていた。生徒たちは物体の運動を操作する術式、授業によると物体に働く重力だなんだを霊力によって操作する術式、を使って、金属の立方体をピラミッド状に積み上げる課題をこなしている。


 楓は光希が課題をやっているのを目ざとく発見すると、遠く、といってもそこまで遠くはないが、から観察する。光希は顔色一つ変えずに淡々と金属の立方体を動かしていく。それも切れ目なく滑らかに。他の生徒たちと比べても光希の技量がずば抜けていることがよくわかる。光希の実技には多くの生徒たちが注目していた。


 楓にも覚えがある。中学は一般の学校だったため、運動と勉強がまあまあできた楓は何をするにも注目された。おかげで光希の今の気持ちも容易に想像できた。


 見ていると、この課題が結構難しいものであることがよくわかる。手間取っている生徒たちが圧倒的に多い。A組でこれでは他のクラスはもっと手間取っているはずだ。

 霊力を調節して立方体を持ち上げて動かす方向を考え、さらにその状態でピラミッド状に積み上げる。それは言葉で言うよりもかなり難しいことなのだろう。


 楓は光希の実技が終わると、視線を彷徨わせた。ざっと実技室を見渡す。


「……!」


 楓の目に留まったのはとある男子生徒の実技だった。神林かんばやしりょう、確か副会長、神林かんばやしそらの弟にしてこの学年の次席だ。涼は光希同様切れ目なく滑らかに立方体を動かしていく。


(相川より速い⁈)


 楓は目を見張った。涼が立方体を積み上げる速さは光希のそれを上回っていた。術式の発動速度が速いのだ。その上ピラミッドの形は完璧だった。もちろん光希のものも綺麗ではあったが、涼はそれ以上に1㎜のズレもないような完璧さなのだ。


(やっぱり霊能技術の最先端の学校なんだな……)


 光希が学年首席なので、何でも一番だと楓は思っていたが、やはりそんなことはないようだ。なんとなくがっかりというか、残念な気持ちが胸を過ぎった。楓にはその原因がよくわからなかったが。


「霊能力、ボクにも使えたらな……」


 心の声が音を伴ってぽろりとこぼれた。楓は誰かに聞かれていないか、と慌てて周りを見回したが、誰も楓に注意を向けていなかった。


 この時間中ずっと、生徒たちは課題をこなしている。楓はだんだんその様子にうんざりしてきた。

 だがクラスメイトたちによる実技は続く、まるで楓の『無能』さを嘲笑あざわらうように。もちろん、それぞれが各々のため、各々の目的のために全員が全力を尽くしているのはわかっている。しかし、その土俵にすら立てない楓は見ていることしかできないのだ。そんな自分にどうしようもなく腹が立つ。焦燥感しょうそうかん苛立いらだち、クラスメイトへの言いようもない八つ当たりな怒りが湧き出してくる。


(どうして……?)



 キーンコーンカーンコーン……


 どうしようもなく間抜けな音が鳴り響く。楓は黒い感情を抱えたまま生徒たちに紛れて実技室を出た。


 ***


 ホームルームが終わると、楓は風紀委員会本部に向かった。今日は当番だ。脇目も振らずつかつかと歩く。さっき感じてしまった黒い感情はまだ楓の胸にわだかまっていた。


 少し遅れて光希が楓に追いつく。2人は荷物を風紀委員会本部に放って、見回りに向かった。光希は楓の様子がいつもと違うことに気づき声をかけようとした。


(何と声をかければいいんだ?)


 そう思って、言葉を発しようと開いた口を光希は閉じた。無言で乱暴に歩く楓を追う。そのまま教室棟から出た。


 そこで楓は今一番目にしたくない顔を見た。


 ──霞浦かすみうら亜美あみ


 亜美は楓に気がつくと、にこやかに微笑んだ。温度の低い冷たい笑みで。


「あら、久しぶりね。……貴方、風紀委員になったの?」


 亜美は可笑おかしそうに笑い声を上げた。


「『無能』でもなれるのね、この学園も落ちぶれたものね……。本当にどうしてこの学園に『無能』がいるのかしら?」

「……霞浦、これ以上ボクを怒らせないでくれるかな…?」


 楓は亜美の顔を見ずに言う。


 ゾクリ……


 光希は不意に襲ってきた感覚に身震いした。


(殺気……?)


 今までに感じたことのない殺気が光希の肌を焦がす。殺気の発生源は楓だった。膨大な殺気を無理矢理圧縮して隠しているように見受けられる。それ故に武術を極めるという境地の近くまで修行を積んだ光希には感じられたが、修行は積んだものの、そこまで至っていない亜美には感じることができなかった。


「何が起きてるの⁈」


 先程光希が風紀委員備品の小型のトランシーバーで呼んだ舞奈まなけいが着いたのだ。2人は尋常じゃない殺気を感じて顔を強張らせた。


「何か用ですか?」


 亜美は余裕な笑みで舞奈たちを見る。その後楓に視線を戻す。


「天宮、貴方あなたの仲間、あれ?本当に相川もそうだけど優秀な方たちは見る目がないのかしら?」


 ふふふふっ、亜美は笑った。楓の指が『緋凰ひおう』のつかに伸びる。


「天宮っ!」


 次の瞬間、刀をさやに収める音だけが響いた。あまりの剣速に刀の動きを追えたのは光希だけだった。


 ぱさり。


 髪の毛が風に舞う。キョトンとした顔をした亜美はそろそろと自分の前髪に手を伸ばした。だが、その手は空を切った。


「長すぎたから、斬った。次はぶった斬るから……」


 楓は感情のない瞳で亜美を見た。すとんと亜美は座り込む。亜美は人知を超えた恐怖に口一つ動かすことができなかった。


「……」


 舞奈は言葉を発することができなかった。さっきまでが嘘のように殺気が消えている。


「天宮……」


 慧は自分の目に刀の動きを捉えきれなかったことに驚愕する。人並み以上には努力してきた。しかし、天宮楓はそれ以上だった。


(本当に『無能』なのか? そもそもこいつは人間……?)


 光希は楓の肩に手を置いた。ピクリと楓の肩が震える。楓は申し訳なさそうに光希を見た。


「ごめん……、バレちゃったな……」


 楓は怒りを我慢できなかった自分自身を叱咤する。やはり自分には役者の才能がなかったらしい。


 光希はそんな楓にかける言葉を見つけることができなかった。

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