第2話 マダム・ハオの依頼
あまりにも思いかけない事柄を聞いたもんだから、俺専用の
――
自動運転させた宙車は、文字通り縦横無尽にコロニーのハイウェイを跳ねるように進む。車窓から溢れる疑似太陽光は紅色を帯びていた。もう夕暮れの時刻だった。俺は意識を仕事に戻し、マダム・ハオ直々の依頼とはなにかに思いを馳せる。どうせロクな話ではないのだろうが。
それでも俺の心中はまたも柘榴のことに舞い戻ってしまう。だって忘れることなんてできやしないんだ。あいつはセルゲイの妹で、そしてセルゲイは俺と同じで――そして奴の遺した言葉が胸に滲む。
――楊、柘榴を頼むよ――。
それでも宙車は俺の内心など知ったことかと、正確無比に道路を飛び越え、あっという間に俺の担当区域、
車を降り、少し歩けば無機質かつメタリックな通路はすぐに途切れ、金と白、天井には天使や星が躍る壮麗な装飾の廊下に変わる。邸宅内に入ったのだ。むろん数多の警備員の誰何、そして虹彩認証を主とするセキュリティチェックを何度も潜り抜けなければいけなかったが、いつも通り俺が止められることはない。当たり前だ。俺は好地区担当の蓬莱百貨店外商部員なのだから。
マダム・ハオは私室の長椅子に横たわりながら、AIペットの数匹の
だがマダム・ハオは何も気にする風はなく、極めて気さくな口調で俺にこう話しかけてきた。
「あら、
「なんのことです」
「私の情夫になる覚悟が決まったのか、ってことよ」
「ご冗談を、マダム」
愛想笑いはそつなくできるつもりだったが、こういう時は僅かながら声が震えてしまう。相手が顧客の最高権力者であればなおのことだ。
しかしマダム・ハオは気も悪くした様子も見せず、さらりと応じる。赤い唇を艶かしく動かしながら。
「相変わらずつれないこと」
そう言いながら彼女は今度はサイドテーブルの上に置かれていた月餅に手を伸ばす。そしてそれを口に運びながら、さっそく本題だとばかりに語を継いだ。
「ちょっと
「何かございましたか」
「昨日、うちの若い衆が、薫の若いのとちょっと揉めたのよ。なに、命を取るような騒ぎにはならなかったけど、可哀想にその子、片目を失っちゃったの。かわいい男の子だったのよ。私のお気に入りだったのよねぇ」
マダム・ハオは月餅を齧りながらこともなげに語を紡ぐ。話の物騒さとは裏腹の優雅な所作だ。だが、こう話を締め括ったとき、その瞳には黒い焔が灯ったように思えた。
「それでちょっと、薫地区に報復したいわけ」
「なるほど。それで私を呼んだわけですね。それはどういう手段でやるおつもりで?」
ことの次第に納得しながら俺は話の本題に踏み込む。しかしながら次の彼女の言葉を聞いて、俺の息は一瞬止まった。
「薫の『
数秒の沈黙のあと、俺は大きく息を吸い、そして険しい言葉を放つ。
「マダム、ご存じかと思いますが、『玉』は『
するとマダム・ハオは妖艶な笑みを顔に閃かせた。そして足元に群れをなしている赤犬たちの毛をわしゃわしゃ撫でながら俺に答えた。
「わかってるわよ。安心なさい、私が介入したいのは薫の玉だけ。皇にはなんの興味もないわ。それに統治委員会に反旗を翻すようなことをあなたにさせるほど、私は性悪女ではなくてよ」
そして、完全に余計な一言も。
「だって蓬莱百貨店のあなた方ときたら、どこまでも委員会の犬ですから、ね」
それから、俺の顔が翳ったのを横目でちらり、見やりながら、彼女はまた笑う。それはどこまでも嘲りの色が濃いものだった。だけど、マダムの言葉はどこまでも図星でしかない。
なので俺は、ひとつ咳をしてから、話を戻す。
「薫の玉にどのような介入をしたいのです?」
「薫の財源を支える
「茘枝……あの
「そうよ。当たり前だけど内密にね。もちろんあなたのお仲間の外商部員さんにも秘密よ。ことに、薫地区の担当さんに漏れないようによろしくね」
それは言われるまでもない。外商部員の口の堅さを舐めないでほしい。そう喉まで出かかったけど、次にマダムがまたも余計な言葉を吐いたので、それは有耶無耶になった。
「口は禍の元、ってことをあなたほど知っている人間はいないでしょうに」
本当に一言多い女だ。でもそれもまた、真実だから、やはり言い返すことも叶わない。そして、俺はそもそもそれができる立場ですらないのだ。
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