第17話 思わぬ客の思わぬタレコミ

 春節が終われば、すぐさま冬物バーゲンの季節だ。

 とはいえ、時計売場にシーズン商品はさほどない。大変なのはやはり季節商品を抱えるアパレル関連売場だ。該当の売場に広がるものものしい空気はそれはそれは修羅だと聞く。


 ただ、時計もその年のモデルのものが売り残れば、それもまた在庫になる。そして一度型落ちしてしまえば、その後売れることはなかなか難しい。なので、俺は春に新モデルが出る前にと、客に現在のモデルの商品を売りつけるのに忙しかった。


「お客さまでしたら、多少させていただきますよ」


 懇意の客にはこう囁いて、購買意欲を煽ることも忘れない。

 蓬莱ほうらい百貨店では、法外な値引きでない限り、各店員に値段の采配を任している。そのとき出た損益は、対象の店員のボーナスから所定のパーセンテージが引かれる仕組みだ。

 なのであまり思い切ったことはできないが、売上上位者となれば、引かれた額を埋めて有り余るほどの褒賞金が支払われるので、バーゲンとなれば誰もがこの機会にと躍起になって商品を売り捌くのであった。



 そんな二月終わりの日、俺はいつものように売場に立ってショーケースの中の腕時計の陳列を直していた。

 正直言ってここまでの俺の売上は芳しくない。そりゃ、表彰されるほど蓬莱百貨店に尽くしたいとは思わないが、店員として働く以上は、少しでも実入りを増やしたいってのが人のさがだろう。


 ちなみに俺は外商部員なので、その特別手当も付く。だが、手当の報酬は出来高払いなので、案件が少なければ心もとないし、依頼の出来によっては減額されることもある。なので、結局俺は通常の業務にも精を出さずにはいられない。


 そしてこれは、蓬莱百貨店が外商部員を掌握するに当たってのなかなか狡猾なやり方なのだ。


 ――それがわかってこうして勤めてるのがな、ほんとうに馬鹿馬鹿しいんだが、奉職してしまったからには仕方がない。そこそこうまくやるさ。


 そう胸中でぼやきながら、俺は手元のショーケースのなかに注力していたものだから、奴が目の前に来るまで、まったくその存在に気づけなかったのだ。しかしそれも仕方ない。今日の奴からは殺気というものが皆無だった。

 あのときと違って。


「ちょっと、時計見せてくれるかなぁ」


 いきなり野太い声がして、俺は客の顔を見上げる。そして、その正体を知るに及び、俺の心の臓は変な方に捩れた。


「……っ!」


 叫び声を堪えたのは、我ながら上出来だった。だが心の臓と同じく、俺の顔も捩れてしまっていたのだろう。俺を見てその客はでかい図体を揺らして、わはは、と豪快に笑う。そうしてから、俺の胸元のネームプレートをわざとらしく確かめて、こんなこと言うと来たもんだ。


「ああ、あんた名前、ヤンさんっていうの? 接客してもらうなら、あんたがいいなぁ。いろいろ見繕ってくれ」

「……」


 周囲に怪しまれぬよう、慌てて表情を引き締めながら俺はとりあえず一礼して、お茶を濁す。


「……どのような時計をお探しでしょうか、お客さま」


 ようやく心を鎮めて、口上を述べた俺の目の前で、今日はどこからどう調達したものか、縦縞模様が躍る洒落たグレーの背広姿に、黒光りする山高帽ボーラーハットまでキメている林 俊宇リン・ジュンユーは、楽しげに口髭を摩った。


「まずは楊さんのとっておきのおすすめを教えてほしいなぁ」

「……私の一押しでしたら、リシャール・ミルでございます。二十一世紀の創業ながら、現在に至るまで人類社会のトップブランドに君臨、その技術はいまも多くの宇宙工学に用いられるなど、世界への影響力は計り知れないものがございます。このブランドの創業はあの混沌の世紀における最大の奇跡だと申し上げてもよろしいでしょう」

「ふむ、名前くらいは俺も知っている。だがたしか、相当高価だったな?」

「はい。最低価格でも四十五万元からでございます。もちろん、それだけの価値はございますが」

「そんな札びら腕に巻いてたら、いつ腕ごと切り落とされるか怖くて堪ねぇな。では、カジュアルなやつを俺に見繕うなら、どんなのだ?」

「それでしたら古き良きスイスの技術を受け継いだタグ・ホイヤーでございますね。格式がありながらどこか剛直でいらっしゃる、お客さまの雰囲気と非常にマッチいたします。タグ・ホイヤーのいまの本拠地たるフォウノーは独立済であり、流通も安定。そのためどんなモデルも俊速に入荷されます」

「ふぅん。あんたの口上も大したものだなぁ。だいぶん仕込まれたと見える」

「……恐れ入ります、お客さま」


 林は余裕綽々という調子で、白手袋が手汗で滑りそうになりながら、必死こいて商品説明を行う俺に相対する。


 ――なんのつもりなんだ、こいつは。俺をおちょくりに来たっていうなら、それ相応の礼は見舞うぞ?


