第3話:青の沈黙
次の日も朝から澄み渡った青空だった。
俺は寝起きで跳ね上がった髪を直すと外に出る。
駅のホームに電車が滑り込んでくるのが見える。
あの車両の中にも、どこかに帰る人がいるんだろうな。
あれの少しでも網代で降りてくれればいいのにと思いながら駅へと向かった。
駅の横には白い軽自動車が止まっていて、すぐ横には美咲が立っていた。
お洒落をしていくと言っておきながらTシャツにジーンズというラフな格好。
まあ俺もあまり変わらない感じだけど。
彼女は俺を見つけると笑顔で手を振ってきた。
俺も軽く手を振りかえす。
近くで見る彼女は、昔よりも少し大人びて見えた。
無邪気な笑顔の奥に、どこか影があるように感じた。
「おはよう
昔から時間はしっかり守るよね」
「女性を待たせる事は俺のポリシーに反するからな」
そう言うと彼女は目を細めて俺を見てくる。
「そうやって他の女性も口説いてきたんでしょ」
まさか。
そんな口説き方をする男なんて見た事ない。
むしろ時間を守るなんて人として当たり前の事だろう。
「そんな事しなくても俺はモテるからいいんだよ」
そう言いながら俺の心をチクリと針が刺す。
モテるんだったらあっさり振られたりしないだろう。
俺の言葉に彼女は口を尖らす。
「祐樹のそういうところ、昔から変わらないね」
確かに俺は昔からこんな事を言っていたかもしれない。
でも美咲はそんな俺をいつも笑って見てくれていた。
今もそうだ。
言ってからケラケラ笑っている。
俺は高校時代に戻った気がしていた。
「さあ乗って
今日は楽しいドライブだよ」
彼女に促され車の助手席に乗り込む。
ほのかにフレグランスの匂いが漂っていた。
「それで今日はどこに行くんだ?」
俺が聞くと彼女は何か悪い事を考えているような表情で「秘密」とだけ言う。
遊ぶ場所なんてない熱海でどこに行こうというのか。
エンジンがかかり、車がゆっくりと発信する。
寂れた駅前の通りを抜け国道に出ると車の右には透き通った海が現れた。
開けた窓から入ってくる潮の匂いが懐かしい。
俺に子供の頃の淡い記憶を思い出させる。
「祐樹ってさ」
運転していた彼女が不意に声をかけてきた。
「なんだ?」
流れていく景色を眺めながら答える。
「私と別れた後に彼女作らなかったの?」
その言葉は俺をギクリとさせる。
彼女は作ったけど振られたと言うのが何故か躊躇われた。
「いなかったよ」
嘘だとバレないように外を眺めたまま答える。
今、顔を見られていたら嘘だとすぐにバレただろう。
「そうなんだ
それって私を忘れられなかったの?」
そう言った彼女は、ハンドルの先をじっと見つめたまま、声のトーンが少し下がった。
また際どい質問をしてくる。
忘れられなかったと言えば嘘になる。
次の彼女にも美咲の影を追っていなかったかと言われればイエスとなる。
美咲の事を忘れる事はできていなかった。
だからこうして久しぶりに会って遊びに出かけてる訳なんだが。
「そんな訳ないだろ」
「ふーん」
その言葉の後、美咲は黙った。
エンジン音と風の音だけが、ゆっくりと時間を削っていく。
俺もこれ以上話したらボロが出そうで黙っておいた。
車を走らせ20分。
渋滞している国道を避け山間の道を登っている途中で車は止まった。
「どうした?」
何もないところで急に停まった事に俺は尋ねる。
「ここが最初の目的地」
そう言うと彼女はギアをパーキングに入れて車から降りた。
俺も彼女を追って車から降りる。
「ここ、祐樹とは一緒に来た事なかったよね」
そこから見える景色、それは燦々と輝く青い海がどこまでも広がる景色だった。
深い青が、俺の中に眠っていた何かを静かに呼び起こす。
大学時代に隆也の車でこの道は何度も通ったがこんな景色は見ていなかった。
「高校の頃なんて車はなかったからな」
俺は美咲の隣に立つとガードレールに手をかけ、その広大な景色に見惚れた。
熱海の海はいつだって疲れた俺の心を癒してくれる。
「ねえ祐樹」
不意に美咲が俺を呼ぶ。
その目は青い海に向けられている。
「なんだ?」
「私の事、隆也から聞いた?」
俺は返答に詰まってしまう。
隆也から聞いたとは何処から何処までの事だ。
「……一通りは」
曖昧に返すと、彼女は小さく「そっか」とだけ呟いた。
風が吹き、短い髪が揺れる。
「私ね、もう結婚なんていいやって思ってたんだ」
「……おう」
「だけどさ、結局また結婚する事になりそうなんだよね」
「……おう」
俺はそれしか言えなかった。
今の自分の立場を考えた時に出てくる言葉がなかった。
チラリと彼女を見るとその目はどこか遠く、海の向こうを見ていた。
夏のジリジリと焼きつく日差しが俺を照らす。
「…私さ」
「うん?」
「もう結婚するの怖いんだよね」
風が吹き抜け、潮の匂いが強くなる。
俺は何も言えなかった。
でも、本当は——言葉を探していた。
その言葉は重たかった。
言葉を返せば、置いてきたはずの思いが動き出してしまう気がした。
俺はただ、光り輝く海を見つめていた。
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