オータム・オブ・ザ・リヴィングデッド

能崎虹郎

六原くん、訝しむ。

 人類殺すマンと化した夏の脅威が過ぎ去り、街に色気ある秋の雰囲気が漂い出した十月の中頃。

僕は友人の清丸円と学食の列に並んでいた。

 花堂美術大学の学生食堂は本部棟一階西の隅に位置していて、石柱を模したレジン・セメント製の柱が何本も二階を支えていた。南側一面は総ガラス張りになっていて開放感がある。ギリシャのパルテノンをモチーフにしているようだが僕には悪趣味に思えた。

 白身フライがメインのA定食、円はカツカレーの食券を買う。受付に食券を渡し配膳の列に身を任せていると、自分がアメリカの囚人にでもなったような気がして閉塞感を覚えた。タイムリーにも、今日はソニックブルーのシャツを着ている。

 料理をトレイに南際の席に座る。端から円、一席空けて僕、がいつものマスト。


「六原くんを見た?」


「いいや」


 円は肩を竦めた。


「誰かが言いよった。専攻が違えばアナザーワールド。棟が違えばアナザー……惑星ってな」


 同じ美大の同じ絵画科であっても、専攻とアトリエ棟が違えば交流は喫煙室の中でだけ、なんてことはざらにある。誰かの言葉を借りるなら、僕と円は油絵専攻で六原くんは日本画専攻。さらに言えばアトリエ棟も別だったから、なるほど。アナザーワールド・アナザープラネットだ。


「アトリエかね?」


「かもな」円はカツカレーにソースを掛けながら「ただでさえあいつは、オリコさんを作品のモチーフにするからアホほど拘るわあ?」


 オリコさん、というのは六原くんの奥様である。大学二年の夏、彼は二十歳の誕生日を迎えた翌日に入籍して周囲を驚愕させた。六原くんは周囲が微笑むほどの愛妻家であり妻を作品のモチーフに選ぶことが多い。その為、一度筆を握ると一切の妥協を許さない。

 目に隈を作り、オーバーヒートしそうになりながらもどこか幸せそうに筆を握る友人の姿を想像して微笑ましくなった。それと同時に、これぞ美大生だな、と制作の忙殺を受け入れるある種の隷属感に泣きたくなる。

 フライが冷める前に箸をつけようとしたところで、円に肘で脇を突かれた。顎先を戸口に向ける彼につられて視線を移動させる。そこに彼がいた。

 睡眠が足りていないのだろう。彼は大きな欠伸をしながら、毛先の捩れた特徴的な鳥の巣頭──天然のカーリーマッシュ──を掻いていた。目は虚ろで、疲労の色が濃い。それでも身なりには気を遣っていたから感心する。M&M'Sみたいなドットのインディゴ丸襟シャツ。カナリアイエローのパンツに、足元はエレメントのスケートボードシューズのストリートなスタイル。絵の具に汚れたつなぎ等がデフォルトなファイン系学生の中において、お洒落な彼は異質だ。

 いつもの席で手を振る僕たちに気付いて、彼はくいっと顎先を上げた。合流すると「美大でお洒落に気を遣ってもモテねえぞ?」と円が早速茶化した。確かに、美大ではアーティスト性の高い人間が異性からの注目を集めるが……。

 阿呆か、と一言で斬り捨て、六原くんはバゲットサンド──スライスオニオンと鯖の塩焼きが具材らしい──を齧った。気怠そうに咀嚼し「妻以外の女性なんて、僕に言わせりゃ石膏像と同義だよ。衣服に気を遣うのも全ては美しい妻の為だ」と吐く。絵具汚れを嫌って、結婚指輪にはいつもマスキングテープを巻いている彼らしい返答だった。疲労と眠気で一時的に感情表現のシステムがダウンしているのか、愛妻家はただ機械的にバゲットサンドを齧る。

 斬り捨てられた円は拗ねた様子でカツを口に運んだ。僕も白身フライに箸を伸ばした。しかし、タイミングを計るようにまたも邪魔が入る。今日は白身フライとの相性が悪いのかもしれない。

 目の前にはシックな女の子が立っていた。


「六原先輩ですよね?」


 鴉のコスプレでもしているのかと疑うほどに、彼女の全身は黒づくめだった。タートルネック、ロングスカート、ボーラーハット、その全てが単色の黒で、夜になれば完全に闇に溶け込むだろう。

 呆気にとられる僕と円。しかし、彼女の運んで来たトレイに気付いて互いに顔を見合わせた。

 説明が必要だと思う。

 花美に入学してからこれまで、六原くんの元には多くの学生が相談事に訪れた。内容の幅は広いけれど、相談者はなぜか共通して彼と同じメニューを頼む、というのが暗黙の了解としてあるらしい。彼女のトレイにはオクラのスープと鯖のバゲットサンドが載っていた。


「相談があるんです」


 緊張が滲んでいた。女性にしては低い掠れ声のせいで余計に鴉寄りの雰囲気になっている。


「なんで僕に?」


 六原くんは彼女のランチを見ながら眉根を寄せた。またかよ、と内心では苦い舌を出しているのかも。

「由梨絵が……」と口にしてカラスはかぶりを振った。短く咳払いをして、言い直す。


「サークルの先輩たちに聞いたんです『本当にヤバい時には六原様が救ってくれる』って。だから……友達の相談に」


 カラスは両手を背で組んで、ぐっと肩口に力を込めた。端から見れば、踏ん切りがつかないままに愛の告白をしている後輩の姿に映るかもしれない。

 六原くんはこれまで厄介な相談事の数々に乗ってきた。そのせいで、とは言わないけれど「六原。イエス。シッダールタ」なんて校内スラングが生まれるほど、最近は噂が一人歩きしている。中には彼を本当の神様だと盲信しているのか「死者を蘇らせる方法を教えてくれ」と真顔で迫った相談者もいて、その時は流石に彼も呆れたのか、ドラゴンボールでも集めてろ、とにべもなく追い払った。

 実際は自身の興味に触れたもの、力を貸せるものだけをピックアップしているだけのことで、マーベルヒーローみたいに何でも解決出来るわけじゃない。

 六原くんはため息を吐きながら頭を掻いた。そして、ゆっくりと足を組む。


「『由梨絵が今ヤベえ』その理解が君の理想かな?」


 僅かながらも風向きの良いその言葉に、カラスは顔を上げた。期待というよりは不意を突かれたような顔をしている。


「まずは君が誰なのか。そして、どうヤべえのかを聞かせてくれるかな? それと……」


これは重要だぞ、と念を込めるように人差し指を立てると、六原くんは「過度な期待はしないでくれ」とカラスは彼を見据えて頷いた。

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