 すると、内心いきりたちそうになっていた俺に向かって、林はガラスケース越しに手を伸ばす。そして思わず身構えそうになった俺の肩を、ぽん、と叩いた。

 叩きながら、またこう笑う。


「よーくわかったよ。機会があったら、買わせてもらおう」


 そうして林は大きな身体を翻し、ゆっくりと売場から歩き去っていく。俺は慌ててまた一礼して、彼を見送る。


 十数秒ののち、林の姿が売場から消え失せたのを見計らい、俺は途端に背筋を伸ばした。伸ばしながら、黒のオーガンジースーツの胸ポケットを探り、折り畳まれた小さな紙片を取り出す。

 それは林が俺の肩を叩きながら、さりげなくポケットに差し込んできたもの他ならない。


 周囲に人気がないことを確かめて、紙片を開いてみればそこにはこんな文字が躍っていた。


『明日の夜二十三時、バーで待っている。話がしたい』



 ひさびさに訪れたハオ地区のスラム街は、あいも変わらず殺伐とした冷えた雰囲気だった。今日は前と違って、雪は空に舞ってはいない。


「おう、楊。ここだぁ」


 路地裏の薄汚いバーに入ると、途端にカウンターの奥に座っていたガタイのいい男が手を振る。彼は今日は前と同じ軍服姿だ。俺は林に向かってずんずんと店内を進む。

 今日も今日とて、バーは改造兵の溜まり場になっているらしく、それらしい軍服の男どもが俺にジロジロと無遠慮な視線を投げてくる。


「昨日はすまなかったなぁ」

「突然驚かせやがって。どういう風の吹き回しだよ?」


 飄々と笑う林にそう毒ついてみれば、すぐに林は俺にカルーアミルクを差し出してきた。なるほど、いい記憶力だ。だが。


「これは昨日の詫びな。もちろん奢りだ」

「このくらいで済むと思うなよ。ほんとうにびっくりしたんだからよ。しかもあんなキメた格好で現れやがって。どこから見ても立派な成金野郎だったよ」

「俺らのネットワークにゃ、いろんな階級の人間がいるんだ。あのくらいの衣装の調達、訳ねぇよ。それに俺も昔はそれなりの社会的地位にいたんだぜ。上級社会の振舞いができるくらいには」

「ふうん……それなりのねぇ」


 俺はカルーアミルクを口に含みながら、曖昧な語を零した。ということは、林も戦争で人生を狂わさせたクチなのだろう。そんなことを推測しながら。


 林は今日は紹興酒をロックで傾けていた。かちんかちん、と氷がグラスを鳴らす。


「さて……本題だが、改造兵のことを探っているのなら、お前さんも耳に入れておいた方がいい話があってな」


 思いもがけないことを言い出されて、俺は眉をしかめた。

 しかめつつ、声を落として問いただす。


「人格をどうかする手術のことか?」

「いや、嬢ちゃんの件とはたぶん関係ねえ」


 林も声を小さくして、俺の問いかけに答える。背後に広がるバーのざわめきが、急に大きく聴覚を満たす。そのなかで林は静かに語りだす。ときに口髭を摩り、ちびちびととグラスの酒を口に含みながら。

 それは、俺が全く知らなかった、改造兵の情報だった。


「俺たちとて一枚岩ではなくてな……改造兵にも派閥があるんだ。ことに最近目立つのは、崑崙こんろんコロニーから密航して、他のコロニーで傭兵になる奴らだ。改造兵に渡航の自由はないから、もちろん違法だ」


 唐突に明かされた事実に俺は息をのむ。

 それは、報道、いや、口さがない市民の噂話にさえ上ったことのない話題だった。驚いて言葉も繰り出せない俺の前で、林は滔々と話し続ける。


「奴らは破格の給料で戦っているが、それだけでないんだ。奴らは外部コロニーと協力して、崑崙に留まった改造兵とも通じ、資金を流し、崑崙コロニーを内部から壊すことにも手を貸している。つまり、反社会的な行為でだ」


 臓腑がすうーっ、と冷えていく。

 いやはや、俺が思った以上に改造兵をめぐる闇は深く、色濃い。柘榴のことにたどり着く前に闇のなかで迷ってしまいそうだ。なるほど、これは戦後の作り出した迷宮だ。


 だとしても、わからないことがある。俺はしばらくの沈黙ののち、その疑問を口にする。


「それはわかったが……どうして俺にそんなヤバい話を話す?」


 すると林は口の端を歪めた。それから、俺に向き直り、俺の目を射るように見交わす。

 果たして、次に彼の口から洩れたのは思いもよらぬ言葉だった。


「重ねて言うが、改造兵は崑崙コロニーを出ることを法で禁じられている。そんな奴らの密航の手引きをしてるのは、蓬莱百貨店の関係者だという噂があるんだ」

「……!」

「これが本当なら、統治委員会の犬たるお前さんには大事だろぉ? なんせコロニーの根底を揺るがす案件だ。権力に楯突くどころの話じゃない」


 林はそうどこか面白そうに薄く笑いながら、極めてヤバい話を終えた。

 いや、相当ヤバい話だぞ、これは。


 ――これは俺の手に負える話じゃねぇ。もしかして、俺は知ってはいけないことを知ってしまったのでは……?


 俺の額には脂汗が滲む。皮膚に汗ばんだ髪が張り付く感触がなんとも鬱陶しい。カルーアミルクはまだ半分ほどグラスに残っていたが、もはやその味を楽しむ余裕は俺の心から失われていた。


 やがて、黙りこくってしまった俺に向かって、林が声を一段と落として凄んだ。


「これだけ話してやったんだ。お前もなにか今後気づいたことがあったら、俺に知らせてくれよぉ。楊さん、俺はあんたを結構買ってるんだからなぁ?」


 どこか茶化すようなその口ぶりにむっとしながらも、口の中がどうにも乾いてからからで、言い返すことも俺はできやしない。

 夜更けのバーの雑踏のさなか、俺は手を組んで考え込む。


 ――柘榴と再会して以来、俺は見知らぬ闇のなかへ、どんどん踏み込んでいる気配がする。


 これは俺にとって、吉と出るのか、それとも――。


 ところが、林のタレコミはまったく思いもしない形で俺の仕事とリンクしたのだった。

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